85話 アズリア、悲鳴の元へと駆ける
突然、周囲に響き渡った何者かの絶叫に。
「──え、ッ?」
アタシを含め、この場にいた四人がまず行ったのは、互いの顔を確認した事だった。
つい先程まで、倒した小鬼の後処理のために一度集合していたつもりだったが。
いつの間にか。離れていて別行動を取っていたかもしれず、別の小鬼に襲われた可能性が頭に過ぎったからだ。
しかし。
「い、いやッ、待てよ。全員、この場にいる……よな」
「あ、ああ……四人とも、いるぞ」
何度見返してみても、アタシの側にはランディにサバラン、イーディスと。三人の姿をしっかりと確認出来たし、その三人が大声で叫んだ様子も見られない。
だとすれば、アタシの疑問は。
「じゃあ、今の叫び声は一旦誰が……ッ?」
今、聞こえた悲鳴を上げたのは誰なのか、という事だった。
即座にアタシの頭に浮かんだのは、ヘクサムの街の人間が小鬼、もしくは獣に襲われている可能性だ。
その思考に辿り着いた時、ふとアタシは足元の地面に埋めた訓練生の顔を思い浮かべる。
アタシらが所属している養成所は、いずれは戦場に送り出す兵士を育てる施設だ。
戦場において兵士は絶えず死の可能性が付いて回る以上は、訓練生であるアタシらにもある程度の戦って死ぬ覚悟を求められる。
だからこそ、名も知らぬこの訓練生の亡骸は。回収される事なくこの場に捨て置かれていたわけだが。
一方で、養成所で戦闘訓練を受け。しかも武器まで所持していた訓練生が殺害された事実は。
もし、農作業や狩猟、近隣の街への移動が目的であるヘクサムの街の住人が。同様に襲われたとなれば、一たまりもなく生命を奪われるのは必至だ。
「こ……こうしちゃいられないッ!」
衛兵の仕事も兼ねている訓練生だったが、さすがに街の外でまで住人を護衛する役割までは負ってはいない。
しかし、自分らの手の届く範囲で人死にが出る、というのは何とも寝覚めが悪い話だ。
アタシら四人は揃って、悲鳴が聞こえた方向へと焦点を合わせたかと思うと。武器を構えて、見据えた先へと駆け出していた。
盛大な悲鳴を上げた、という事は既に「身を潜めて逃げる」選択肢がない状況。つまり、少し到着が遅れれば、悲鳴の主が先程の訓練生と同様の目に遭う可能性が高い。
「──先に、行くよッ!」
駆け出したのは四人が同時だったが。アタシは地面を踏み込む脚により一層の力を込め、駆ける速度をさらに上昇させると。
並んで走る三人の頭一つ抜け出していくと。
アタシが声を掛けたのは、先程の小鬼との交戦において。敵の正体と数を偵察してくれたイーディスに対してだった。
アタシらに届く程の大音量の悲鳴だ、当然ながら小鬼や獣は悲鳴を上げた人物の位置を既に察知しているだろう。
だから今回は偵察は必要ない。寧ろ、庇う対象から注意を逸らす目的でも、アタシが単独で先行し突撃するのが最適だったからだ。
──と、いうのも。
悲鳴を上げたのが誰なのか、という疑問の他に。アタシにはどうしても気掛かり、というか不安要素があったからだ。
「そもそも、小鬼が群れる……ッてのがおかしい話なんだよッ!」
考えてみれば、先程の小鬼との戦闘はあまりにおかしな状況ばかりだったのだ。
小鬼が群れを成している事も。
街の付近で、小鬼の群れと遭遇した事も。
アタシが故郷で、街の外で小型の獣を狩って食糧とし、小鬼など弱い魔族を倒して衛兵から報酬を貰う生活をしていた時でも。
小鬼は同族同士で群れる事を嫌うのか、遭遇した際には大抵が一、二体だったと記憶している。
それなのに、先程交戦した小鬼は一〇体もの群れを作っていた。
しかも先程、アタシらが交戦した時には。群れを指揮するような行動を取り、周囲と実力の違う小鬼は残念ながら見当たらなかった。
アタシは最初、訓練生の長剣を強奪した小鬼が、群れを率いていたかと考えもしたが。
だとしたら、ランディの攻撃魔法に巻き込まれ、簡単に倒される程度の実力であろう筈がない。
単に遭遇した数が多勢だった、という話では終わらない──それが意味するものとは。
「……つまり、群れの長がいるッてコトだ」
アタシら四人でさえ、模擬戦や訓練、その他色々な事を円滑に進めるために。アタシが加入する以前から、三人の中で最終的な判断を下す立場だったランディにその役割を負わせている。
なればこそ、一〇体もの小鬼を率いている個体が、まだ残っていたのかもしれない。
「──アズリア! 先行するのはいいが、無理だけはするなよ!」
アタシら四人という群れを統率するランディも、状況を理解していたようで。
本来であれば、四人で足並みを揃えたいところを。脚の速いアタシの単独での先行を許してくれたのだ。
まあ、完全な事後承諾ではあったが。
「もし予想が当たってれば、さっきと同じか……それ以上の数の小鬼がいるかもしれないんだからなっ!」
「わかってるってッ!」
そして、アタシが思い描いていた懸念をどうやらランディも、そしておそらくは発言のないイーディスやサバランも同様に想定していた。
つまりは群れを統率する長がこれから向かう先にいるならば。当然、小鬼を連れているに違いない、と。
もしアタシらの推察が嫌な事に的中してしまっていたら、この先で待っている小鬼の長は少なくとも二〇体近くの数の小鬼を統率している事になる。
群れで行動する野生の獣も、率いる獣の数が多くなれば。それだけ統率する群れの長も強力になる、というのがアタシの経験から導き出された結論だったが。
もしかしたら、この先に。
一〇体を超える小鬼を統率している強力な個体が待っているのかもしれない──そう思うと。
両手剣を握るアタシの腕にも、自然と力が込もる。
本来であれば、悲鳴を上げた人物を助けなければいけないにもかかわらず。また見ぬ強敵が待っているかもしれない、という妙な高揚感。
「は……ははッ、アタシってば。こんな状況なのに、何で楽しくなってんだよッ」
それはまるで、つい先日にヘクサムの兵士養成所に到着したばかりで。養成所の所長と模擬戦を行った時のように。
右眼に正体不明の妙な力を宿して生まれたからか、周囲の人間とは明らかに違う脅威的な膂力を持ったが故に。下手に周囲を傷付けないため、或いは食糧確保のために、常に力の加減を強いられてきたアタシにとって。
ただ全力で武器を振るう事が許された、所長との戦闘。中でも本気で振るった両手剣と所長の大鎚が激突した瞬間、本当にアタシは楽しかったのだ。
所長との模擬戦と比較すると、先程の小鬼との交戦は。ただアタシの先制攻撃とランディの魔法で、すっかり戦意が喪失した小鬼を倒しただけ。
残念ながらアタシにとって「満足な戦闘」とは言えなかった。
果たして、小鬼を統率する個体なら満足な戦闘が出来るのだろうか、という期待に。一種だけ胸を膨らませていたアタシだったが。
次の瞬間、自分の期待が危険な思想であった事に気付き。まるで頭の中から振り払うように、強めに首を左右に振り、否定していく。
「い……いやッ、駄目だダメだ。何考えてんだアタシは、まずは襲われてる人を助けるのが先だっての!」
これがまだ故郷で、一人で生きている時ならばまだ自分の欲求のままに戦いに挑んだところで、何ら問題はなかったが。
第一の目的は、悲鳴を上げた人物の救出であり。それに今は故郷の時と違い、同じ部屋となったランディら三人も後方に着いて来ている。
その全員を、アタシの欲望だけで危険には晒せない……そう思い直したからだ。




