90話 イーディス、さらに尋問を続ける
悪名付き、という言葉が出た途端にランディら三人の表情が変わる。
「は? ほ、本当かよ、その話っ……」
「ああ本当だ。確か……あの小鬼の呼び名は──村喰いのグリージョ」
「何でも、北の国境沿いの村を二つ三つ、壊滅させたから付けられた名前らしい」
二度の小鬼との集団を相手に勝利し、少し余裕を持った雰囲気だったのが。突如として険しい、緊張感を持った顔へと。
帝国の領地を超えた遥か北部、人が住まない土地には。小鬼や豚鬼等の下位魔族の巨大な集落があると言われているが。
同時に、北の国境沿いには下位魔族の大規模な襲撃に備え、騎士や兵士が多数配置されており。これまでに大規模な襲撃は発生していない……というのが帝国の通説だが。
その国境沿いで、複数の村落が襲撃されたというのは、さすがにランディもサバランも聞き流せなかった。
「村を二つ、潰した相手ってか? まだ……戦鬼や食人鬼が出てきたほうが良かったぜ……っ」
心底うんざりしたような口調で、イーディスが謐くのも当然だった。
今、取り巻きが口にした「悪名付き」とは。何度も目撃され、街や人に無視出来ない程の被害を与えた特定の獣や魔物をそう呼ぶからだ。
大抵の場合、一般的な同種と比較し身体が大きかったり、魔法が使えたりと。まるで別物のような強さだったりする。
だからこそ人々には種族の名ではなく、「森の王」や「騎士殺し」等の様々な異名で噂される事が多い。故に、そのような強力な魔物の総称が「悪名付き」というわけだ。
──という話を、アタシは。
「な……なるほど、ねぇ……ッ」
無様に地面に転がりながらも、ナーシェンのように意識を失う事はなかったためか。今も尚激しく痛む頭を持ち上げ、無事である事をランディら三人に伝えるも。
「お、おい無理するなっ? 動かないで寝てるんだ、アズリアっ!」
厳しい表情のランディとサバランは、取り巻きからの情報収集を早々に切り上げ。
立ち上がろうとするアタシと「村喰いのグリージョ」なる小鬼との間に割って入り、武器を構えて立ち塞がる。
「お……おいおい、一撃喰らっただけで、アタシはまだ戦えるッてのッ──」
「あ、頭から血流して何言ってんだっ! いいから寝てろっ!」
ランディの指摘に、アタシが灼熱感を帯びた側頭部を指で触れると。
痛みが奔るとともに、指先にべっとりと生温かい何かが付着した感触。その手に触れた何かは、髪を伝い首筋まで流れ落ち。肩口を真っ赤に染め上げていた。
「……あ」
アタシは理解する。巨大な棍棒が直撃した箇所が割れ、傷口から血を垂れ流していたという自分の負傷の現状を。
傷というのは不思議なもので、負傷した自覚がないと痛みを感じない癖に。いざ傷を負ったと自覚した途端に、急に痛みが襲ってくる事がある。
「う、ぐぅッ⁉︎ い……痛ぇッッ!」
起き上がろうとしていたアタシがまさにそれで。突如、頭を襲った激痛で起こしていた身体を支える腕が崩れ、再び地面に倒れてしまったアタシ。
ランディとサバランが、そんな不甲斐ないアタシの代わりに前線に立つ──その一方で。
◇
イーディスはまだ、目の前の小鬼を「悪名付き」だと白状したばかりの取り巻きの一人を掴む手を離してはいなかった。
「……何でお前がそんな事を知ってる?」
「へ? そ、そりゃ噂だって言っただろ──ひ、ぃっ?」
どうやらイーディスは、話の信憑性が疑問らしく。取り巻き相手への情報収集──いや尋問と呼ぶべきか──を続けていた。
「その噂をどこで耳にした? 外に出る機会がない俺たち訓練生が」
「……え?」
イーディスが抱いた疑問、それは。
何故、外部についての噂話を聞く事が出来たか、という一点においてだ。
会話が下手なイーディスは、周囲の訓練生との交流が広いとは決して言えなかったが、それでも。帝国貴族であると主張し、傲慢な態度のナーシェンよりは顔が利くと思っていた。
だからこそ、イーディスが知らない「悪名付き」の小鬼の情報を。ナーシェンら四人が養成所内の噂話で入手したのではない、という確信があった。
だが──寝食に訓練と、養成所の施設内で全てが行われるため。訓練生は基本的に施設の外、ヘクサムの街に出る事を許可されておらず。もし養成所の規律を破れば、厳しい懲罰を与えられる。
ならば。
ナーシェンと同室の三人は、どうやって「悪名付き」の情報を得たのだろうか。
「あ? あっ……そ、そりゃ」
胸を掴まれていた取り巻きも、自分が今口にした言葉が本来あり得ない事だったのと、イーディスの言葉の意図をそれとなく理解したようで。
これ以上は下手に発言する訳にもいかず、助けを求めるように周囲にいた二人に目配せを送るが。
「お、おいっ? 俺を見捨てるのかよっ!」
二人は顔ごと目線を逸らし、残念ながら救援の言葉が飛んでくる事はなかった。
言葉を遅らせれば、胸を掴む手に込められる力と、イーディスの刺すような厳しい視線。その圧力に屈したのか、取り巻きが観念して情報源を白状していく。
「ぐ……ぐっ、そ、そうだよ……噂話なんかじゃない、この話はさ、昨晩、そうだ昨晩! 副所長のカイザスから聞いたんだっ……」
「……そうか」
情報の出処が聞けて納得したのか、胸ぐらを締め付けていた手を離したイーディス。
「やはり、あの副所長……」
今朝、遠征に出発する前の部屋でも話題に上がった副所長の名が。まさかここで出てきた事には、イーディスも多少は驚いてはいたが。
まずはこの状況から生還するのが最優先だ。
イーディスもまた、特別製の短槍を構えて「悪名付き」との戦闘に加わろうとする。
◇
互いに睨み合い、倒れたアタシへの追撃はおろか、その場から一歩も動かなかった「村喰いのグリージョ」だが。
突如、握っていた棍棒を振り回し始めると。
「……来るぞ、サバラン!」
ランディの警告の声の直後、喧しく足音を鳴らしながら乱暴に前進してくる統率者。
その接近速度は、アタシやイーディスと比べるまでもなく、遅く緩慢な動きなのだが。
「くそっ、あの悪名付き……俺がアズリアを庇って動かないのをしっかり理解してやがるぜ……」
この個体は、弱者や負傷者を庇うという小鬼では決して見せないような行動を、しっかりと理解しているようで。
立ちはだかる二人が棍棒を回避するため、立ち位置を移動したら。ガラ空きになったアタシを仕留めるつもりだ。
しかもサバランは、回避ではなく防御が目的の盾まで構えているとなれば。
統率者は攻撃範囲から逃げられる心配をしなくても良い、ゆっくりと力を溜める事が出来る……という理屈だ。
そこまで敵側の意図を理解してなお、その場を一歩も動く事を許されてはいないサバランは。
「……いいぜ。受け止めてやるよっ」
予想される悪名付きが放つ棍棒の威力を、全て受け止めてみせる覚悟を決め。剣を腰の鞘へと納め、両手で盾を握る。




