108話 アズリア、イーディスからの提案
「い、いや、反対ッてどういう……水場探しがそんなに嫌なら──」
「そうじゃない」
最初、アタシは。偵察に適した隠密行動や索敵能力に優れたイーディスに、これまで何度も周囲の探索に任せていたが。さすがに何度も偵察に行くのを嫌がり、拒否したのかと思った。
が、イーディスは即座に首を左右に振って、アタシの仮定の話を否定すると。
「俺は……この時点で、撤退をすべきだと思う」
そう言って、出発時に配給された荷物を入れた革袋に手を入れ。袋の中から火口箱と一緒に、何かを取り出してみせるイーディス。
その何かとは、不自然に着色された一本の枝。
イーディスが着色された枝を出したのを見て、アタシも思わず腰に手を回し。自分の荷物にも同じ枝があるのかを確認しようとしたが。
手を動かした後に思い出す。
「あ。そうだ……アタシの荷物は」
食糧や寝る時に身体に巻く布などか入った荷物は戦闘の邪魔になると。今回戦った小鬼を発見した際に、地面に落とし。
今、手元に所持していなかった事を。
一方で、アタシがそんな事をしていたのを意に介さず。
火口箱から取り出した着火用の石で、集めた枯れ木で火を起こそうとしていたイーディスは。
「予め持たされた小枝を火に焚べれば。枝と同じ色の煙が発生し、ヘクサムに緊急事態が起きたのを伝える事が出来る」
「そ、そりゃ……つまり」
故郷でも、街の周囲で魔獣や下位魔族が発見された際には煙を焚き、街に危険を知らせる事が何度か遭ったが。
今、イーディスは同じ事をしようとしていたのだ。
だがそれは同時に。
数日はヘクサムの外で野営をする、という遠征という訓練を自ら放棄する、という事でもある。
「ああ。煙を見てからだから、今すぐ救援……というわけにはいかないだろうけどな」
何しろ、サバランは盾が破壊され、ランディは体調を崩す程に魔力を消耗しており。
アタシも頭の傷や背中の火傷がある以上、小さな獲物を狩る程度の戦闘すら避けたいのが本音だ。
戦闘を終えたばかり、興奮が冷めやらぬ頭のままであったなら。或いは意地を張るあまり、イーディスの提案を跳ね除けたのかもしれないが。
「まあ……助けを呼ぶのも。この状況じゃやむ無し、かね」
一度、頭の傷が開き血を流したせいか興奮がすっかり冷めたアタシは。既にこれ以上の野営と野外探索を続行するのは難しい事を、すんなりと受け入れる。
唯一まともに動けるイーディスを除く、アタシら三人の状況もだが。
小鬼との戦闘中、突然こちらを攻撃してきたナーシェンの取り巻き三人はというと。両足首を麻縄で縛り上げられ、完全に身動きを封じられた状態だ。
もし遠征を続けるとなれば、足首の麻縄を解いて自力で歩かせるか。負傷しているアタシらが三人を担いで歩かなくてはいけないのだ。
「あの連中を担いで歩き回るのは無理だ、ッて話だもんな」
「ああ、それなんだがな」
すると、手早く火打石で焚き火を起こしたイーディスが。取り巻き連中が手にしていた抜き身の魔法の短剣を取り出し。
地面に寝かせていた取り巻きの一人の首に、短剣の刃を近付けていく。
「取り巻きは、ここで始末してしまったほうがいい」
「お、おいッ?」
「誰も見ていない今なら、小鬼に殺された事にも出来る」
イーディスの言う事にも一理ある。確かに今、アタシも「取り巻きを連れて歩く」事に重荷を感じてしまった。
とはいえ、自分らを襲った連中を放免する事など武器を没収したとしてもあり得ないが。
いくら邪魔になるからといっても、殺すという選択を突然突き付けられ。あからさまにアタシは動揺してしまう。
たとえイーディスの言う通り、今ならば小鬼や悪名付きに襲われ、殺された事に擬装が出来ても、だ。
「アズリア。お前だって背中を焼かれて、正直腹に据えかねてるんだろ?」
「そ、そりゃあ、そうだけどッ──」
イーディスにそう問われ、正直に言えば。短剣を手放させる際に手首を蹴り折ってやった程度では腹の虫が治らないのは確かだ。
だが、殺してやりたいという程ではない。
魔獣や小鬼を殺すのに抵抗のないアタシだが。同じ人間の生命を奪う事には心の葛藤があった。
何しろ、故郷で酷い扱いを受け、時に身体を狙われて襲われたコトもあったアタシだったが。襲撃犯を殺した事は一度もなかったからだ。
「……アズリア。イーディスの奴ありゃあ本気であの連中を殺るつもりだ」
すると、地面に座っていたサバランがそっと小声でアタシに警告してくる。
見れば、確かにサバランが言うように。短剣の刃を取り巻きの首に押し付けていたイーディスの眼には一切の躊躇は感じ取れず。
今すぐにでも、首筋に当てた刃を横に引き、些かの容赦なく首を真横へ斬り裂いてしまうだろう様子に。
ならば──容赦のなさを察知したサバランが止めれば良いのでは、と思ったアタシだったが。
アタシに囁くために一度立ち上がったサバランが、一瞬見せたのは苦痛に歪めた顔だった。
アタシを庇い、炎の魔法を盾で受け切ってみせたサバランは。その時の爆発で両脚に火傷を負い。おそらくは立ち上がって、アタシに警告するのがサバランの限界だったのだろう。
「わかった。任せな、サバラン」
アタシは、本気で取り巻きをこの場で処理してしまおうとしていたイーディスを止めるため。
背中の痛みを堪えて立ち上がったと同時に、地面を蹴って飛び出していく。
『んんっ! んむっ! んんんんっっっ──』
短剣の刃を首に押し当てられていた取り巻きは。何とか危機的状況から逃がれようと藻掻き、命乞いを始めるも。
攻撃魔法の詠唱を封じるため、口には布地を被せられており、言葉にならない呻き声だけが虚しく響き。
「煩い……黙れ」
イーディスが苛立ちと一緒に言葉を吐き捨て、短剣を真横へと引こうとした。
それよりも一瞬だけ早く。
アタシが、短剣を持つイーディスの手首を掴んで止めた。
手首を掴んでイーディスの凶行を制止出来たアタシは、間髪入れずにもう一方の手で短剣を払い落とす。
まさかアタシに止められるとは思ってもみなかったのだろう。
驚いたように両目を見開きながら、短剣を落とした自分の手とアタシの顔を交互に見ていたイーディス。
「はぁ、ッ……はぁ、ッ! こ、この馬鹿ッ!」
本当にイーディスが殺害を試みていたのは、首に当てた刃が肌に喰い込み、血が滲んでいた事から判断出来た。
アタシは、望まぬ血を流す理由に自分を使われた事に憤りを覚えたのか。
「勝手にアタシの気持ちを代弁しようとしてんじゃないよッ!」
「──ぐ」
気付けば、イーディスの頬に拳ではなく、平手打ちを放っていた。




