54話 アズリア、未来に残した懸念
アタシは今一度、先程まで副所長がいた位置へ視線を移すと。
思わず口から、言わずに黙っていた本音が漏れる。呟くような小声ではなく、はっきりとした声量で。
「……でも、逃がしちまったよ」
「アズリア、そりゃ」
今の発言は。石を充分に輝かせた結果を、副所長に認めさせられなかった事をを指していた。
逃がした、という表現にはさすがに横にいたランディも苦言を呈するが。
アタシはどうしても、数多くの訓練生が見ている中で。優劣を付けておきたかった理由があった。
「だって、次もまた同じように絡まれたら迷惑なんだよ」
カイザスは副所長で、しかも魔術師という立場である以上。訓練生であるアタシらに魔法を教える機会は、これからも際限なくやって来る。
その度に理不尽な因縁を付けられ、アタシだけでなく同室の三人にまで迷惑が及ぶ事態を、ここで終わりにしたかったからだ。
どうやら帝国貴族とやらは、どうもアタシの黒い肌が甚く気に食わないらしい。
故郷の街でアタシを馬鹿にし、散々奴隷同然に虐め抜いてくれた公爵令嬢だったが。
アタシが「腕が立つ」という噂を衛兵らから聞き付け、戯れにと木剣──令嬢側は刃を潰してない通常の武器。しかも令嬢には二人の護衛の騎士まで控え、という不利極まりない模擬戦だったが。
右眼の力を使い、騎士二人と公爵令嬢を圧倒して打ち負かした後。
なんと。
それまで奴隷同然だった扱いがピタリと止み、公爵令嬢は嗜虐対象としてのアタシへの興味を失ったのだ。
だからアタシは敢えて、過去の出来事に倣い。
強烈な光をまともに浴びて目を焼かれた副所長に、強気で「認めろ」と迫ったのだった。
敗北を認めさせれば、過去の公爵令嬢のようにしばらくは敵意をあからさまには見せなくなる事を期待して。
「これに懲りて、大人しくしてくれりゃイイんだけどね」
「どうだろうな……あの調子じゃ、嫌がらせはまだ続くだろうさ」
「……だよねぇ」
だが結果はこの通り、副所長の恨みをさらに増大させる事になってしまった。訓練場を立ち去る際のあの捨て台詞が、まさにその確たる証拠だ。
おそらく、副所長の態度が改まる事はないだろうと理解し。アタシとランディは言葉を交わしながら、揃って溜め息を吐く。
すると、口数の少ないイーディスが珍しくボソリ……と会話に口を挟んできた。
「……嫌がらせ程度で済めばいいがな」
「ん? どういう意味だいそりゃ」
イーディスが何を言いたいのか、その意図が読み切れずにアタシは聞き返す。
嫌がらせ──つまりは立場を利用した絡み方で終わらない、というなら。その先に副所長は何を仕掛けてくるつもりなのか、を聞き出すために。
「……そうだな」
一瞬イーディスは、質問していたアタシから視線を外すと。彼の視線の先のランディとサバランと、無言のまま何かを確認し。
すぐにアタシへと視線を戻し、口を開いた。
「アズリア。養成所では時に厳しい訓練で負傷する者や……死人も出る」
「そりゃ兵士になる場所だし。初日からあんな模擬戦するくらいだもんな、わかるよ」
模擬戦とは、所長である大男・ジルガとの昨日の一戦の事だ。
確かにアタシらが使ったのは、どれも刃や穂先が潰されている模擬戦用の武器だったが。武器以外は手加減も魔法の使用すら制限なし。命中箇所が悪ければ負傷はまず免れない、実戦に限りなく近い模擬戦だった。
こちらは四人、対して所長は単騎だというのに。素早く振り回す大鎚に、終始アタシらは押され。
まさか入所初日から、アタシは代償のある右眼を使用を余儀無くされた。使わなければ、下手をすれば誰か大鎚の直撃の餌食になっていただろう。
腕の一本は圧し折られたかもしれず。
しかもアタシらが模擬戦をしていた頃、他の訓練生は養成所の外で魔物討伐をしていたらしい、と後で三人から聞いた。
故郷でもだったが、街から少し離れた森や荒野、そこは獣や魔物の支配する領域である。
これまでアタシが遭遇した限りでも。一角兎や猪豚、魔狗等の大小様々な獣に。犬鬼や小鬼、豚鬼等の小型の下位魔族と出没する魔物は多岐に渡るが。
そんな魔物らの討伐も、アタシら訓練生の鍛錬に含まれているらしく。
模擬戦の激しさと魔物討伐、二つの内容だけでも。
イーディスの言葉が脅しなどではなく、現実的な事だとアタシは理解し頷いてみせるも。
「で。それが副所長の話とどう関係があるんだい?」
所長のように、手加減無しの模擬戦で。アタシとの実力の差を思い知らせる算段ならば、こちらとしては寧ろありがたいと言える。
勝利が最善だが。実力で上をいかれた上で敗北したのならば、出た結果に不満などない。
だとすれば。
イーディスが憂慮しているのはもう一つ、魔物討伐だろう。
「ま、まさか……魔物討伐の時に魔物と一緒に、アタシを襲おう、ッて話じゃないだろうね?」
「その、まさかかもしれん」
自分が口にした発言からアタシは、過去の忌まわしい出来事を頭に思い浮かべる。
故郷で、罵声や迫害の声を遠ざけるためにアタシは敢えて街の外に生活拠点を移していた頃。
二年ほど前から、身体が大きく成長したアタシの貞操を奪おうと、不埒な連中に寝込みを襲われた回数は両の指では数え切れない程だが。
さすがに生命までは狙われた事はない。
不安が顔に表れていたのか、これまでのやり取りや推察を覆すような発言でアタシを懸念を取り除こうとするランディ。
「俺はさすがに、そこまで副所長がするとは俺も思わないが」
「……とにかく警戒に越した事はない」
「あ、ああッ」
やはり、あの時点で副所長を見逃がしたのはアタシの失策だったかもしれない。
そう思いながらも、これ以上ランディに気を遣わせないために。この場は嘘でも頷き、笑顔を作ってみせる。
◇
その一方で。
訓練場から自分の部屋へと足早に戻っていった副所長は、椅子に腰を下ろすや否や。
「くそっ……くそ、くそ、くそ! 肌の黒い忌み子 子ごときが調子に乗りやがって……」
指の爪を何度も噛み、誰かを呪う言葉を吐き捨てながら。直前に受けた屈辱感をどうにか払拭しようとしていた。
訓練生とは違い、所長と副所長には個室が与えられる。だから今の副所長の奇行は、誰に目撃される筈はなかったのだが。
『手酷くやり込められたみたいじゃねぇかカイザス』
誰もいない筈の自分の部屋で、突然何者かに声を掛けられるという想定外の事態に。勢いよく椅子から立ち上がり、最大級の警戒心で声の方向へと振り返った副所長は。
「──だ、誰だっ⁉︎」
音もなく部屋の扉を開け、入り口に立っていた人物を見て言葉を失った。




