83話 ナーシェン、結果に満足する
まだ小鬼との距離があったナーシェンは、突然の敵との遭遇に僅かばかりの動揺もあったが。
腰から副所長から譲渡されたばかりの聖銀の剣を抜き。逃げ惑うタワーズに指示を飛ばす。
「き、貴様っ? 先程貰った短剣はどうしたっ!」
「そ、そうか、短剣の魔法さえあれば……」
ナーシェンに檄を飛ばされ、タワーズは自分が握り締めていた短剣の力を今一度思い出す。
魔力を込めれば、柄に嵌められた宝石が反応し。石が帯びた属性による攻撃魔法を発動してくれるという効果を。
「小鬼め、驚かせやがってっ! これでも喰ら──」
早速タワーズは、自分が持つ魔法の短剣を構え。背後から迫ってくる三体の小鬼相手に、攻撃魔法を放とうと試みる──が。
魔力を込めるため足を止めた事が禍いし、タワーズよりも足の速かった小鬼はあと二、三歩という距離にまで迫り。
小鬼が叫び声をあげながら振りかぶった鉤爪が、今まさに短剣を構えるタワーズの胸元を捉えようとしていた。
『ギイッ! ギッ──シャアアアアアッッ‼︎』
もしタワーズがそのまま短剣の効果を発動させていたら、小鬼の爪は胸に食い込んでいたに違いない。
「う⁉︎ うわああああ無理いいい!」
しかしタワーズは。
小鬼との距離があまりに近すぎた事に怯み動揺したからか。短剣を使う事を放棄して、全力でその場から逃げ出してしまう。
全力での撤退が功を奏し、小鬼の鉤爪は空振り。幸運にもタワーズは無傷で済んだのだが。
『ギイッ⁉︎』『ギッ。ギ、ギ』『ギイィェェ‼︎』
三体の小鬼は、逃げるタワーズを指差しながら興奮したような鳴き声を上げ。タワーズへの追撃を止めようとはしない。
おそらく、小鬼の視界には既にナーシェンが入っていたにもかかわらず、である。
「う、嘘だろっ、何で俺ばかり狙われてるんだよっ?」
泣き言を口にしながら、必死に逃げるタワーズだったが。
見渡す限り、小鬼の追撃を逃がれられそうな安全な場所などなく。しかも小鬼のほうが足が速いとなれば。
最早、小鬼に追い付かれるのは時間の問題だった。
イオとバーガン、他の二人が気付かなければ。
「タワーズから離れろ! 小鬼がっ!」
周囲に響き渡ったナーシェンの檄とタワーズの悲鳴を聞きつけ、慌てて戻ってきたイオとバーガンは。魔法の短剣を構え、魔力を込めると。
途端に二人が持つ短剣の柄に嵌められた宝石、火属性を司る紅石と風属性を司る蒼石が輝きを帯び。
それぞれの短剣が生み出した炎の塊と風の刃が、タワーズへと迫る小鬼に放たれた。
『ギッ? ギェエエエエエ⁉︎』
タワーズにのみ注意が向いていた小鬼が、放たれた二つの魔法に気付いたのは。自分の身体に直撃した後だった。
風の刃が、振りかぶった小鬼の腕を切断し。
続けて炎の塊が小鬼の頭に直撃した瞬間、激しく爆発を起こして相手を吹き飛ばす。
爆発の衝撃か、或いは着地の際に不運だったのか、首があらぬ方向へと曲がっていた小鬼は。地面に倒れた状態から、二度と起き上がってくる事はなかった。
『……ギッ?』『ギイィ⁉︎』
突然の仲間の死に様に、残る二体の小鬼は動揺したのか。タワーズへの攻撃を躊躇し、一瞬動きをを止めた。
小鬼が見せた絶好の隙。そこを見逃がさず、安全な位置へと逃走を図るタワーズと。
「──上出来だ。後は私に任せるがいい」
タワーズと入れ替わるように、小鬼に接敵を仕掛けるのは。短剣同様、副所長から手渡された聖銀製の長剣を構えたナーシェンだった。
演技がかったような台詞を口にしながら剣を真上に掲げ、その刃を小鬼へと躊躇なく振り下ろした。
鉄より遥かに軽量な聖銀は、重量によって威力を増す事は期待出来ないが。代わりに、使い手に驚くべき剣速を与える。
先程の二発の魔法攻撃とは違い、小鬼らもナーシェンの接近をしっかりと把握し。手にしていた粗雑な作りの棍棒で対処しようとしたが。
小鬼が腕を動かし始めた、その時には──もう。
ナーシェンの剣が小鬼の胸を大きく斬り裂いていたのだ。
「お、おい何だよ? 見たか? 今のナーシェン様の剣をっ──」
「あ、ああ……言っちゃ悪いが、別人が乗り移ったような鋭さだった……」
ナーシェンの一撃を見たイオとバーガンは、驚きのあまり互いに顔を見合わせながら。信じられないものを見たような、呆気に取られた顔を浮かべていた。
養成所に入る前からナーシェンと親交のあるイオとバーガンは、当然ながら彼の剣の腕を知っている──つもりだったが。
今、目の前で繰り出してみせたナーシェンの一撃は。二人がが良く知る実力ではなく、まるで別人のような鋭さと速度だったからだ。
「……俺の目が見間違いじゃなけりゃ、今のナーシェン様の剣。訓練の時のランディより……速いんじゃないか?」
「い、いや……俺もそう思ったっ」
訓練生の中で、剣が得意なのは誰かと問われれば。やはり一番に名前があがるのはランディだった。
しかし、今ナーシェンが放った剣撃の鋭さは。これまでの訓練の際に、飽きる程見てきたランディの剣よりも、遥かに速く、明らかに上回っていたからだ。
だが。
一番驚いていたのは、剣を振るったナーシェン当人だ。
「な、何だ……今の威力は。そ、それに……斬った時の感触が何もなかったぞ……あれだけ深傷を負わせたのに」
まるで別人のような剣閃に驚愕していたのは、二人と同様だが。一点違うのは、手に残る感触であった。
獣の肉に刃を沈めた際に手に伝わる、纏わりつくような不快な抵抗感が。今、小鬼に剣を浴びせた際には、ナーシェンの手に何の感触もなかったのだ。
まるで小鬼の皮膚や肉が、そこには何も存在していないと言っても過言ではない。
「これが……聖銀の剣」
ナーシェンもまた「信じられない」といった表情を浮かべ、握っていた聖銀製の剣をまじまじと凝視していた。
たった今、繰り出したばかりの攻撃にもだったが、理由は別にある。
小鬼を深々と斬り裂いた長剣の刃には、血や脂が少しも付着していなかったからだ。
当初、ナーシェンは副所長から剣を受け取った時、聖銀が稀少な金属である事だけは理解していたが。
聖銀の武器がどう凄いのかまでは、真に理解出来てはいなかったのだが。
一体、小鬼を試し斬りした事でナーシェンは聖銀製の長剣がいかに強力な恩恵を秘めているのかを理解し。
「く、くく、っ……これなら勝てるぞ。ランディにも、あの女にも」
昏く、歪んだ笑みを浮かべたナーシェンは、これまで聖銀の剣を見ていた視線を。
最後に生き残った小鬼へと向けた。




