58話 アズリア、二人の実力を見誤る
「……は?」
信じられない、という表情を浮かべ。アタシに払われた手を凝視しながら、そのまま時間が止まったかのように静止するナーシェン。
いや……まさか。
人をあれだけ悪し様を言っておきながら、提案を飲むとでも思っていたのだろうか。
呆然とその場に立ち尽くしたナーシェンと同様に、三人の取り巻きもまた。アタシの拒絶を目の当たりにし、唖然とした顔をそれぞれが見せていたが。
ナーシェンと違い、一瞬で我に返ったかと思えば。
『ふ、ふざけるなっ!』
『そうだっ! ナーシェン様がわざわざ手を差し伸べたんだぞ、それをっ……』
『今からでも頭を下げて言葉を撤回しろ、女っ!』
アタシに断られたのが余程想定外だったのか、未だに放心状態から回復していないナーシェンに代わり。
提案を断ったアタシへの批難の言葉を。三人が顔を真っ赤にしながら、矢継ぎ早にぶつけてくるが。
『おい! 聞いてるのか、女っ?』
突然の提案には当然ながら、ナーシェンと生まれの貴族の都合だけ。こちら側の都合は一切が配慮がされていない。
だからこそ、明確な拒絶を口にした後でも。目の前の四人には何の罪悪感も関心も湧いてはおらず。ナーシェンらの目的が明らかとなり、しかも提案を断った時点でもう要件はない。
「……言いたいコトは、それだけかい?」
呆けているナーシェンを放置し、この場を立ち去ろうとしたアタシは。
最後に一瞬だけ振り返り、まだ騒ぐ三人を無視して一言だけ言ってのける。
『な、っ⁉︎ 何だ、我々に向かってその態度はっ!』
『い、いいか、ナーシェン様の提案を断った事、必ず後で後悔するぞっ?』
そう、ここまでは無視をする事が出来た取り巻きの暴言だったが。
ある発言により、状況が一変する。
『何しろラウム男爵家は、先のコルム公国戦で先陣を切り活躍した戦功で、出世を約束されているんだからな!』
取り巻きの一人が口にした「コルム公国」という言葉に。去り際だったアタシは、サバランとイーディスの二人へ視線を自然と向いてしまう。
コルム公国とは、かつてこの国の侵攻を受け攻め滅ぼされた国家であり。二人の出身地、中でもサバランは公国の貴族でもあったからだ。
昨日、同室となった事を契機として、ある程度の過去の経歴を互いに吐き出し合ったからこそ。アタシは二人の出身がコルム公国だと知っており。
だからこそ、二人の動向を気に掛けていたのだが。
「へえ、そっか」
「……お前ら、そんなに」
さすがに、今の発言が無視出来なかったのだろう。発言を耳にした途端に、サバランとイーディスは揃って足を止め。
くるり、と踵を返して暴言を吐いた取り巻きの一人を、二人掛かりで睨み据えていく。
「「俺たちに喧嘩を吹っ掛けたいらしいな‼︎」」
「──ッ?」
どちらかと言えば軽口の多い、飄々とした態度のサバランと。会話が苦手からか口数の少ないイーディスが。
揃って怒りの感情を隠す事なく露わにする様に、正直アタシは驚いたが。
アタシ以上に驚きの反応を見せたのは、睨まれた対象となった取り巻きの三人だった。
「ひ、いっ⁉︎」
悲鳴に似た声を漏らす男は。サバランとイーディスが一歩距離を詰めると、一歩ではなく二歩ほど後退り。
睨まれているからだけではなく、明らかに男は二人を怖がっている様子に違和感を覚える。
「ん、何だい……あの過剰な反応はさ」
取り巻きの反応を、奇妙に思ったのも無理はない。
昨日の所長との模擬戦に、今日一日の鍛錬の様子を見て。
盾を使い攻撃を止める事に長けたサバランや、槍での突撃を得意とし瞬発力に優れたイーディスと。二人の能力の高さを知る事が出来たが。
それでも。
実戦経験も身体能力もまだアタシが上だ、という自負があっただけに。
外見と性別からアタシを、ナーシェンと一緒に嘲笑していた取り巻きが。アタシを恐れず、サバランやイーディスに恐怖する様は納得がいかなかったが。
「不思議そうな顔してるな、アズリア」
「い、いや……だってよ」
胸中に湧いた疑問を察したからか、横に並んだランディ。
てっきりアタシの疑問を解消してくれるのか、そう思っていた──が。
「一つ質問なんだが。俺たちが昨日、所長と模擬戦をしただろ。もし、ナーシェンたちが昨日と同じ様に所長と戦ったら、どれくらい保つと思う?」
「え? そ、そりゃ……」
ランディの口から飛び出したのは、まさかの質問返し。いや、アタシが思った疑問は口に出してはいなかったので、厳密には質問返しとは呼ばないのだろうが。
しかも、である。
辛勝ではあったものの模擬戦にアタシらは勝利したが、ランディは「勝てる」ではなく「保つ」という言葉を使い。ナーシェンらが勝利する可能性を、一つも考えてはいなかった。
つまりは暗に。ナーシェンらの実力は自分らよりも下である事をアタシに示唆していたのだ。
ランディの発言に含まれた意図も踏まえ。アタシは今一度、三人の取り巻きにナーシェンの体格などを観察し。
問われた質問に、多分な希望的観測を加味して答えていく。
「取り巻きの連中があれだけ勇名だ、とか言ってたわけだし。案外、イイ戦いになるんじゃねえのか?」
なるほど、帝国貴族だけありナーシェンは引き締まった良い体格をしている。が、先程払い除けた腕の感触から、惜しむらくは筋力が致命的に不足している。おそらくはランディら三人の中で、最も非力なイーディスよりも。
取り巻きの三人に至っては、故郷で一蹴した暴漢と同じ程度の脅威しか感じない。
何らかの特別な能力があるのでもなければ、所長の強烈な大鎚に即座に粉砕されるだろう。
もし、アタシの予想が覆るとすれば。
「アレだけアタシに言ってくれたんだ。少なくともアタシと一対一で戦える程度にゃ強いんだろ」
取り巻きがアタシに誇っていた、ナーシェンが帝国貴族の一員である事。
実際に、過去に故郷で対峙した「白薔薇姫」なる公爵令嬢は。「全ての神々の寵愛を受けている」という、信じられない程の恩恵を有していた。
ナーシェンが白薔薇姫と同程度の能力を持っていたなら──或いは、と言ったところか。
しかしランディは、アタシの言葉を聞いて首を左右に振りながら溜め息を吐き。
「……瞬殺だよ」
「え?」
「あの連中じゃ所長の相手になるわけないだろ。アズリア、模擬戦なんぞやろうものなら、所長に一撃も与える事なく全滅だろうさ」
「え? ええ?」
ランディの回答にアタシは思わず耳を疑った。
確かに所長の大鎚は、地面を抉る凄まじい威力だが。
サバランはその重い一撃を盾で完全に止め、相殺していたし。
イーディスもまた、大鎚の隙を狙い撃ちし、槍による突撃を直撃させていた戦い振りを見せていたのに。
ランディの推測では。善戦どころか、指一本触れる事すら叶わないとナーシェンらの実力と所長との実力の差を判断したのだ。
「サバランもイーディスも、養成所じゃかなり上の実力だったりするんだ、実は」
これまでの軽薄そうな態度が災いし、アタシは二人の実力を過小評価していたが。
昨日の模擬戦を遡れば、アタシの評価が不当だったと猛省するしかない。
「そ、そうだったのか……い、いや、悪いッ」
現在絶賛、取り巻きに激昂の最中である当人らに代わり。
勘違いに気付かせてくれたランディに、アタシは謝罪の言葉を口にするも。
「アズリア。その言葉は、部屋に戻ってから本人らに直接言ってやったほうが喜ぶと思うぞ」
「そうするコトにするよ、それよりも──」




