89話 アズリア、統率者の正体
「……ち、ィッ!」
統率者の咆哮一つで、当初アタシが頭に描いた作戦が崩れた事に。思わず舌打ちが漏れる。
相手は複数の小鬼を率いる危険な存在だ、当然放置するわけにはいかず、戦って倒す以外の選択肢はなく。
強敵と交戦する事自体は、アタシにとっては臨むべく状況なのだが。
それは、誰も危険に晒さないという条件下であってだ。
こうなっては、取り巻き三人と負傷者をこの場に残した状況で。今、雄叫びを発したばかりの統率者と交戦しなくてはならないのだから。
「さすがに、この状況は予想外だったよ……」
しかも、庇わなければならない対象というのが。昨晩、アタシらに禁句を口にし、挑発を仕掛けてきた今回の一連の騒動の原因。
帝国貴族を名乗るナーシェンと、その取り巻き三人だったとは。
「まさか……喧嘩を吹っ掛けた連中を助けただけじゃなく、守らなきゃいけないなんてさ」
ランディから聞いた話では、ナーシェンは養成所内の模擬戦でも上位の実力を持っていたらしい。
であれば、ただの小鬼相手に遅れを取り、負傷して意識を失ったとは考えにくい。
一人で戦っていたのなら背後から……という事もあり得るが。ナーシェンは三人もの仲間を連れていたのだから。
おそらく、ナーシェンの負傷の原因は小鬼ではなく。今、眼前にいる統率者の持つ、巨大な棍棒で殴られたからだろう。
アタシらだけでなく、別行動を取っていたナーシェンまでが、ここまで街の近場で小鬼と交戦したのであれば。
いよいよ統率者を放置はしておけない。
「──あれ?」
ふと、アタシの頭に疑問が浮かぶ。
「そうだよ、確か……この帝国貴族サマは、アタシらとは逆の道を進んだんじゃなかったか?」
出発直前にまで記憶を遡ると。ナーシェンとの不要な接触で、街の外での騒動になるのを避けるという事前の打ち合わせ通り。先に出発したナーシェンとは背を向けるよう正反対に、アタシらは進路を取った筈だった。間違いなく。
しかし、実際はというと。
アタシらの進路の近くで悲鳴が上がった。つまりは、いつの間にかナーシェンらが接近していたという事になる。
二つに分かれる間隔が短い分岐路なら、まだ意図せず合流する可能性も考えられるが。互いが背を向け、反対に進んだのであれば。一方が意図的に接近しない限り、ここまで互いの距離が狭まる事はあり得ない。
当然、ナーシェンらを避けると事前に決めていた以上。接近する意図はアタシらにはなく、ナーシェン側の意図なのは明らかだ。
「何でこんな場所にいたのか、聞いてみたいところではあるんだけど──」
だが、接近の理由を尋ねようにもナーシェンは負傷し意識がなく。取り巻きの三人はつい先程、統率者が放った咆哮に似た雄叫びで、すっかり放心しており。
背後を一瞥し、確認する必要もなく。四人とも話を聞けるような状態ではない。
「それは、アタシらが統率者に勝ってからだね」
事情を聞き出すには、安全な場所に全員が退避するか、統率者を倒すかして。どうにか戦闘を終了させる必要があるが。
何度も言うが、アタシらには「倒す」以外の選択はない。
先にアタシらが倒した小鬼は十数体。そしてこの場でも六体を倒し、合計で二〇体ほどの数を率いる個体だ。
見逃がせば、再び小鬼を集結させてヘクサムを襲撃してくる可能性が大だ。
もしくは街を襲撃する間近だったのかもしれないこそ。まだ街から大して離れてもいない場所で、二〇体を超える数の小鬼の集団に遭遇したのかもしれない。
ならば尚更、放置はしておけない。
一方で統率者もただ吠えただけで終わる筈がない。率いていた小鬼が全滅した今、この場にはただ一体しか残っていないからだ。
『──グオアアアアァァァァッ‼︎』
先程の咆哮ほどではないが、大きく叫んだかと思うと。巨大な棍棒を両手で軽々と持ち上げ、振り上げながら迫ってくる。
明らかにアタシではなく、放心した背後の三人に目掛けて。
「……ちいッ!」
アタシは二度目の舌打ちを漏らし、統率者の攻撃を今より前方の位置で迎え撃つため、両手剣を構えて飛び出していく。
正直に言えば、強敵と予想される統率者にはランディらの合流を待って攻撃を開始したかったのだが。
合流のためにこの場で待ち受ければ、巨大な棍棒を振り回した攻撃範囲に、背後の三人も捉えられてしまう。となればアタシは、背後に攻撃を通さないために回避という選択肢を封じられる戦術の不自由を強いられる。
「だったら、お望み通りこっちから仕掛けてやるよッ!」
見れば、三人を狙うあまり手にした棍棒を大きく振りかぶったためか。攻勢に出たアタシに対し、あまりに大きく隙が生まれる。
いくらナーシェンを一撃で戦闘不能に追い込む程の強力な棍棒とはいえ、先に攻撃を当ててしまえば関係ない。
体格こそ巨躯ではあるが、小鬼同様に防具などは身に付けておらず。まるで肌も急所も晒し放題。
ならば、肉を斬り裂くだけなのだから。
「もらったああッッ!」
アタシは掛け声とともに、構えた両手剣に力を込め。これまで倒した小鬼と同様に、頭蓋を叩き割ろうと刃を振り下ろす。
だが、両手剣と頭が接触したその瞬間。
「──は?」
何か、硬い物と衝突した時のような衝撃が剣を握るアタシの手に奔り。甲高い衝突音が響き渡ると。
アタシが振り下ろした両手剣は、統率者の頭を割る事なく弾かれてしまった。
「な、何が……起きた、ッ?」
一瞬、アタシの持つ両手剣に何が起きたのか理解が出来ず。「信じられない」という気持ちで、攻撃が命中した統率者の頭を見返すと。
攻撃を繰り出す直前までは確かに、小鬼と同じ土色の肌をしていたのに。
「な、何だよ、真っ黒じゃねえ──」
今、目の前にある統率者の頭は違う。
まるで炭の粉を顔に塗ったかのように、頭だけが黒くに変貌していた事に。
アタシは息を飲み、次の動作を忘れてしまう──それは、致命的な失策。
「──アズリアっっ!」
「が、あッッ⁉︎」
背後から飛んできたランディの声とほぼ同時に、アタシの頭に真横から加わる強い衝撃。
衝撃はすぐに激痛と灼熱感へと変わり、さらに身体の均衡が崩れ、衝撃を加えられた方向とは真逆に身体が吹き飛ぶ感覚。
その時ようやく、アタシはあの巨大な棍棒で頭を殴打されたのだ、と状況を理解する。
「く、くそっ、間に合わなかったっ……」
前に出たアタシに入れ替わるように、放心した取り巻き三人を庇う位置に立つサバランは。所長との模擬戦の時のように、アタシへの攻撃に割り込めなかった事を悔しがる。
そのサバランの背後で、ようやく三人も我に返ったのか。
「な、ナーシェン様の時と同じだっ……」
「だ、だから俺はナーシェン様にも言ったんだっ、あれはただ身体の大きい小鬼や、戦鬼なんかじゃないって!」
その口ぶりから三人は、目の前に立つ異質な小鬼の異常個体について何らかの心当たりがある様子だった。
「……おい。詳しく話を聞かせろ」
同じく駆け付けたイーディスが、正気に戻った三人の胸ぐらを掴み。
アタシを吹き飛ばした統率者についての情報を語気を荒げながら聞き出そうとするも。三人は互いに顔を見合わせ、中々口を割ろうとしない。
「う、噂だ……俺も噂で聞いただけだ」
「いいから話せっ! お前らをあの小鬼に渡してもいいんだぞ!」
「わ……わかったっ、わかったからっ」
しかし、イーディスの迫力に圧されたのか、観念したように異質な小鬼についての情報を白状した。
「あの個体は……『悪名付き』だ」




