96話 アズリア、悪名付きを追い詰める
アタシは少し横へと、歩数で言えば二、三程度だったが移動する。
いくら意識がランディに向けられているとはいえ、先程と同じ位置にいては察知される危険があるからだ。
「ほら、こっちだ小鬼っ!」
『グ──オオオオオオオッッ!』
ランディもまた、アタシが移動するのに呼応して立ち位置を変えながら。傷を負い、敵意を剥き出して猛る悪名付きを挑発し、意識を自分へと向けさせる。
お陰で両手剣を構えて攻撃の準備を整え、力を溜める時間を貰ったアタシは。
悪名付きがランディへの反撃に動き、手にした棍棒を振り回すよりも先に。今度は牽制でなく、肉を斬り裂き、敵の生命を絶つ意志を込め。
握った刃を、悪名付きの背中目掛け。やや斜め気味に横へと振り抜いていった。
『ゴアアアアアアァッッ⁉︎』
直後、悲痛な絶叫が悪名付きの大きく開いた口から吐き出される。
アタシの剣は、これまでにランディが負わせた三度の傷よりも深く背中へと喰い込み。横へ線を引くように、悪名付きの背中を大きく斬り裂いた。
傷の深さを物語るように、大量の血が傷口から噴き出す。
「……ち、ぃッ! 浅かったかよッ!」
だが、返り血を浴びたアタシの口から漏れたのは、舌打ち。
胴体を真っ二つにする想定でアタシは両手剣を放ったのに、傷を負わせたのは背中の肉だけ。
背骨や肋骨、急所である内臓には傷は到達していなかったからだ。
悪名付きがランディへの反撃のため、前に踏み出したのと。アタシの移動とが上手く噛み合わなかった事で。
アタシと悪名付きとの距離が僅かに空いてしまった。
想定よりも浅い傷となったが、それでもアタシの今の一撃は背中を大きく斬り裂き、深傷を負わせた事で。
つい直前までランディに敵意を向け、反撃を行うつもりだった悪名付きが。今度はアタシへ振り返り、自分を傷付けた者への憎悪剥き出しの視線を向けてくる。
先程まで敵意を向けていたランディの存在を、まるで忘れたように。
常に悪名付きを二人で挟むという立ち位置を維持していれば。背後に回ったどちらかが肌を黒く硬化させる能力を発動させず、傷を負わせる事が出来る。
まさかここまで挟撃が上手くいくとは。
悪名付きの背後に位置取るランディが攻撃の番となり、立ち位置を変えていくと。持っていた剣を構えずに、口を動かして詠唱の準備を始める。
どうやらランディは剣ではなく、攻撃魔法を使うつもりらしい──ならば。
「はッ! いくら『村喰い』なんて大層な悪名付きでも、頭の中身は小鬼のまんまなんだねえッ!」
先のランディに倣い、傷を負い激昂する悪名付きへと挑発的な言葉を浴びせながら。
ランディの動きに合わせて、アタシもまた立っている位置を移動しただけではなく。
背後の詠唱を勘付かれないよう、牽制程度の軽い攻撃を繰り出し。悪名付きの意識をアタシに引き付ける。
「ほらッ! アタシに反撃をしてこないのかよッ!」
傷を負わせるのが目的でなく、あくまで牽制であり、挑発が目的なだけあり。狙いは悪名付きの身体でなく、手にした棍棒。
腕や脚に込める力も適度に加減し、背中を斬り裂いた一撃とはまるで別物の腑抜けた攻撃だったが。
それでも、手負いの悪名付きの感情を逆撫でするには充分過ぎたのだろう。
猛る悪名付きは棍棒を構えるのではなく、大きく息を吸い込み始める。
出会い頭に放った、耳を痺れさせる咆哮を再び放つつもりか。
──しかし。
ランディの詠唱が完了するのが一足早い。
「炎よ──爆ぜよ!」
腹の底に溜めた呼気を大音量とともに吐き出そうとした、まさにその瞬間だった。
背後に立つランディの手の平に集まった赤い輝き──魔力が解き放たれ。直後、悪名付きの周囲の空間が炎に包まれ。
爆発。
「あ、熱ッちいぃ……ッ!」
所長との模擬戦で、アタシは一度見ていたからか。
ランディが発動させた瞬間、咄嗟に両手剣を持つ腕で顔を隠し、肩と空いた側の手で両耳を塞ぎ。熱風と爆発音への対策を取ってみせた。
それでも悪名付きとの距離が近かったからか。爆発の勢いで熱風が全身に吹き付け、肌が炙られるような熱さに思わず声を漏らすが。
アタシはその場から一歩も退かず。
「そ、そんなコトよりッ……あ、悪名付きはどうなったよッ!」
爆炎の真っ只中にいるであろう悪名付きの状態を、まず確認しようと目を凝らす。
模擬戦では、魔法をまともに喰らった所長の衣服や身体を燃やし、怯ませた程度で済んでいたが。
ランディも模擬戦である事は理解していただろう、魔法の威力を加減していたに違いない。対して今は模擬戦ではなく、生命の奪い合い。
ならば、今の爆炎の魔法で悪名付きはどうなったのか。
アタシは視線の先に、急激に終息した爆発の黒煙の中から現れた人影を捉えた。
『グオォ……ガ、ガフゥ、ッ……グウゥゥゥッ……』
辛うじて二本の足で立ってはいた悪名付きだが。
身に着けていたボロ布は今の爆炎で焼け落ち、全身至る箇所に痛々しい火傷の痕が刻まれ。その足取りは鈍く、息も絶え絶えで焦点すら定まっていない状態。
「あの火傷じゃ、もう」
今のランディの魔法が、悪名付きに相当の傷を負わせた事を顕著に物語っていた。
この状態で悪名付きを捨て置いたとしても。即座に治療が受けられない状態であれば、いずれは火傷が原因で生命を落とすだろう、と判断し。
アタシは一旦、構えた両手剣の切先を地面へと置くも。
「だったら尚の事、手負いの|悪名付きなんて放置は出来ないだろ」
魔法を放ったばかりのランディが、勝手に戦いを終わらせようとしたアタシを一喝する。
確かにランディの言う通りだ。満足に身体が動かないとはいえ、二〇体を超える多数の小鬼を統率する個体であるのも間違いない。
放置しておけば、再び多数の小鬼を集め、ヘクサムや周辺の街や村を襲う暴挙に出るかもしれない。
ならば、やはりこの場で確実に息の根を止めておくべきなのだと、アタシは考えを改め。
「いくぞアズリア。二人掛かりで悪名付きにとどめを刺す」
「……あいよ、了解だッ」
ランディの呼び掛けに合わせて、アタシが両手剣を構え直し。
最早、全身が火傷だらけ。満身創痍の悪名付きに攻撃を仕掛けようと。
一歩目を踏み出した、まさにその時。
「が、ああぁッッ⁉︎」
突如、アタシの背中を衝撃が襲った。
衝撃による激痛、そして灼熱感に思わず絶叫を漏らし。悪名付きへの攻撃の手を、動揺のあまり止めてしまう。
無理もない。
何しろ今、アタシが攻撃を受けたのは。悪名付きのいる正面からではなく、敵が存在しない筈の背中だったからだ。
︎「は、背後から? な、何でッ!」
一体誰に攻撃されたのか、そして何の攻撃を受けたのか。それを知りたい一心で背後へと振り返ると。
アタシの視界が捉えたのは。
「あ、アンタはッ──」




