107話 アズリア、野営の準備に動く
一度言葉を区切った後、大きく息を吐きながらサバランは呆気らかんと答える。
「脚の傷はまあ……歩けるくらいにはなったけど。こっちは装備が駄目だ」
サバランとランディがその言葉と同時に、地面に転がっていた盾に視線を向けた。
盾を所持していたのは、この場にいる人間ではサバランのみ。つまり必然的に落ちていた盾はサバランの、という事となるが。
「装備って、盾がか?」
「ああ。さすがに至近距離で魔法を喰らったからな。これ以上は使い物にならなくなっちまった」
見れば盾の表面は、黒く焼け焦げているばかりでなく、大きな亀裂が数本入っていた。
炎の魔法、それが眼前で爆発した影響に。悪名付きの棍棒を何度か防御してみせた影響もあるのだろう。
サバランに庇われる位置、つまりは背後にいたアタシは盾の裏側しか見る機会がなく。盾の表面がここまで破損しているなど想像も出来なかったが。
サバランの言う通り、あと一撃攻撃を止められるかも怪しい破損状況だ。
「アズリアは戦闘が困難、サバランの盾も使えない……か」
アタシとサバランの現状を聞いていたイーディスは、困り顔を浮かべで考え込むように腕を組むと。その視線は、アタシらとは別の位置に向けられている。
悪名付きとの戦闘の最中に突如、こちらを魔法で攻撃してきたため。現在、麻縄で拘束中のナーシェンの取り巻き三人へと。
「それに。あの連中を縛り上げたまま、連れて歩くとなると──」
「た、確かにッ……」
その発言で、イーディスが何を悩んでいたのかをアタシは即座に理解した。
昨晩の言葉での諍いとは訳が違う、明らかに生命を狙ってきた取り巻きらの行動を許し、ただ解放してやるわけにもいかず。
だからといって、拘束したままこの場に放置をすれば、間違いなく小鬼や魔獣の手に掛かり生命を落とす。
だが、たとえアタシが傷を負っておらず、サバランの盾が無事だった状態だとしても。こちらと同じ人数を引き連れ数日間、ヘクサムの外で活動する事は到底不可能だ。
ナーシェン含めて四人の身柄をどう扱うのか、悩みに悩んでいたイーディスが出した結論はというと。
「……どうする、ランディ?」
サバランの状態を確認した時から黙り込んでいたランディに、判断を仰ぐという選択だった。
元々、同部屋にいたサバランとイーディスだけでなく、アタシもまた。最終的な判断をランディに任せる事に納得し、承諾したばかり。
しかし。
ランディも判断に迷う程の案件だったのか、イーディスに話題を振られた後も、中々言葉を返さなかった。
アタシもサバランも顔を上げ、ランディが拘束した四人をどう扱うかを今か今かと言葉を待った──が。
「ん? お……おいランディ、アンタ……ッ」
ふと、ランディの顔を覗き込んだアタシは違和感を覚えた。
ランディの目の焦点が合ってはおらず、まるで呆けたような態度に気付いたからだ。
「く……っ?」
「ランディ!」
地面に寝転がっていたアタシが声を張り上げ、ランディの名前を叫んだのとほぼ同時に。
突如、頭を押さえたランディが苦悶の表情を見せ、片膝を突いて地面に屈み込む。
「わ、悪いっ……悪名付きとの戦闘で、魔力を使い過ぎたみたいだ……っ」
「……あ」
最初こそランディの異変に驚いてしまったアタシだったが、その理由を本人の口から聞いて納得してしまった。
悪名付きとの戦闘では三種の魔法を使ってみせたランディだが。その直前の複数の小鬼との二度の戦闘でも、多数を吹き飛ばした炎を放っていた。
合計五発、決して短くない時間で連続で魔法を発動させたなら、魔力の使い過ぎで体調の異常を引き起こしたとしてもおかしくない。
故郷でアタシに根気よく、魔法の何たるかを教えてくれた老魔術師も。子供らの前で魔法を披露しすぎて、今のランディと同じような状態に陥っていた事を思い出す。
「し、心配するな……魔法を使い過ぎただけだ。落ち着くまで休めば、大丈夫だから……」
これもランディの言葉の通り、異変の原因が魔力が減少した事ならば。暫く身体を休め、魔力が回復すれば、ランディの体調は元通りに戻る。
アタシの傷の影響と違って。
「な……なら、ランディの答えを待つまでもないね、ッ」
頭を殴られた影響による目眩もほとんど治まり、腕や脚に力が入るようになったアタシは。ゆっくりと身体を起こし、何とか片膝立ちまで体勢を戻していく。
「む、無理に立とうとするなアズリアっ、この中で一番酷い怪我してるのは、お前なんだからな!」
「は、ははッ、平気平気……もう痛みにゃ慣れたから、この程度──ッ」
まだ傷は痛むが、時間が経過した事でアタシの身体が背中の痛みに慣れてきたのか。我慢をすれば少しは動けるようになった。
「さっきの戦闘、ロクに動けなかったのにいつまでも寝てるワケにゃいかないよ……それに」
何しろサバランは脚を負傷し、ランディも魔力枯渇一歩手前で動けないのだから。
せめてランディの魔力が回復するまでは、この場を動くのは困難だ。
「とりあえずはこの場に留まるしかない、だろ?」
「そう……だな」
「だとすりゃ、やるコトは山積みだからな。イーディス一人に任しちゃおけないだろ」
野外で休息を取る場合には、本来ならば比較的に安全、かつ水場を発見してからというのがアタシの経験上の鉄則だったりする。
水場の位置を把握していないと困るが、水場は辺り一帯の生き物が集まってくる場所でもあるため、近過ぎても獣や小鬼らとの遭遇の可能性が高くなる。
それにもう一つ、早急にすべき事。
それは、小鬼らの死体の処理だ。
ランディの炎の魔法で焼け焦げた亡骸はともかく、悪名付きなどは盛大に首を飛ばした事で。
辺り一帯には、小鬼の血の匂いが充満していた。
先程、一〇体以上の小鬼と交戦した戦場では。戦闘終了後にその場に留まるつもりがなかったため、死体を土に埋める処理のみだったが。
戦場となったこの場に留まる場合、周囲に遠慮なく撒き散らした血の匂いに釣られ、獣や他の小鬼等が集まってくる可能性が高い。
遠征開始時に、養成所で用意された水袋にも飲み水は入ってはいるが。四人、いや。ナーシェンらの水袋を強引に徴収したとしても、この場から血の匂いを消すには水量が全然足りない。
そう。血の匂いを洗い流すためにも、実は水場は大変重要な役割を持っているのだ。
「なあ。イーディス。悪いんだけどさ、この辺りに水場がないか……偵察を頼めないかねえ?」
辛うじて動けるアタシとサバランで、辺りに無造作に転がっていた小鬼と、首のない悪名付きの亡骸を埋め。
唯一、この場でまともに動く事の出来るイーディスに、水場を探す役割を託す事にした。
アタシは一瞬、両手首を後ろ手に、両足首も麻縄で縛られ、地面に転がされていたナーシェンら四人を見る。
人の手が足りない、という事もあり。最初アタシは現在拘束しているナーシェンの取り巻き三人を脅して処理を手伝わせる……という案も頭に浮かびはしたが。
魔法の短剣は没収してあるが、それでも取り巻き三人の縄を解くのは、現時点で危険が伴うと判断し口に出しはしなかった。
ところが。
「……悪いが、俺は反対だ」
アタシの提案に、イーディスは間髪入れずに否を突き付けてきたのだ。




