104話 アズリア、白薔薇姫と衝突した過去
事の始まりは、いつものように路上で食事を口にしていたアタシに対し。
騎士を引き連れた白薔薇姫が嫌がらせをしてきたのが発端だった。
「何ですの……この汚らしいものは?」
確かに、貴族の令嬢が顔を背けてそう表現するのも無理もない。
アタシが食べていたのは、どうにか街中からかき集めた野菜の切れ端や古く固くなり過ぎたパンをドロドロに煮たモノだったから。普段から贅を尽くした料理を口にしている貴族から見れば、「汚らしい」と思われるのも当然だろう。
だが、その後がいけなかった。
白薔薇姫が目線で合図を送ると、周囲に控えていた騎士が今日のアタシの食事が入った食器を蹴り飛ばしたのだ。
騎士の脚を避けられなかったため、当然食器は空中を舞い、中身であった食事は周囲にぶち撒けられ。
呆然としたアタシは、食べる筈だった煮込みを頭から浴びる事となってしまった。
「アタシの、食事が……ッ?」
「え、っ? 食事? これが?」
一瞬、狼狽えたような反応を見せた白薔薇姫だったが。
咳払いを一つし、何事もなかったかのようにあらためて振る舞うと。
「ま、まあっ……わ、私には年老いた荷馬の餌にしか見えませんでしたわ! ああ、汚らしいっ!」
白薔薇姫は、さらに騎士に目配せをすると。騎士が腰の革袋を丸々、食事を頭から浴びてぐちゃぐちゃになったアタシの足元へと放り投げた。
革袋の口を縛る紐が緩み、中から銅貨が一枚溢れ落ちた。どうやら革袋の中身はそれなりの枚数の銅貨だった。
「せめてその金で少しはまともな食事でも口にしなさいな」
一日に一度の食事を台無しにされたばかりでなく、その食事を頭から浴びていたアタシは。これまでも同様にあった白薔薇姫の嫌がらせに、我慢の限界に達してしまい。
施しの革袋も白薔薇姫の言葉も、怒りで目や耳に入ってはいなかった。
「……言いたいコトはそれだけかよ」
「何ですって?」
施しをした事で、すっかり満足げな表情を浮かべていた白薔薇姫だったが。
憤りを含んだアタシの言葉を聞いて、機嫌を損ねたのか、途端に顔から笑みが消えた。
『貴様っ! 平民の、貧民ごときがベルローゼお嬢様に対して、無礼なっ──』
主人の不機嫌を感じ取ったのか、周囲の騎士にも緊張が走り、全員が腰にある剣の柄に手を掛ける。
おそらくは威嚇のつもりだったのだろうが。
騎士らの行動は、白薔薇姫の嫌がらせで怒っていたアタシには完全な悪手だった。
「ああ、そうかいそうかいッ……」
アタシは偶然、近くに見つけた手頃な長さの薪木へと手を伸ばすと。
騎士が察知するよりも素早く立ち上がり、握った薪木を棍棒代わりに、構えていた騎士の一人へと殴り掛かる。
アタシの食事を蹴り飛ばし、台無しにした張本人の騎士へと。
「無礼も何もねえッ! 先に手を出したのはアンタらだろうがよおッ!」
騎士も、まさか一二歳のアタシが先制攻撃に出るなどと想像してなかったからか、完全に虚を突かれ。
アタシが振るった薪木の一撃を避ける事が出来なかった。
『う、うおっ⁉︎』
狙いは、普段なら装着している鉄兜を外していた頭。
しかしさすがは騎士。回避は出来なかったものの、籠手を装着していた腕を差し込み、どうにか防御は間に合ったが。
今の防御で腕を痛めたのか、防御した騎士は腕を抱えて片膝を突く。
『ぐあぁぁっっ? う、腕がっ……』
「ふん」
アタシは一旦立ち止まり、髪や顔に付着していたドロドロに煮込んだ汁を手で拭うと。
膝を突いて、丁度良い頭の高さに屈んでいた騎士に向け。手に付着した汁を飛ばした。
『な、何だこりゃ、く、臭っ? う、うおおおっっっ⁉︎』
「はッ、どうだい? アンタらが『汚らしい』と言ったアタシの食事の味はさあ」
野菜の切れ端といっても、数日放置された腐りかけも混じっており。胸焼けするような据えた異臭がする煮込み汁だ。
その汁が顔に付着した騎士は、慌てて拭おうとするが。籠手を装着していた腕では上手く拭う事が出来ず、困惑している様子だった。
そして、大騒ぎをする人物がもう一人。
「わ、私の礼装服に……汚らしい染みがっ⁉︎」
それが、アタシが飛ばした汁が着ていた礼装服に付着し、染みが出来てしまった白薔薇姫──という訳だ。
腰の剣を抜くか抜くまいか、判断に迷っていた護衛の騎士らの前に歩み出できた白薔薇姫は。
騎士と同じく腰に下げた剣に手を掛けると。騎士とは違い、迷いなく鞘から剣を抜き放つ。
「しかも、私を護衛する騎士にまで手を出したその所業はっ! 最早許し難いですわ!」
腰から抜いたばかりの剣──いや、通常の剣と比べ細身で刃の薄い、斬る目的ではなく突くのが目的の剣。
その鋭く尖った切先を真っ直ぐアタシへと向ける。
「決闘ですわ! 忌み子っ、この私が直々に躾て差し上げますっ!」
「アタシも、いい加減アンタには腹が立ってたんだ……いつもいつも、絡んできやがって」
騎士に一撃を喰らわせたアタシは、感情の昂りを抑えるつもりもなく。握り締めた薪木を構えて、剣を構えた白薔薇姫との距離を一歩、また一歩と詰めていく。
「はっ、笑えませんわね……そんな木切れで、この私の聖銀で出来た剣と対決しようだなんて」
言われてみれば、白薔薇姫が向けた鋭い剣が放つ光沢は。普段、アタシが見る衛兵らが持つ鈍い輝きの鉄の武器とは全然違う。
磨き上げられた表面は白く輝きを放ち、しかも陽の光が当たる度に色彩を変える、思わず吸い込まれそうになる美しさ。
それこそが鉄と聖銀の違いという事か。
「……アンタこそ、聖銀だか何だか知らないけど、そんな立派な剣使って。後で言い訳するんじゃないよッ」
「……言いましたわね」
「ああ、言ったさ。それが何だッてんだい」
一歩、さらに一歩と接近していくアタシ。
そのアタシを睨み据えた白薔薇姫との間には、まさに一触即発の空気が張り詰めていたが。
『お……お待ち下さいっベルローゼお嬢様っ‼︎』
アタシと白薔薇姫との間に、必死の形相で割り込んできたのは護衛の騎士だった。
それも、先程アタシが腕を殴り付けた騎士以外の全員が。
突如、騎士らにアタシとの対決を阻止された出来事に。こちらに放っていたのとはまるで種類の違う不機嫌さを露わにして、騎士らを睨む白薔薇姫。
「……何ですの、お前たち。私がよもや、この忌み子に負けるとでも?」
『い、いやっ、そうではありません。決してそうではないのですがっ──』
白薔薇姫との接触を文字通り身体を張って阻止した騎士らは、腕を痛めた騎士に目配せをするのをアタシは見逃がさなかった。
最初は、自分らに気を取られている間に。不意を突いて無礼を働いたアタシに攻撃を仕掛ける算段なのかと思ったが。
どうやらアタシの予想は外れたようで。
腕を押さえていた騎士が首を左右に振ると、目配せをした騎士は明らかに落胆した視線を白薔薇姫へと向けた。
「ははぁ……そういうコトかよ」
二人の騎士の言葉無きやり取り、その意図をアタシは何となく理解した。
おそらくは、腕に打撃を受けた騎士は実際に身体に受けた威力から、白薔薇姫の実力ではアタシに勝機がない事を目線のみで伝えたのだ。
「勝てない」などと言葉にすれば、主人の癇癪が自分に向くと理解していたから。




