55話 アズリア、一難去ってまた一難
副所長が、魔法の修練の時間を途中で切り上げたあの後。
日が落ちるまで延々と剣や槍を振らされ、地面に突き立てた太い木の棒を打ち続けた事で。アタシの腕はすっかり疲労で重くなっていたが。
故郷の数少ない理解者のヒースや所長が言っていた通り、夜の食事が提供され。
腹を満たしたアタシは、ランディらと部屋に戻る最中。
「ふ……ぅ、食った食った。まさかホントに一日に二回も満足な食事がタダで出るなんてね」
「い、いやお前っ……養成所に来る前に、一体どんな生活してたんだよっ……」
満足げな表情のアタシとは対照的に、呆れ顔の三人。
無理もない。
夜の食事は朝と違い。訓練生全員が事前の課題の出来に関わらず、同じ量、同じ内容の食事を提供されていたが。
腕が上がらなくなる程に疲労困憊な状態では、中々に食が進まないものだったからだ。
出されたのは何らかの獣肉を塊のまま焼き、皿に切り分けたものと。帝国では主食となる「岩薯」という農作物だ。
珍しく地中に付けた実は、一見すると石の塊のような外観から名付けられた岩薯は。そのままでは食えないため、湯で茹でたり焼いて火を通して食べる。
確かに腹持ちは良いのだが、パサパサとした食感の岩薯はとにかく口の中の水分を奪うのだ。
「……どうにか一皿、残さず口に出来たが」
「肉が、どうにも固すぎて、顎がっ」
「俺は岩薯がダメだ。どうにも口がパッサパサになるあの食感が……」
三人が今回の食事について、思い思いの愚痴を吐き出し始めた。
直前の訓練で疲れ切ったところに。しっかりと火が通るまで良く焼かれ、筋張って脂の抜けた固い獣肉と岩薯。そして味は肉に振った僅かな塩のみ。
噛み切るのにも難儀し、顎が疲れる。塩味と岩薯で喉が渇くにもかかわらず、水を必要以上に飲んで流し込むのも許されなかった──そのため。
訓練生の大半はランディら同様に、今回の食事に苦戦していた。故の愚痴なのだが。
「そうかい?」
先の剣を延々と振らされた訓練で、疲れていたのはアタシも同じ状態だったが。
三人がそれぞれ口にする肉の固さも、岩薯が原因の口の渇きも。不思議な事に、アタシは一切を気に留めてなかった。
よく考えてみれば不思議でも何でもなく。
三人にはアタシの過去を大雑把に話しただけで。故郷での食事情、その詳細を知らないだろうが。
火が通ってない肉を喰らい、腹を下してしまったとしたら。街に入れないアタシは薬や治癒術師の手を借りられない。その為、汁気が抜ける程良く焼いた肉を日常的に口に入れていたからか。
今回提供された肉の固さを、アタシは全く気にならなかった。
「……だよなあ。でなきゃ、お代わりなんて貰わないもんなぁ」
寧ろ、食堂にいた誰もが皿が一向に進まない状況の中。アタシは早々に提供された肉と岩薯を平らげると。
まだ残っていた肉を追加しようと厨房の責任者に頼み込み。二皿目の肉を貰っていたのだから。
アタシはそれよりも、何故にランディら三人を含め食堂にいた連中が。
訓練の時のような死に物狂いな表情を浮かべながら、提供された食事を口にしていたのかという疑問を抱き。
「なら、残せばよかったじゃないか。無理してまで口に詰め込む必要なんてないだろ?」
「……そういうわけにもいかないんだ」
「ん? どういう事だい?」
質問をした途端、先程までアタシの食事に呆れた顔を浮かべていた三人の表情が曇り。
三人がそれぞれ顔を見合わせた後、ランディが食事の時の異様な雰囲気の理由を説明してくれた。
「何しろ食事も訓練の一環らしくてな、食事を残せば懲罰の対象になるんだ、養成所じゃ」
そう、ランディ曰く。
この養成所では、今回限りの話でなく「食事を残す事」が許されていない規律がある。
養成所に入る条件は一六歳以上、ある程度は身体が逞しく成長してはいるが。戦場で活躍するためにはまだ足りない。
出された食事を残さず口にする事で、訓練生らの身体を戦場で耐え切れるよう成長させる目的らしいが。
「──というわけ、ってのは。あくまで所長なんかが話してた内容のまま、なんだが」
「なるほど、ね」
ランディの説明が終わり、アタシは抱いた疑問がすっかり解消されたは良かったが。
一つの疑問が氷解した途端、次の疑問が湧いてくる。
もし、ランディが養成所の上の立場の人間から聞いた理屈が本当ならば。
朝の食事で、課題を終わらせた順番で食事の質と量に差を付けていた理屈が通らない事となる。
アタシが言うのも何だが、課題の出来が悪い訓練生の食事を減らせば。食事による身体の成長の機会を阻害するのではないか。
「……だったら朝の食事も減らさなきゃイイのに」
これは疑問、というより養成所への愚痴であり。ランディに言ったところで解決する問題ではない事を瞬時に理解し。
誰にも聞こえないような小声で漏らしたのだ。
ランディとサバランは誤魔化せたようだったが。
「──ん? 何か言ったか、アズリア」
「いや何も言ってないよ。アンタの気のせいじゃないかい」
唯一、耳聡くアタシの小声を拾い上げたのはイーディス。
だが今、内容を認めたところでアタシの疑問、というか不満が解決する訳ではないと思い。この場面は敢えて認めずに話題を終わらせた──と、その時だった。
『おい、女っ!』
廊下の背後から怒鳴るような大声が、アタシらのいる場所にも響き渡る。
女、と聞いてふと気付いた事。
それは確か今現在、ここヘクサムの養成所に所属している女は、アタシ一人だけの筈だ。
「もしかして、呼ばれたのって……アタシ?」
アタシは今、会話をしていたイーディスや残る二人に。自分の顔を指差しながら確認していく。
「いや間違いなくアズリア、お前だよ」
「はは、信じられないが。一応、アズリアは女だしな」
サバランの失礼な言葉については後で部屋に帰ってからしっかりと問い詰めてやる事にして。
三人にも確認を取ったが、やはり背後の声の主が呼び止めた対象はアタシらしい。
名前ではなく女、と呼ばれた事に苛立ちを覚えたが。考えてみればアタシが名乗ったのは、所長とランディら三人にだけ。アタシをアタシだと判別する要素が女である事の他はないのだから、女呼びされるのは当然だろう。
問題は、アタシが見知らぬ男に呼び止められる理由だ。
「でも、ここで振り返っても。嫌な予感しかしないんだよね……」
朝の鍛錬でも、その後の副所長との一件でも、今日一日でアタシはかなりの悪目立ちをしてしまったと言える。
しかも呼び止めるのに怒号に似た大声を、まだ交流のない人間へと飛ばす男だ。好意的な要件では決してないだろう。
果たして、振り向いて反応するべきか。
敢えて無視をして部屋に戻るべき内容か。
アタシは選択を迫られていた。




