110話 ヘクサム、街の外の異変を知る
アズリアとナーシェン組が出発し、暫くしたヘクサムの街では。
兵士養成所の所長・ジルガが伝令の報告を聞き、驚きの声を響かせていた。
「何だとっ! この近くに強力な小鬼が……だとおっ?」
「は、はい。なんでも……北の国境沿いにある村を既に幾つか、壊滅させた程だとか……」
「むぅぅ……っ」
このヘクサムの街は、白薔薇を家紋とする「帝国の三薔薇」が一つ、エーデワルト公爵の領地の北寄りに位置する。
そして帝国の最北端には隣接する国家はなく、その代わりに「北狄」と称される下位魔族の大規模な集落が転々としており。時に集団で国境を越え、人間を襲撃してくるのだ。
今回、報告に聞いた「村喰いのグリージョ」なる悪名付きの小鬼もまた、国境の向こう側にある北狄の支配地域からやって来た、と推察したジルガは。
「もしや……先日の遠征で、帰還しなかった連中も悪名付きに遭遇して……」
四日前に訓練の一環として行った、訓練生ほぼ全員による遠征だったが。
養成所に帰還しなかった訓練生が、数人ほど見受けられた事と。今回、報告を受けたばかりの悪名付きとの関連を疑い始める。
大柄な外見と豪快な性格や言動から、戦闘思考に偏っていると勘違いされがちなジルガだったが。
兵士養成所という帝国にとって重要な施設の長を任されている時点で、決して短絡的な人間ではない。
にもかかわらず、何人かの訓練生がヘクサムに帰還しなかった要因を深く追及しなかったのは。訓練の厳しさに耐え切れず、養成所の外に出られる遠征訓練中に逃げ出す訓練生が毎回、数人はいたからだ。
大概の国家では、国境沿いや王都等の重要地点を除いて、兵士を常駐はさせてはおらず。いざ戦争になった時に住民の男を徴収し。
専門職であり戦闘階級である兵士長や騎士の指示の元、兵士として武器を持たせ。戦場に駆り出すのが通常とされているが。
帝国では、兵士もまた専門職として住民と区別されており。だからこそ兵士養成所に入るために、兵士としての適性を判断され、相応しくないと判断されれば入所すら認められないのだ。
大陸の覇権を宣言し、周囲の国家に侵略戦争を繰り返していた帝国において。戦力である兵士は重要な意味を持つ。
故に、軍事大国である帝国の内部では。養成所に入る事を「ある種の名誉」と捉えられているのも否定出来ないが。
一人前の兵士に育てるための過程は、決して楽な内容ではない。少なくとも、名誉のみを欲して養成所に来る人間に耐えられる厳しさではなく。
毎年、入所した半数ほどが退所、或いは脱落していく。
「てっきりいつものように、訓練に耐え切れず逃げ出したものかとばかり思ったが──」
ジルガを誤認させたもう一つの理由は、帰還しなかった訓練生が。訓練の成果があまり芳しくなかった事だ。
だから遠征から帰還しなかった訓練生もまた、これまで同様に脱走したものとばかり判断していたジルガだったが。
自分の判断が誤りだった事に、ジルガは頭を抱えた。
「まさか、北狄が原因だったとはな……」
「あ、あの? それで所長、この後の対応は?」
報告を終えた伝令は、悪名付きに備えどう動くのかをジルガに訊ねた。
本来であれば、兵士養成所があるヘクサムで近隣の脅威を取り除いて欲しいのが本音だが。
ジルガの対応次第では、ヘクサムのさらに周囲の街や村にも警戒のために。伝令は報告に動かなければならないからだ。
養成所の所長だけでなく、ヘクサムの街の統治も任されているジルガに、後悔や反省に浸っている暇はない。街を守るために何らかの判断を下さなければならないのだが。
しかし、ジルガにはもう一つの懸念が。
「……しまった。今、外には」
それは、今朝早くにヘクサムの外へ送り出していった八名の事だ。
男爵家という肩書きを無駄に過大評価し、これまでも何度か訓練生との問題を起こしてきたナーシェンだったが。
昨夜もまた、所長であるジルガを通さずに。新しく入所したアズリアを勧誘し、勝手に部屋割りを変更しようとする騒動を起こしたのだ。
いくら貴族出身だとはいえ、さすがに何度も所長としての顔を潰されては黙っていられるジルガではなく。
騒ぎの発端となったナーシェンら四人と、絡まれたアズリアやランディら四人には。騒動を起こした懲罰として遠征訓練を課したのだったが。
「問題は……あの連中をどうするか、だ」
何しろ、ヘクサムの近郊には報告にあった悪名付きが迫っており。既に何名か、訓練生が犠牲になった可能性すらある今。
遠征訓練の最中の二組を発見し、連れ帰るために人数を割きたいジルガだったが。そうなれば万が一にもヘクサムが襲撃を受けた場合、防衛のための戦力が減ってしまう。
さりとて。
いくら模擬戦でジルガと互角以上の戦果を見せたランディら四人とはいえ、悪名付きを相手にして生きて帰還出来るとは到底思えず。ましてや実力の数段劣るナーシェンら四人が遭遇したならば、生還は無理だと断言出来る。
つまり、八人を見捨てるか否か。
実質、その判断をジルガは迫られていたのだ。
「……むぅぅ」
苦悩するジルガ。それも当然だった。
先日の遠征訓練で悪名付きの接近に気付かない失態を、ジルガは既にしていたのだから。
いくら問題児とはいえ、ナーシェンは先のコルム公国侵攻戦で活躍を見せた英雄の一人だ。その子息を死なせてしまえば、少なからず問題になるだろうし。
ランディら四人は、先日の模擬戦で四人掛かりで見せたように。所長であり歴戦の勇士であったジルガと互角に渡り合える程の。こんな場面で失うには惜しまれる将来有望な訓練生だ。
さらに判断を誤り、失態を重ねる真似をすれば。所長の地位を失うどころでは済まないからだ。
◇
その一方で、養成所唯一の魔術師である副所長のカイザスは自分の部屋で。
机を両手で叩き、大声を上げて怒りの感情を露わにしていた。
「──馬鹿なっ⁉︎」
カイザスの視線の先にあったのは、机上に置かれた拳大の透き通った水晶球。
その球の中に映し出されているのは、地面に倒れていたナーシェンに。悪名付きを倒し休息を取っていたアズリアら四人の姿。
そう。
ナーシェンらに手渡した、聖銀の魔剣に攻撃魔法を発動出来る短剣とあと一種──四個の腕輪には。
離れた位置に視線を飛ばす事の出来る魔法を仕込んでおいたのだ。
腕輪の効果により、ヘクサムの外で起きていた一連の出来事、その大体をカイザスは把握していた。
「あれ程の魔導具を渡しておいてあの連中どころか小鬼にすら負けるとは……ナーシェン、あまりにも不甲斐ないっ!」




