59話 アズリア、騒動の一応の決着
自分らの故郷の名が取り巻きの一人の口から飛び出し、その言葉を挑発と受け取ったサバランとイーディスの二人は。
予想外の二人の激昂に、すっかり狼狽していたナーシェンの取り巻き三人へと。
ゆっくりと、一歩ずつ距離を詰めていく。
「それより今は、あの二人を止めなきゃ……だろ?」
あと数歩、連中との距離が縮まれば。二人の拳が取り巻きの顔を捉えてしまう。
いくら原因を作ったのがナーシェンの自己都合に溢れた勧誘だとしても。こちらから手を出してしまえば、騒動の収拾が難しくなるのはアタシでも容易に想像が出来た。
「……まあ、さ」
本来なら早急に二人を制する必要があったわけだが。
ふと、アタシの頭を過り。ナーシェンの取り巻きと二人の間に割り込もうとする動きが鈍る。
「自分の生まれ故郷をそこまで思えるのは、アタシとしちゃ少し羨ましいけどね」
二度と戻らないつもりで故郷の街を退去したアタシは、故郷に何の愛着もない。
もし今ここで「街が魔物の襲撃で崩壊した」と聞いたとしても、おそらくは動揺一つしないだろう。
だからこそ、だ。
サバランとイーディスが感情を昂らせる程、今はない二人の出身国であるコルム公国に対し抱いていた愛着は。アタシには決して持つ事の出来ない感情だっただけに。
一瞬だけ、二人を止めようとする行動を躊躇してしまったのだが。
アタシの口からつい漏れ出た本音を聞いたからか、或いは動きが鈍ったのを心配したからか。
横にいたランディがアタシの名前を呼び、こちらを同情する視線を向けていた。
「……アズリア」
「何、同情した顔見せてんだいランディ。アタシなら心配ないさ」
ランディら三人はアタシが過去、故郷でのアタシの扱いを。簡単に省略して説明し、知っているからだろう。
──だが。
二人の故郷への愛着を羨ましいと感じたのは事実でも。
アタシが自分の過去を振り返り、二人と比較して卑下する訳でも。差別と迫害の過去を思い返して意気消沈した訳でもない。
アタシはこれ以上ランディに心配を掛けないためにも。そして、ナーシェンらとの騒動をこれ以上大きくしないためにも。
「そんなに喧嘩を売りたいなら、お望み通り買ってやるよっ!」
「……後悔するのはお前らだがな」
今まさに、取り巻きらの胸倉を掴み掛かろうと迫るサバランとイーディスを止めようとするアタシ。
一瞬、制止を躊躇ったからか、二人と取り巻きとの間に割って入る時間の余裕はない.
ならば、とアタシは両腕を伸ばし。二人の制服の襟首を掴んで、強引に止めようと試みると。
「そこまでだよ二人ともッ!」
どうにかアタシの腕は、思惑通りにサバランとイーディスの首元を捉えるのに成功すると。
そのまま腕に渾身の力を込め、制服を掴んだ状態のまま、二人の身体を真上へと持ち上げる。
「「──う、おぉっ⁉︎」」
突然何かに引っ張られた感覚と同時に、両足が廊下の床から持ち上がり。前に進む事が出来なくなった不可解な現象に、二人は思わず驚きの声を上げてしまう。
突然、身体が浮き上がったのがアタシが原因だと二人が知ったのは驚いてから少し遅れての事だった。
「なっ? な、何かと思えば、アズリアの仕業かよ……ったく」
「……まあ、所長の鉄兜を模擬戦用の剣で真っ二つにするような奴だからな」
普通は無理やり首元を腕一本で掴まれ、足が地面から離れたと知れば少しは慌てようものだ。事実、二人も最初は動揺を隠せなかったが。
身体が浮いた原因がアタシと知るや。逆に納得をしたような口振りとともに、二人は落ち着きを取り戻す始末だったが。
問題は、二人に掴み掛かられるのを目前でどうにか免れる事となったナーシェンの取り巻きの三人だ。
『お……おい、あの女、男一人の身体を腕一本で……化け物かよ』
『お、俺ら、あんな女に喧嘩吹っかけてたってのかよ……』
現れた際にはアタシに対し、あからさまな侮蔑の感情を向けていた取り巻きの顔には。今、明確に「恐怖」の感情が色濃く浮かび上がっていた。
無理もない。
何しろ、目前にまで迫ったサバランとイーディスの身体を。アタシは左右それぞれの腕一本のみで持ち上げていたのを目撃しているのだから。
『それに今、何気にとんでもない事言ってなかったか? し、所長の鉄兜を何とか、って──』
しかもイーディスが悪気無しに口にしていたのは、昨日の所長との模擬戦の決着の瞬間だ。
アタシは右眼に宿った謎の力を開放し、飛躍的に上昇した腕力で力任せに所長の頭に一撃を喰らわせた結果。
所長が装着していた鉄兜を両断してみせたのだ。刃を潰した模擬戦用の武器で。
そもそも鉄製の武器で、同じ材質の鉄兜を斬り裂く事自体が俄かに信じ難い話でもある。
イーディスの暴露話を聞いた、いや耳にしてしまった取り巻きの顔が。さらなる恐怖で一気に蒼白となっていた。
その一方で。
アタシが片手で持ち上げていた二人はというと。
「お……おいっ、もう冷静になったぞアズリアっ」
「ホントかい? 手を離した隙に、またあの連中に迫ったりしないかい?」
「い、いや、お前に浮かされてすっかり頭が冷えたからそろそろ降ろしてくれっ」
これ以上は取り巻きに手を出さない、と約束をさせた後。アタシは身体を浮かせていた制服の襟首から手を離し、二人を解放していく。
『な、なあ? ここは一度退いたほうが……』
『く、くそっ……男爵家の人間に対するこの仕打ち、ぜ、絶対に忘れないからなっ!』
いくら帝国貴族とはいえ、ナーシェンの一存で部屋の移動が可能かどうかは定かではないが。ともかく勧誘を拒否され、著しく劣勢な状況の取り巻きは。
手酷くアタシに拒絶され、まだ放心から回復出来ていなかったナーシェンを連れ、アタシらの前から立ち去ろうとする。
『こ、ここは一旦部屋に戻りましょうナーシェン様っ?』
『あ? あ……ああっ』
夜の食事後に、こちらが望まずナーシェンが声を掛けてきた事で始まった一連の騒動は。四人が勧誘を諦めた事で一応の決着を見せた、とアタシは思って。
黙って四人が立ち去るのを傍観していた──が。
野次馬となって周囲の廊下に集まっていた訓練生の中から、聞き覚えのある野太い声がアタシらに発せられる。
『廊下で騒ぐ声が聞こえたから覗いてみりゃ、面白い事になってるじゃねえか』
訓練生は全員がアタシとほぼ同じ年齢だ。そんな野太い声の持ち主などまだ一人前になりたての男が発する声ではない。
しかも声のした方向を見れば、集まった訓練生らから禿げあがった頭が一つ、集団から飛び出している程の背丈と言えば。
該当する人物は、一人しかいない。
「「しょ──所長っ⁉︎」」
アタシやランディらだけでなく。まだこの場を去る途中だったナーシェン組に、野次馬として集まった訓練生の全員が視線と声を揃える。
視線の先、この場にいたのは──所長のジルガだったからだ。




