62話 アズリア、遠征直前の朝に語らう
──そして。
次にアタシが目を開けたのは、同室の三人が既に寝静まった後だった。
部屋の窓から外を見ると、夜も更けているのが月や星の位置から分かる。
「う……わあ、いつの間にか、寝てたのかよ……」
本来であれば、寝る前に明日の遠征について相談をする予定だったのに。寝台に横になった事までは辛うじて憶えているが、寝転がってからの記憶がない。
どうやら三人と話すより前に眠りに落ちてしまったらしい。というのは、おそらく今の状況からアタシが判断しただけだが。
「いや……驚きだよ」
地面や石床の堅さや冷たさもなく、藁や草の敷き床のように肌への不快さも感じない。まさか寝台が、ここまで快適な眠りを与える物だとは。
実は、それだけではない。
これまでは起床の際、寝床の堅さからか床に接した背中や尻、肩などの箇所に痛みを感じる事も多々あったが。
目を覚ましたばかり今のアタシの身体には、そんな痛みはない。
「寝る場所が変わるだけで、こんなに気持ち良く起きられるモンなんだねえ……」
これ以上、寝台に横になっていると寝心地の良さにまた寝てしまうかもしれない。
快適な目覚めに舌を巻きながらも、アタシは寝台から立ち上がり身支度を始める。
着替えもせず寝てしまったためか、配給された制服は着たままだったので。準備、と言っても何一つやる事はないのだが。
「……ふぅ」
一番早く目を覚ましたアタシは三人が目を覚ますのを待ちながら。もう一度、窓からまだ暗い空を眺めていた。
そろそろ起床の時間がやって来る。
「てコトは、そろそろ昨日みたいに訓練場を走らされるんだね、他の連中は」
あの後ランディらに聞いた話だが、朝一番に訓練場に集合し、決められた回数を周回するというのは毎日決まっているらしいが。
昨晩、所長から遠征を命じられたアタシら四人とナーシェン組は朝の訓練を免除される。
……その代わりに、同じ時間から養成所の外へと放り出される訳だが。
すると背後から聞こえてきたのは、アタシの名前を呼ぶ気怠い声。
どうやら三人の内、誰かが目を覚ましたようだ。
「……ん。起きてたのか、アズリア」
「ああ、どうやら気付けば寝てたらしくてね。ひと足お先に目を覚ましちまったよ」
次に起床したランディは、まだ眠そうな目を擦りながらも寝台から起き上がり。壁に掛けてあった訓練生の制服を手に取り。
袖に腕を通さずに肩に羽織り、窓を見ていたアタシの横に並んでくると。
「悪かったな、昨日の夜は。サバラン達を止められなかったばかりに面倒な事になって」
「は? 面倒事ッて……そもそも何でアンタが謝るんだい」
突然、アタシに向けて頭を下げ、謝罪の言葉を口にしてきたランディに困惑する。
そもそも、サバランらが感情を昂らせた理由だけでなく。根本的な原因はナーシェン側にある。
自分の都合だけで勧誘をし、挙げ句にアタシを侮辱しただけでなく。ナーシェンの取り巻きらがサバランらの怒りを買う言葉を口にしたからであって。
ランディに謝罪をされる理由が全く理解出来なかったからだ。
「寧ろサバランとイーディスには感謝してるんだぜ、コレでも」
「どういう意味だ、そりゃ?」
「あの二人が怒らなきゃ──」
そう言いながらアタシは笑顔を浮かべたまま。
握った拳を、頭を起こしたばかりのランディの鼻に触れるかどうかという距離にまで、ゆっくりと近付けていく。
「アタシがこうして。あの気に食わない貴族サマの顔を殴っていただろうからさ」
「……まったく。お前ってやつは」
顔の間近にまで迫ったアタシの拳に驚きながらも、アタシの意図を読み取った事で呆れた笑顔を見せたランディは。
「なあ。昨日の夜、お前はすぐに寝てしまったから何も聞けなかったんだが……何を相談するつもりだったんだ?」
「……はは、悪かったね。あまりに初めての寝台が気持ち良くてさ」
これから行う遠征の不安材料について、事前にランディら三人には話しておこうと思っていた筈だったが。
寝台の眠りの誘いに敗北してしまったアタシは。結局、何も話せないまま朝を迎えてしまった訳で。
一体何を話すつもりだったのか、アタシの意図をあらためて探ろうとするランディだったが。
「ん? 初めて?」
何気ないアタシの回答に首を傾げ、不思議そうな顔を浮かべていたので。
アタシはランディに、寝台を使うのが初めてだった事実を語っていく。
「そうさ。アタシが故郷の街で散々なメに遭ってた、ッて話は前にしただろ? だから初めてなんだよ、寝台で寝たのは」
「……そ、そりゃ」
アタシの事情を聞き、言葉を詰まらせたランディ。
無理もない、寝台は日常的に浸透しており。街で生活している人間なら余程の貧困に喘いでもない限り、まず使っているのが当たり前の就寝道具だからだ。
つまり「寝台を使った事がない」という発言によって。一度は語ったアタシの過酷な生活環境を、より一層ランディは理解したからだが。
アタシは決して、過去の自分に同情して貰いたい訳ではない。
「イイんだよ、憐れみの目を向けなくてもさ。今はそれより聞きたいコトがあんだろ?」
「あ……あ、ああ」
寝台で寝た事がないと知り、掛ける言葉が未だに出てこなかったランディの肩を軽く何度か叩き。
アタシは一度主旨から外れた会話を修正し、先へと進める。
所長との模擬戦でアタシは、ランディら三人の実力を目の当たりにしたが。
正直言って、故郷の衛兵と比較してもランディらの実力は充分過ぎる程だ。一角兎等の小型の獣や小鬼程度なら、同数かそれ以上の数であっても問題なく戦闘が可能だろう。
アタシが懸念していたのは、別の問題だ。
「話しておきたかったのは、この遠征の最中に誰かがアタシらに害を及ぼす可能性についてさ」
昨日、魔法の習練の時に副所長のカイザスと諍いを起こし。去り際に憎悪の感情を向けられてしまう。
あの時残した言葉と睨む副所長の顔が忘れられなかったアタシは。今回の遠征で何かを仕掛けて来ないかと考えていたのだが。
「誰かがって……もしや、ナーシェン達が遠征の途中で俺たちを襲ってくる、って事か?」
ランディが返した反応は、アタシにとって想定外な内容だった。
確かに「揉めた」というのなら、まず考えなければいけなかったのはナーシェンらではなかろうか。
「あ、そっか。ナーシェンと取り巻きが襲ってくる……か。そいつは意外な盲点だったね」
何故にナーシェン側からの妨害をアタシは想定していなかったのか、と言うと。
一言で示せば、まるで彼らを脅威だと感じていなかったからだ。
ある程度の腕のある人物からは、身に纏った強者の雰囲気が漂っており。数年程前から獣や魔物と戦い続けていたアタシは、何となくだが雰囲気を感じ取る事が出来るようになっていた。
ヘクサムに到着時に遭遇した所長や、目の前にいるランディからは強者の雰囲気を感じたし。
同じく故郷で、帝国貴族を名乗っていた「白薔薇姫」とやらも。同じ雰囲気を醸し出していたが。
残念ながら。同じく帝国貴族と聞いた副所長やナーシェンからは、何も察する事は出来なかった。
「ま、でも。ナーシェン程度ならアンタなら楽勝じゃないか」
それ故、ナーシェンからの襲撃があったとしても相手はこちらと同数。
実力差から考慮しても「問題なし」と、勝手に頭からナーシェンら四人が遠征中に暴発する可能性をアタシはすっかり切り捨てていたのだが。




