111話 ヘクサム、計画が破綻する副所長
自分以外に誰も部屋にいない事から、率直な気持ちを吐露するカイザス。
カイザスが密かに思い描いた計画とは。
先日の魔法の訓練の際に、魔術師である自分に恥を掻かせた新入りの女への報復のため。勧誘を断られたナーシェンの貴族としての自尊心を煽り、さらに強力な武器を渡し、同僚という一線を越えさせようとした。
さらには近隣に出現報告のあった小鬼の変異体、「村喰い」の情報を握り潰し。ナーシェンらにだけ「村喰い」の小鬼の情報を伝えたのだった。
ナーシェンの襲撃が失敗しても、小鬼らと遭遇すれば無事では済まないだろう……と想定していたのだったが。
まさかナーシェン組と「村喰い」、その両方を蹴散らしてしまったのはカイザスの想定の外であった。
しかも、カイザスにとって最悪の方向で。
「これは……非常に、拙いっ。まずいまずいまずいまずいっ……」
ナーシェンらに持たせた腕輪を通して、今なお状況を監視していたカイザスは。既に自分の計画が破綻していた事実を受け入れる事が出来ず、動揺のためか爪を噛む。
「あの連中がナーシェンらを生かしたまま帰ってくれば、私が干渉した事が所長に知られてしまうではないかっ……」
このまま無事に新入りの女やランディらがヘクサムに帰還をすれば、ナーシェンらに譲渡した魔導具の数々が所長らの目に晒される事となり。
魔導具の持ち込みなど養成所では許していない。その時点で、魔術師であるカイザスの関与が一番に疑われるのは間違いない。
追及を受ければ、カイザスが沈黙を貫いたとしてもナーシェンらが口を割るだろう。
同じ帝国貴族のナーシェンはともかく、同室の三人にはカイザスの関与を隠す理由は何もないのだから。
「何かっ……何か、まだ逆転の一手はっ──」
爪を噛みながら、どうにか最悪の状況を打破出来ないかと。もう一度、机上に置かれた水晶球を通し、休息中のアズリアらを観察していたカイザスは。
何かを閃いたのか、突然大きな声を上げた。
「そうだっ! まだ、私にも取れる方法はあるぞ……」
カイザスにとって最悪の状況、それでも一筋の光明があるとすれば。
悪名付きとの戦闘に、ナーシェンの配下の三人の襲撃とが重なった事で。その二つの脅威を見事に撃退したランディら一行も、消耗激しく動けなくなっている状況だ。
──まだ、今なら。
「今ならば……村喰いの仕業に見せかけ、あの目障りな新入りの女を始末出来る」
カイザス自らが出向き、負傷した八人を襲撃し息の根を止めてしまえば。報復は果たせるし、同時に口封じも完了する。
決意を口にしたカイザスは席を立ち、部屋の中にあった様々な魔導具を懐へと仕舞い。愛用の魔法の杖を握って、部屋を出ると。
カイザス唯一の懸念である、所長であるジルガの様子を確認に向かう。
「何故か所長は、あの新入りの女をやたらと気に掛けていたのが妙に気にはなるが……」
養成所内の立場が上だという事もあるが、カイザスが新入りの女に恥を掻かされたその日の夜。
珍しく、カイザスの部屋を訪れたジルガは。復讐に燃えていたカイザスに、水を差すような発言……いや警告の言葉を残した。
『アズリアには手を出すなよ』
何故、ジルガが新入りの名前を出してまで警告を発してきたのかは甚だ疑問ではあるが。殺気を放つジルガの様子から、冗談の類いではないと捉えたカイザス。
養成所では唯一の魔術師であるカイザスだったが、彼は攻撃魔法よりも魔法の研究や知識の収集に重きを置いていたためか。純粋な実力、という意味では歴戦の勇士であるジルガの足元にも及ばず。それ故に副所長の地位に甘んじていたのだ。
……となれば、少なくともジルガの監視の目がある内は、報復を実行するのは諦めざるを得なかったが。
だからこそ。
八人を始末するために動くのを、ジルガにだけは悟られてはならない。
「空を飛んだり、あの連中が休息している場所まで転移が出来れば……どんなに便利だったか」
空を飛ぶ魔法は存在するが、習得の難しさと空中では無防備になるという欠点からか。残念ながらカイザスは空を飛ぶ魔法を使用出来ない。
一方で。立っている位置から離れた別の地点へと一瞬で移動する──所謂「転移」魔法だが。現在の人間の魔力や、魔法の知識に技術では実現は不可能とされている。
ちなみに、ナーシェンらに魔導具を渡した際。その場から消え、あたかも転移魔法を使ったようにカイザスが見せかけたのは。
あの時、ナーシェンとの接触の現場を目撃されないため、自分の姿を隠す「不可視の光幕」の魔法を発動しただけだ。
面倒ではあったが。誰にも目撃されないように、水晶球で監視していた場所までは自分の足で移動する必要がある。
馬も使えない。使えば、馬が一頭姿が消した事でカイザスの不在も露呈してしまうから。
「……さて」
部屋を出たカイザスはまず、養成所内の動向に耳を澄ませ、探りを入れていく。
本来であれば今すぐにでも、「不可視の光幕」で姿を消して移動し。ランディらを襲撃したかったが。
もしジルガが、ヘクサムから悪名付きの討伐隊、もしくは遠征訓練に出た二組の回収のため、捜索隊を向かわせる決定を下したのならば事態は変わってくる。
外に捜索隊が出歩く状況で、魔術師であるカイザスが八人を襲撃すれば。
発動時にどうしても大きな音や衝撃を発生させる攻撃魔法は、隠密行動に不向きであり。魔法の発動はみすみす自分らの位置を知らせるような愚かな行動だ。
もし、襲撃の場面を目撃されたら最早何の弁明も出来ず。訓練生を殺害しようとした罪に問われてしまうだろう。
「既に捜索隊、あるいは討伐隊が編成されているなら、むしろ部屋に篭っていたほうが無難なのだが……」
しかしカイザスの危惧に反して、養成所内は確かに慌しくはなっていたものの。まだ所員は誰もヘクサムの外には出ていなかった。
「──どうやら、誰も動いてないみたいだな」
訓練生同様に所員もまた、有事の際にはヘクサムの守備要員として扱われ。危険な「村喰い」なる小鬼が報告されているならば、訓練生ではなく所員が捜索隊、または討伐隊に選ばれるだろうから。
つまりは、目撃される懸念は解消された。
「……ならば」
カイザスが姿を消すための魔法の詠唱を口にしようとした、まさにその瞬間だった。
「おい」
「──ひぃっ⁉︎」
大きな手の平でカイザスは肩を掴まれる。その感触に驚き、身体を震わせながら小さな悲鳴を口から漏らしてしまった。
短いながら、耳に届いた低い声にカイザスは聞き覚えがあり過ぎたからだ。
「しょ……所長っ、な、何で?」
恐る恐る、肩を掴まれた側へとゆっくりと振り向くと。予想通り、立っていたのは笑顔を浮かべた所長のジルガだった。
周囲を警戒していたはずなのに、何故これ程の接近を許してしまっていたのか。だが、いくら疑問に思ったところで、肩を掴まれているのは間違いないのだ。
困惑していたカイザスの質問に、ジルガは笑顔を浮かべたまま口を開く。
「何。お前に聞きたい事が一つあってな」
その一言に、カイザスの身体は硬直する。
「不可視の光幕」
光を屈折させる効果を持つ光属性の魔力を術者の周囲に展開し、屈折率を魔力で調整する事で他者の視界に自身の姿が映らなくなる、視覚阻害の効果を発揮する中級魔法。
非常に隠密に適した効果の反面、魔法の維持には発動時以上の魔力を必要とし。激しい運動を行った場合、魔法の効果は解除されてしまう。
また展開した魔力はあくまで自身の姿を隠蔽するだけで、視覚に映り込む背景には確実に違和感を覚えるため。
人の目に晒されながら隠密を続けるのは、この魔法は適していない。




