99話 イーディス、戦場を駆ける
当然、迫った水球と渦巻く風の二種の魔法は、それまでイーディスが立っていた地面へと炸裂し。余裕を持って回避する事が出来た。
『な……何だよ、その脚の速さはっ?』
離れた位置から観戦していたアタシでさえ、イーディスが見せた移動速度に驚いたのだ。
そのイーディスを魔法で狙っていた、取り巻きの二人が今の動きに驚かない筈がなかった。
『く、訓練の時にはそんな動き、一度も見せたことが──』
その口振りから、どうやらアタシ同様に。イーディスがこんな速度で動ける、というのは初見だったらしく。
明らかに動揺していた二人だったが。
『ば、馬鹿っ……何、感心してるんだタワーズ! ナーシェン様が倒れてる今、何とかしなきゃ俺たちは破滅だっ!』
『そ、そうだな……それに、二対一ならどうにか』
一方が飛ばした叱咤によって、どうにか動揺から立ち直った取り巻きの二人は。
つい直前に発動してみせた「飛燕脚」によって、驚くべき速さで動くイーディスを迎撃するため。
『俺たちには、この短剣があるんだからなっ!』
再び短剣に魔力を集め、詠唱無しで眼前に水球と渦巻く風を発生させていく。
さすがに何度も魔法を発動させた場面を見たからか、ようやくアタシは。
「お、おいサバランッ……短剣だ!」
「は? ど、どういう事だアズリアっ?」
魔法の発動の瞬間に、取り巻きが揃って持っていた短剣の異変に気が付き。
慌ててアタシは取り巻き二人の持つ短剣を指差して、庇うように盾を構え立っていたサバランへと違和感を伝える。
「魔法を使った時、アイツらの短剣が不自然に強く光ったんだ。もしかしたら……」
今、アタシが見た違和感とは。
魔法の発動の瞬間、取り巻き二人が持つ短剣の柄が妖しい輝きを見せた事だ。
幼少期、故郷でアタシに基礎魔法を根気良く教えてくれていた老魔術師だが。
脚が悪くもないのに、何故いつも杖を持ち歩いているのかを不思議に思い。直接理由を訊ねた事があった。
質問された老魔術師は気分を害する事なく、快くアタシの疑問に答えてくれた、その理由とは。
「あの短剣は。アイツらにとっての魔法の杖なのかもしれねえ」
──魔法の杖。
あの当時、アタシが老魔術師から聞いた話の限りだが。魔術師はより高位の魔法を、より簡易的に発動するための補助として。魔力を込めた宝石などを組み込んだ何らかの道具を常日頃から持ち歩いているのだという。
しかしサバランは元々、魔法の杖の存在を知っていたようで。過去に老魔術師から聞いた説明をするまでもなく、ただ単語を聞いただけで納得した様子で。
「なるほど……アイツらが魔法の杖を使ってるなら。いきなり攻撃魔法が使えるようになった事も理解出来る」
「そうなのか?」
アタシの疑問の声に、サバランが言葉を続ける。
「気付いてないのか? 昨日の訓練でも詠唱を覚えられなかった中にあの連中は混じってたんだぜ」
それが本当ならば、あの二人は詠唱無しどころか、通常の手順で攻撃魔法を発動させる事すら出来ない実力だという事だ。
もし、今の話が全て真実で。取り巻きが持っている短剣も、老魔術師が言っていた「補助の道具」だとするならば。
短剣を手放した時点で、攻撃魔法を発動させる事が出来なくなるか難しくなる。少なくとも詠唱無しで発動出来なくなるのは確定する。
だからアタシとサバランは声を揃えて。
「イーディス、短剣だ! 短剣を狙えッ!」
「短剣を叩き落とせば魔法は使えなくなるぞっ!」
短剣を奪えばあの二人を無力化出来るだろう事を、距離を空けていたイーディスへと大声で伝えた。
すると、アタシらの声に反応したかのように。
「そいつは──良い事を聞かせて貰ったっ」
既に魔法の発動を完了していた二人に対し、槍を構えて一直線に、「普通の速度で」突撃を始めるイーディス。
残念ながらアタシらは、養成所から一切の遠距離武器──弓矢や投石具等を渡されてはいないし、用意すらされていない。
だからアタシとサバランは距離があるため、短剣が怪しいと判明しても。イーディスに警告する以外に手段はなく。
今回のように、離れた距離から魔法で狙ってくる相手には接敵する以外に攻撃を当てる手段がない。
『い、いくら速くても、こっちに突っ込んでくるならっ!』
『ははっ、いい魔法の的だって……の!』
当然ながら二人も、懐に入られてしまえば体術や武器の扱いでイーディスに敵わない事を充分に理解しているらしく。
絶対的に有利な距離を維持するため、突撃してくるイーディスに対し。眼前に召喚した水と風をほぼ同時に解放し。
『タワーズ! お前は右から狙え!』
『わ、わかったイオ、絶対当てろよ!』
ここにきて二人は言葉を交わし、連携する事によって。
魔法の軌道を左右へと散らし、回避に使える空間を狭め、イーディスを追い詰めようとする。
だが、そんな二人の言葉を聞いて尚。いや聞いたからこそ、イーディスはニヤリ……と口端を吊り上げ、嗤う。
「……やれやれ。狙いが丸聞こえだぞ」
左右から挟撃を仕掛けるのは、先程アタシもランディと共闘し、実行したばかりだ。作戦としては上々ではある──が。
作戦とは、思い付いただけでは成功ではなく。
どう実行し、結果を出すのかが重要なのだ。
挟撃は、二方向から同時に仕掛ける攻撃の瞬間を相手に悟られては台無しに──いや、下手をすれば同士討ちを誘発される危険すらある。
とはいえ、攻撃を仕掛けた側は互いに声を掛け合い、立ち位置や攻撃の軌道を逐一確認するわけにもいかない。そんな事をしたら、挟撃が敵に露呈してしまう。
つまり、その場の思い付きだけで咄嗟に実行出来る作戦に、挟撃は不向きなのだ。
──案の定。
「……よっ、と」
突然、一直線に突撃していた脚を止め、その場に棒立ちとなったイーディスを見て。
これを好機と捉えた二人は、一度は左右に分散させた魔法を再び停止したイーディスへと寄せた。
しかしイーディスは魔法の軌道が変わるのをじっくりと見極め。左右から水球と渦巻く風が危険な距離にまで迫ったのを確認すると。
「さあ、今の俺の脚について来れるかな?」
先程、自分の脚に纏わせた「飛燕脚」の効果で得た超人的な速度を再び発揮し。まるでその場から消えたように、真後ろへと飛び退いて移動してみせた。
『……な、っ⁉︎』
『ま、また、消えたっ?』
一方で、魔法の軌道と攻撃目標は変わらずに、先程までイーディスがいた地面のままだ。慌てて二人は再び軌道を修正しようとするも、間に合わず。
しかも左右から同じ対象を狙ったのが災いし、水球と渦巻く風同士は空中で激突し。
瞬間、何かが破裂したような音が響き渡り。
その直後、閃光と衝撃が辺り一帯に広がる。
『『う、うおおっ⁉︎』』
咄嗟に腕で目を覆ったのと、サバランが盾で衝撃を庇ってくれたお陰で。アタシは何の悪影響も受けなかったが。
より近しい距離で、突然の閃光と衝撃を受けた取り巻きの二人は大層驚いた声を上げ。地面に尻を着いて転倒してしまっていた。
──そして。
「これで、馬鹿騒ぎも終わりだ」
転倒し、地面に座り込む二人の眼前に立っていたのは、槍を構えた姿勢のイーディスだった。




