112話 ヘクサム、副所長の悪足掻き
カイザスが戦慄したその理由、それは。
いつの間にか接近を許していた所長のジルガは、鎧こそ装備していなかったものの。その手元にジルガ愛用の武器である、巨大な鉄製の大鎚が握られていたのを目に入れてしまったからだ。
突然の質問に驚いたカイザスだったが、決して動揺が悟られないよう精一杯声を整え、返答していく。
「……何を、聞きたいのでしょう?」
「お前、『村喰い』の小鬼の話。もっと前から知ってたろ?」
「──っ⁉︎」
カイザスの脳裏に、ジルガからの言葉が(よみがえ)る。
アズリアへの報復を諦めろ、という警告。
「まさか……私が関与したのが、知られている?」
ジルガの質問に答える事が出来ず、酷く困惑したカイザスは、決してジルガに聞こえないよう細々とした声で呟く。
何故、そのような武器を持ってカイザスに声を掛けてきたのか。そもそもジルガと遭遇したのは偶然などではない。
今、立っている廊下は一直線であり。
カイザスの後ろには副所長の部屋しかない。
つまりジルガは、明らかにカイザスに遭う意図があって、この場に立っていたのだ──武器を持って。
当然ながら、施設を歩くのに武器を持ち歩く必要などない。ましてや、ジルガの大鎚は護身用などとは呼べない代物だ。
「という事は。私をこの場で粛正するつもりか? 馬鹿な……私は魔術師で」
カイザスは頭の中で、必死になって攻撃されないための理由を探していた。
口にした通りカイザスは、養成所唯一の魔術師であり、さらにはナーシェンよりも格上、ヴァロ伯爵家の人間なのだ。
「そうだ。だから帝国貴族の血が流れるこの私が、こんなところで粛正など、されるはずが……」
だが副所長という立場のカイザスにとって、目の前に立つ所長のジルガは養成所内では格上である事実。
兵士養成所は、絶えず周辺の国家と侵略戦争の気を窺う帝国軍にとって重要な施設であり。施設は軍に所属する扱いとなっている。
それがどういう意味かというと、養成所内の立場はそのまま軍内部の階級と同等に扱われ。所長は、副所長や所員を処罰する権限が与えられるという事となる。
「い、いやっ……所長の性格ならやりかねん。あの男は、そういう奴だ」
何より、所長のジルガという人物は自分の意に沿わない人間を何よりも許さない性格であった。
軍の管轄とはいえ養成所には、優秀な兵士を育成する目的なのか、ジルガのような元は軍人だけでなく。魔術師のカイザスが例のように、軍の外からも得意分野において優れた人間を所員として雇い入れてはいたが。
優秀な人間ほど自己主張が強く、度々命令違反を犯す事も多かった。
そんな所員をジルガはどう扱ったのか。
答えは簡単だ。
腕力とあの大鎚で、違反を繰り返した所長に対し、文字通り鉄鎚を下していったのだ。
まるで見せしめのような制裁を受けた所員や訓練生は全員無傷で済む筈がなく、中には復帰が出来なかった人間もいた。制裁を何度か行うと、養成所内でジルガの声を軽視する人間は誰もいなくなっていた。
アズリアとの模擬戦も、実はアズリアに限らず新人の訓練生が入所した際には必ず行われる、一種の通過儀礼のようなもので。
最初に新人の訓練生と自分との圧倒的な実力差を示し。所長であるジルガに絶対的な服従をさせるのが目的であった。
そんな性格と、振る舞いをしてきた所長のジルガが、今まさに。カイザスの前に大鎚を手にして立ち塞がっていたのだ。
「──逃げるか」
当然、一番にこの場からの逃走を考えたカイザスだったが。少し考えれば、逃走は困難と言わざるを得ない。
廊下が一直線である事に加え、肩を掴まれる程に既に接近を許してしまっているのだ。力では敵わず、魔法を使おうとしても発動前に行動されれば終わりだ。
魔術師が戦場であまり活用されない理由も、まさにその点にある。
余程に高位の魔術師ならば、遥か戦場の後方から大規模魔法で攻撃する事が出来るが。大概の魔術師は、視界に捉えなければ攻撃魔法の対象にする事が出来ず、兵士らと一緒に戦場に出る必要がある。
確かに中級魔法程度の攻撃魔法でも威力は絶大ではあるが。位置を特定されれば、詠唱を終えるより前に弓兵や騎馬隊の攻撃に晒され脆い。
それに、逃走を図り仮に成功したとしても。
「いや……駄目だ。もし所長が部屋に入り、水晶を見られてしまったら──」
そのまま追撃してくれるなら好都合なのだが、最悪なのはジルガが部屋へと侵入してきた場合だ。
まさか所長が来るとは予想外だったからか。部屋を出る直前まで、アズリアらの状況を監視していた水晶球を放置したままだった。
魔術師であるカイザスだ。
部屋は魔法で施錠をしてあり。合言葉もしくは魔法を解除しなければ部屋に入る事は通常、出来ないのだが。
扉自体を破壊されてしまえば、施錠の魔法も意味がない。そしてジルガの持つ大鎚は、まさに扉の突破に適した形状をしている。つまりは魔法の施錠も、ジルガにとっては何の意味もなく、多少の時間を稼ぐ程度でしかない。
そして。
水晶球を見られてしまっても、カイザスが描いた計画が露見する事はないだろうが。少なくとも、ジルガの警告を無視してアズリアに関与した事は知られてしまう。
まさにその点こそ、カイザスは危惧していた。
逃走か無難に言い逃れるか、そのどちらも選択出来ずにいたカイザスだったが。
返答を待っていたジルガが、これ以上の思考の猶予を許すつもりはなかった様子で。
「なあ……カイザス。黙ってないで何とか言ったらどうなんだ?」
「……ひっ? ぐ、っ……あ、あの、肩が」
肩を掴んでいたジルガの指に力が込もり、痛みで顔を歪めたカイザスに。
さらに顔を近付けて睨みつけ、圧力を掛けながら。先程までよりも一段階低い声で、もう一度同じ質問を投げ掛ける。
「いいから答えろ。本当はお前、とっくに小鬼の話を知ってたんだろ」
「そ、それはっ──」
弁明をしようとするが、言葉を詰まらせてしまうカイザス。
ジルガの態度から、自分が「村喰い」の情報を握り潰していたのは既に知られてしまっている事を理解してしまったからだ。
逃走の道は既に絶たれ、もう僅かな猶予しか残されてはいないが、カイザスは思考を巡らせる。
何らかの確信がある以上、この場は下手に否定をしてもジルガの怒りが爆発するのは間違いない。
ならばまずは、ジルガの知りたい情報を小出しにする事で。
少しでも怒りの矛先を逸らせれば──或いは助かる可能性があるやもしれない。
「は、はいっ。魔法を使って、おおよその小鬼の位置は把握しております。ヘクサム襲撃の危険があれば、すぐに報告するつもりでしたっ……」
小鬼の位置を把握している、というのは真っ赤な嘘であり。
ナーシェンらに渡した腕輪の効果で、偶然に「村喰い」なる小鬼とランディらが現在交戦している場所を知っただけだが。
案内するとジルガを連れ出し、途中で姿を魔法なりで消して先に到着し、ナーシェンらの口封じと証拠の隠滅を図ろうと。
咄嗟にカイザスは悪足掻きを思い付いたのだ。




