100話 アズリア、激痛を堪えて動く
──一閃。
そのイーディスが振るったのは、鋭く尖った槍先とは真逆の、刃の付いていない槍の底。
取り巻き二人が握る短剣を、その手から弾き飛ばしていった。
『な……あっ? だ、短剣がっ!』
「これで、お前らが魔法を使う事はない」
その発言は、あくまであの連中が自力で攻撃魔法を扱えない場合にのみ真実となる。アタシも、イーディスも完全な確証はなかった。
しかし。
『……終わりだ』
短剣を手から飛ばされた二人は戦意を喪失したのか、項垂れへたり込んでしまった。
どうやら「短剣の力で攻撃魔法を使えていた」という推察は、的中していたようだ。
これで取り巻きの二人は無力化したも同然だ。
これで取り巻きは、あと一人。
先程、炎を魔法を放った残る一人は。まだ攻撃魔法を詠唱無しで使えるようになる短剣を手にしていた。
攻撃対象だったアタシどころか、盾で防御したサバランも今の魔法の炎で五体満足に立っている様子に。
『う……嘘だ嘘だ嘘だあぁぁぁっ! 俺の、攻撃魔法が盾で防がれるなんてええええ!』
仲間二人が無力化された事などまるで気に留めず、感情的な大声を発しながら。
妙な構えで短剣を握り締めていた取り巻きの一人は、再び魔法を発動する素振りを見せる。
「アイツも止めないとッ! まずは短剣を──」
先程はサバランに庇われたのだ。先に取り巻きの行動を察知したアタシが、イーディスのように魔法を止めるために動こうとしたが。
「……ぐ、あッ!」
一歩、足を踏み出した途端。最初に不意を突かれた際に魔法の炎の直撃を受けた背中に突如、激痛が奔った。
アタシはこの時、初めて自分の背中を確認すると。着ていた制服の背面は完全に焼け焦げ、肌のあちらこちらに痛々しい火傷が刻まれているのが見えた。
「さ、サバランッ、アタシの代わりにアイツを……止めてくれッ!」
背中の激痛で二歩目を踏み出す事が出来なかったアタシは、代わりをサバランに託そうとしたが。
「わ、悪いなアズリアっ……俺もちょっと、すぐには動かせそうにはないんだ……ぐ、っ」
炎の魔法を盾で防ぎ切った事ばかりに気を取られていたアタシは、その時初めて。
盾の眼前、サバランの至近距離で炎が爆発を起こした時に、盾を構えていなかったサバランの腰から下の部分がどうなっていたのかを知る事が出来た。
「サバラン……あ、アンタッ……」
盾で庇われていない脚を覆う衣服には、石礫などで無数の裂傷が作られ。吹き付けた熱風が衣服の上からサバランの脚を炙っていた状態だった。
サバランがアタシの頼みを断るのも当然だ、この傷では碌に足も動かせまい。
だが、地面に座り込んだ取り巻きはアタシやサバランに配慮する事なく、魔法を発動しようとしていた。
『次こそっ! 次の魔法で焼き殺してやるっ!』
もし今、先程のように炎の魔法を発動されてしまった場合でも。おそらくはサバランはアタシの前に立ち塞がり、再び盾を構えて炎を防御するのだろうが。
盾で防御出来ない箇所、つまりは腰から下は。今度こそ取り返しのつかない火傷を負わせてしまう事になる。
それだけは何としても避けなければならない。
「なら──アタシが動くしかないじゃんかよおッ!」
そう叫んで今一度、足を数歩動かすと、やはり火傷を負った背中が激しく痛む。
それだけでなく、何かが背中から剥がれ、その箇所から体液が滲み出る感触。無理に動いた事で焼け焦げた肌が剥がれ落ち、塞がりかけていた傷口が開いたのだろう。
「が……ぐ、ぅッ! こ、こりゃ……傷口拡がっちまったか……ねッ!」
それでもアタシは奥歯を噛みながら、何とか痛みと不快さに耐え、懸命にサバランの前に出ると。
魔法を発動させようとこちらへと向けていた短剣の切先との距離を一気に詰める。
「今はッ……今はとにかく我慢しないと、ッ! アタシもサバランも終わっちまうんだよッ!」
『く、くそ、来るなっ?』
アタシの突然の接近に驚いた取り巻きは、三度炎の魔法を発動させようとするが。
発動の速度が明らかに、前の二度よりも遅い。
『ま、魔法が発動しない? お、おいどうしたっ?
早く……早く炎を起こせよっ!』
必死になって短剣を上下に振り、これまで同様に魔法を使おうとする取り巻きだったが。
ようやく短剣の柄が光り、魔法の発動の準備が整ったかと思った──その時。
「させる……かあぁッ‼︎」
移動のための前傾姿勢を起こすと、アタシは剣を構えるのではなく。咄嗟に右脚による前蹴りを放った。
取り巻きが握っていた短剣目掛けて。
『し、しま……っ⁉︎』
ただ魔法を発動させる事ばかり注視していた取り巻きは、地面に座り込んでいるという体勢もあってか。アタシが放った蹴りを避ける事が出来ず。
蹴りをまともに受け、短剣は魔法の炎を具現化する事なく取り巻きの手を離れ、遥か空中を舞った。
攻撃の間合いこそ持っていた両手剣に劣る脚での攻撃だが、短剣を手放させるには色々と都合が良かったからだ。
まず、剣による攻撃には「武器を構える」と「力を溜める」の二つの動作が必須となるが、蹴りの場合は一つで済み。しかも剣を使う場合と比べ、短く済むという利点がある。
だからこそ咄嗟に足が動いたのかもしれないが。
一番の理由は、アタシの足には刃が付いていない事だ。
通常ならともかく、背中の激しい痛みに耐えている今の精神状態では、力の加減をするのは相当に難しい。
増してやアタシは一度、不意を突かれ。短剣を使った炎の魔法で背中を焼かれている。
そんな感情を抱えながら、両手剣なぞ振るおうものなら。魔法を阻止するため、短剣ごと取り巻きの両手首まで斬り落としてしまいそうだったから。
だが、それでも。
大声で喚きながら、不自然に手首から先がブラブラと揺れていた腕を押さえる取り巻き。
『ぐ、ぎゃあああああ! お、俺の手首があ? 曲がっちゃいけない方向に曲がってるうう!』
アタシとしては短剣を手離してくれさえすれば良かったのだが。どうやらその際に、取り巻きの手首を強打し過ぎたようで。
手首の骨を折ったか、下手すれば砕いてしまったかもしれない。
手首が折れている事に気付いたからか、襲ってきた痛みに耐え兼ね地面を転げ回っていた。
アタシは苦痛に喚く取り巻きを見下ろしたまま。
「……騒がしいね。アンタもアタシの背中を焼いたんだ。言わばコレで貸し借りは無しッてヤツさ」
再び取り巻きに拾われないよう、落下し地面へと転がった短剣を足蹴にし、冷たく言い放つ。
何しろこの三人は、悪名付きに率いられた小鬼複数の時点で圧倒的劣勢だったのだ。放置していたら、小鬼の手か或いは悪名付きの棍棒か、遅かれ早かれ生命を落としていたに違いない。
そんな絶体絶命の窮地を、アタシらに救ってもらったにもかかわらず。背中から不意を突き、奇襲──いや裏切りを仕掛けてきたからだ。
「アタシらが悪名付きから助けてやったッてのに──」
三人の罪を振り返っていたところで、アタシは重要な事を忘れかけていた事にようやく気が付く。
それは。




