61話 アズリア、想定される最悪の可能性
遠征をさせられる、と聞かされ。期待通りの落胆し嫌がる反応を見せたアタシ以外の七人の反応に。満足げな様子を隠すつもりもない所長だったが。
「あー……そっか。養成所に来たばかりのお前にゃ、ただ遠征と言っても意味がわからんよな」
明日、何をするかをまだ理解出来ていなかったアタシは、無知からか期待通りの反応を見せなかったからか。
禿げ上がった頭を掻きながら、遠征の内容についての説明を始める。
「遠征ってのは、このヘクサムの街の外に訓練生に武器と若干の食糧を持たせて。外の魔物を討伐させる……まあ、言わば実戦訓練の事だ」
しかしアタシは、所長の話を聞き終えて尚。期待していた反応を示す事はなかった。
「ふぅん」
「何だ、これだけ聞いてもまだ実感が湧かないか」
それもその筈。
今、所長が説明した内容の逐一は。アタシが故郷で街の外に生活拠点を移してから二年間、やり続けてきた活動と全く同じだったからだ。
街を囲う防護柵や壁のないアタシの寝床は、常に脅威である獣や魔物に発見されないか警戒する必要があり。
自衛のため、そして食糧の確保のために脅威と交戦する事も稀ではなく。酷い時には一日に数度、戦闘を行う事もあっただけに。
遠征の内容があまりにも変わり映えしない、いや寧ろ。人数がいて、食糧まで用意して貰えるのだから。
アタシの二年間よりも恵まれていると言える。
そう言えばヘクサムに到着した際にアタシは。故郷で世話になった衛兵のヒューから、養成所への紹介状を手渡されていた筈だが。街の入り口で遭遇した所長に、結局今も渡せていないままだった。
故郷でのアタシがどんな生活環境だったのかを知らないのは、それが理由かもしれないが。
「あれ? そういや、確か──」
もう一つ、初日の記憶を遡っていたアタシは。ふと、その時にも「遠征」という言葉が出ていた事を思い出す。
ランディら三人は、同室となるアタシへの紹介のためか。遠征に参加する事なく、養成所に残っていたが。
「アタシが来た時にゃ、その遠征とやらで。養成所で訓練受けてる全員がいなかった……ッて記憶してるんだけど」
「あ。そういやそうだったな。ナーシェン達も気の毒に……」
つまり、遠征から帰ってきたばかりのナーシェンらだけは。二日と空けずに再び遠征に出発する事となってしまったのだ。
思い出した内容をそのまま口にしたアタシの言葉を聞いてか。ランディが一瞬だけ同情の目線をナーシェンら四人へと向けるも。
そもそも今回の騒動の発端は、紛れも無くナーシェンらであり。サバランとイーディスが激昂したのも、取り巻きらの不用意な発言が原因であり。
アタシらは完全に巻き込まれただけなのだから、同情の余地など連中にはない。
「まあ……訓練生全員での郊外への遠征はまだ大勢だからな、そこまで過酷な内容じゃない」
「だよねぇ」
「問題は、今回みたいに少人数で外で活動する場合だ」
獣も魔物も、一度も戦った経験のない人間が考えている程、目標を発見したからといって無闇に襲ってくる訳ではなく。襲撃側よりも数が多い集団を襲って来るという事態は稀だ。
だから理由があって街を出る住人らは、数人掛かりとなったり、時に街の衛兵を護衛に雇って外を歩くのが定番であり。
当然ながら、一人で活動していたアタシは頻繁に襲撃されていたが。
「アレだけ揉めたんだ。あの連中と一緒に……ッてワケにゃいかないだろうけどさ」
今回、野次馬となった他の訓練生が見ている状況でも、ナーシェンや取り巻きらの高圧的な態度は変わらなかったのだ。
誰の目もない街の外となれば、今度こそ本当に喧嘩になる可能性がある以上。ナーシェンら四人と一緒に行動するのは避ける必要がある。
となれば必然的に、ランディらと合計四人で動く事になる訳だが。
「四人、ってのは……結構微妙な人数だね」
養成所に来るまでの二年間、下手すればそれ以上の年数を獣や魔物と戦ってきた経験からか。
思わずアタシの口から言葉が漏れる。
ナーシェンらを含め八人もの集団であれば。不運にも群野犬の群れや凶暴な野熊にでも遭遇しない限りは、襲撃される事態はまず避けられただろうが。
四人だと、おそらくは襲撃は避けられない。
故郷では、街への侵入を防ぐ目的で数箇所ある入り口には常に四名程の衛兵が立ってはいたが。それでも獣や魔物の襲撃が発生していたから、というのが根拠の理由だ。
アタシが明日の遠征を無事に終わらせるために思案を巡らせていると。
「おい、いつ迄騒いでやがるっ! 騒ぎはこれにて決着だ、お前ら全員とっとと部屋に戻りながれ!」
所長が両手を叩いて大きな音を打ち鳴らしながら、騒ぎに釣られ野次馬として廊下に集まっていた訓練生らを散らしていく。
一瞬──偶然にも目線が交差したアタシは。
明らかにアタシを認識した所長が、無言のまま。口元や顔を緩ませて笑みを目撃してしまう、その時。
アタシの背中に、冷水が流れるような感覚が襲う。
「な──何だ、この感じッ?」
それも見ていて気持ちの良い笑顔ではなく。どこか故郷にいた際に寝床を襲撃してきた男に似た雰囲気を滲ませた、そんな所長の表情に。
今見せた所長の笑みに、どんな意味が隠されているのかアタシは疑問に思う。
少人数で行動する事を見越した上での、作為的な遠征の指示。
思えばアタシは今日、副所長と揉めたばかりではないか。もし、今回の遠征がその報復と関連付けるのは考え過ぎなのだろうか。
もし、アタシの推察が的中しているならば。遠征を仕掛けてくるだけでは終わらないかもしれない。最悪、獣や魔物の襲撃に合わせて副所長本人が襲ってくる可能性だって「無い」とは言い切れない。
故郷では長らく人の悪意に晒されてきたからか。
敵意を向けてくる人間に対して、過剰な警戒をしてしまう癖がすっかりアタシには染み付いてしまっていた。
「……何にせよ。明日は相当に警戒しておいたほうが良さげみたいだね」
とは言え。ここ養成所ではヒューのような協力者もいないため、独自で明日に備え必要だと思う物を入手する事も出来ず。
アタシに許されているのは、部屋に戻ってランディらと相談をし。明日に向けてしっかりと寝る事しかない。
養成所に来て、食事と同じくアタシの環境が大きく改善されたのは睡眠だった。
これまで故郷で母親からの虐待を避けるため、自分の家に帰れなかったアタシは。地べたや馬小屋の藁の上など、まともな寝床で眠りに就いた記憶がない。
街の外に拠点を移してからも、枯れ葉や枯れ草を集めて敷き詰め。冷たい地面や石肌に触れないようにするのが精々だったためか。
ここ養成所では、訓練生一人につき一つの寝台が用意されている事にまず驚いた。
昨日は所長との模擬戦の決着に、と右眼に宿った謎の魔力を開放した際。加減を間違えてしまい、所長に勝利した後に気を失ってしまったからか。
目を覚ませばアタシは既に寝台に寝かされた後。用意された寝台で眠る、という感触を直に確かめる事が出来なかったが。
ようやく、アタシは生まれて初めて。
寝台で眠りに就く事が出来るのだ。




