52話 アズリア傭兵団、ラクレールを陥す
だが、感傷に耽っていたイリアスに向かって、馬車の陰に潜んでいた帝国兵の一人が剣先を彼に向けて走り出してくる。
「……せ、せめて手配にあった脱走兵くらいはこの場で始末してやる……ッ!死ねえ!」
その殺気に気付いて咄嗟に大剣を構えたアタシだったが、兵士が目の前で突然動きを止めると、それ以降こちらへ向かってくる様子を一向に見せなかった。
よく見ると、その兵士の首には蛇腹状に割かれた無数の刃が巻きついていたのだ。そしてその刃の元を辿ったそこに立っていたのはオービットだった。
「……油断大敵だ、アズリア。まだこの街には帝国兵が大勢残っている」
「だってよ、イリアス。アンタの事情はあるだろうけど、とりあえず今はこの街を陥すのを優先してくれないかねぇ」
「……わかった。見苦しい真似をして済まない……」
オービットが連結刃を引き戻すと、巻き付いた刃が喉笛を斬り裂き兵士は事切れその場にドサリ……と倒れた。
既に泣き止み、落ち着きを取り戻して立ち上がるイリアスに、アタシが纏っていた帝国製の外套を渡すと。
彼はその外套を首と右腕のない兄シュミットの亡骸の上に被せていった。
「街を取り返したらその時は存分に泣くといいさ。その時はお姉さんの胸を貸してやってもいいんだよ?」
「ありがとうアズリア。その時は遠慮なく胸を借りて泣くとするよ」
トールら傭兵団の連中は街の各地に何人かの固まりになって散り、他の場所で待機している帝国兵を蹴散らして回っている最中だ。
アタシ達も早速加わりたいところだったが、箱に隠れたエルともう一人の御者役が馬車の中に残っているために、最低でも一人はこの場に残る必要がある。
どうやらそれはこの場にいる全員が理解しているらしく。
「……なら俺が馬車の護衛につく」
「いや、ここは一番戦力になりそうにない俺がこの場を死守するべきだと主張する。オービットもアズリアも貴重な戦力だ、他の場所の応援に行ってくれ」
「……大丈夫なのかい?」
「武勇では兄上らに及ばないかもしれないが、それなりに剣は使える」
確かに、初めて遭遇した時も複数人の帝国兵相手に疲労と空腹で衰弱していたにもかかわらず対処出来ていたのを思い出す。
「わかったよイリアス、ここは任せたからね」
「この街を頼むよ、二人とも」
「……頼まれた」
アタシとオービットは一度イリアスへと向き直ると、分散して街の各地へと駆け出していった。
その頃、街の各地で人数では優っていながら指揮官を失い混乱している帝国兵らと、少数ながら統制の取れたトールら傭兵団との戦いの火蓋は既に切って落とされていた。
トールは仲間を二人ほど引き連れて、街の中央部に建つ領主邸を目指していた。既に指揮官はアズリアが討ち取ったが、この広い街で帝国兵士どもに自分達の敗戦を理解させるには館に翻っている帝国の旗を奪うのが一番効果的だと思っての行動である。
もちろん、それは防衛側の帝国軍も理解しているために防衛する兵士の数は、検問所での攻防であれだけ数を減らしてなお20を超える兵士が待機していた。
「いいか野郎ども!ココを奪取れるかどうかで勝敗が決まる!姉さんに指揮官を討ち取ってもらったんだ、せめてこの戦いは俺たちの手で決着をつけようじゃねえかッ!」
「「おおう!」」
トールは愛用の得物である戦鎚を両手で構える。帝国のように鎧兜や盾の装備が充実した兵士には剣よりも有効な武器である。何しろ鎧や兜の上から殴っても充分に致命傷を与えられる武器なのだから。
「────筋力上昇!」
そして術者の筋力を上げる身体強化魔法。単純な組み合わせだが、それ故に武器の取り回しが早くなり、重量級の一撃を素早く繰り出せるこの戦法は……強いの一言に尽きる。
一番の驚きはトールが魔法を使えることだ。だが、口の巧さというのも魔法を使うには必要な要素なのだろう……そう納得しておく。
「喰らい……やがれええええええッッ!」
「……ぐほォォっ!」
「う、嘘だろ……兜の上から頭を砕きやがった……」
「諦めろよ手前ェら、指揮官の将軍は俺らエッケザックス傭兵団が討ち取ったからよ……」
そのまま一直線に突進していき盾と兜で身を守る兵士を一撃で倒す様子を見たのと、シュミット将軍の死と傭兵団の名前を聞いて周りの兵士は動揺し、逃げ腰となる。
敵兵のそういった変化を見逃さずに連れの傭兵たちが盾を構えて兵士らに突撃していく。敵兵を倒すのが目的でなく、均衡を崩して館の中に強行突破するためだ。
「今回は全滅が目的じゃねえ!被害を最小限にしてさっさと勝ちにいくぞっ!」
「「おおっ!」」
「オラオラオラぁ!指揮官が死んでもまだ抵抗したいって物好きは俺たちエッケザックス傭兵団が相手になってやるぜ!」
館の内部でも同じであった。
トールの戦鎚による強力な一撃、そして指揮官が討ち取られたという事実、そして目の前にいるのがエッケザックス傭兵団を名乗る連中。
「え、エッケザックス傭兵団って言ったら一度ここラクレールで帝国の脅威になった傭兵団だろ?」
「あ、ああ……ロゼリア将軍が指揮を取ったから何とか勝てたが、そうでなかったら……」
「シュミット将軍も討ち取られたらしいし……勝ち目なんかほとんど無いじゃないか!」
攻撃を受けて沈んだ不運な兵士以外のほとんどは、戦意を失うには十分な要素が揃いすぎていた。
そもそも帝国とホルハイムとの戦争はほぼ帝国側の優勢なのだ。そんな勝ち戦の最中に戦況とは関係ない戦で帝国の忠誠に殉じたい人間などそうはいない。
……やがて。
館から翻っていた帝国軍の旗が引っ込み、斜めに帝国の紋章が切り裂かれた旗が再び翻った様子を街中で見た兵士らは次々と戦意を失い、投降の意志を示してきたのだった。
ここにラクレールは陥落した。
いや、帝国の占領下から開放したというべきか。
「筋力上昇」
術者の筋力を一時的に増強する基本的な身体強化魔法で、属性を持たないために理論上は誰もが使える初級魔法となっている。
ただし、能力の上昇率は術者の持っている魔法属性が濃密に関わってくる。この魔法と相性の良い属性は火と竜。
本編でもトールが詠唱無しでこの魔法を使えていたのは、それくらい簡単な魔法ということでもある。
にもかかわらず、この世界であまり普及していない理由は。魔法そのものを教えてくれる人間が魔術学院などに限定されていて、魔法教育が全然一般的ではないためである。




