44話 アズリア、初めて謝罪を受ける
既に八周もの距離を走り、最終一〇周目に突入しようという位置で。
速度を上げたアタシに、二番手まで追い上げ、こちらを侮るような言葉を口にした連中は全く着いてこれない。
「こ、ここでその速さ、だ……とお⁉︎」
置いていかれた途端に呆気に取られたのか、寧ろ男らの足は鈍っていたが。
たとえ連中が足を早め、追い掛けてきていたとしても。
抜かれるのは勿論、横に並ばせる気すらアタシはなかった。
だが、加速をすれば当然、地面が着いた瞬間に脚に衝撃が加わり。右眼の代償が残る脚には、さらなる激痛が走る。
それに、広い訓練場を一度の休憩も挟まずに一〇周も走るという未体験の内容に。不慣れなアタシの身体は対応出来てはおらず。
八周目辺りから肩を上下に揺らし、荒い息遣いはさらに酷くなっていく。
「はぁ、はぁ、ッ……足が痛てぇッ……で、でも、あと少しッ──」
ちなみに、だだっ広い訓練場を一周したかどうかを、何故アタシらが判断出来ているのかというと。
アタシらが走り始めた箇所には、配給された制服を着ておらず、見た事のない人物が立っており。常に走っているアタシらを監視していたからだ。
乱雑に伸ばした髪で目は薄っすらと隠れてはいたが、どうにも神経質そうな容姿と。兵士と呼ぶには少々痩せ過ぎな体格の男。
言うなれば、所長とはまるで正反対の特徴。
推測するにおそらくは、養成所で所長と一緒にアタシらを監視や指導をする側の人間でなのだろう。
それでも最後の周に入ると、速度を緩める事なく駆け続け。
独走した状態でアタシは一〇周を走り終える。
「コレでッ……アタシの勝ちだあッッ!」
終点に辿り着いた瞬間、全身の痛みに耐えながら走っていたアタシは拳を握り。口からは、思わず本音が飛び出してしまう。
即ち、女である事を馬鹿にした連中に負けたくなかった意地こそが最後の原動力だったと。
アタシが先頭で所長からの指示であった訓練場を一〇周を達成した後。後続を走っていた連中も、次々と終点へと到着していった。
その中には、アタシを女と侮った連中の顔も。
「──ん?」
本当に偶然ながらアタシの視線がその四人組の視線と合ってしまい。
その四人組が揃って、息を整えながら身体の痛みが収まるのを待っていたアタシへと近寄ってきたのだ。
「な、何だよ?」
再び嫌味を言われるのかと思い、警戒して身構えてしまっていたアタシの目の前で。
その四人組は一瞬躊躇を見せてはいたが、次の瞬間、揃って頭を下げてきたのだから。
「その……さっきは、悪かった」
「……へ?」
「走ってる最中にあんたを馬鹿にしたことだ。あんな事を言って、本当に悪い」
あまりに想定外の展開に、アタシは深々と頭を下げて謝罪をしてきた四人の目の前でポカンと口を開いて困惑していた。
何しろ、故郷で街の人間から浴びせられた暴言こそ日常だったが。暴言への謝罪など受けた試しがないアタシは。
人から謝罪を受けた時に、どんな態度を取ったら良いのかがまるで分からなかったからだ。
「女なんか、と馬鹿にしておきながら。実際に負けたのは俺たちなんだからな」
一〇周を走り終えた側も、まだ訓練場を走っている最中の組も。最初は一体何事か、とアタシと頭を下げていた四人を注視していたが。
四人の謝罪の言葉を聞き、アタシとの間に何が起こったのか、大体の事情を察していく。
──そして。
「で、どうするつもりなんだ、アズリア?」
「さ、サバランッ⁉︎」
アタシの肩を軽く叩き、声を掛けてきたのはサバランだ。
見れば、彼のすぐ後ろでランディとイーディスも息を整えるのに必死だったが。何故かサバランだけは少しも息を乱していなかった。
予想に反したサバランら三人の状態に、気付けばアタシはその疑問を口にしていた。
「……ッて、何でアンタ、走り終えたばっかで平気な顔してるんだよッ?」
「はっはは。昨日は武器だけだったけど、いつもは重い鎧着込んで訓練受けてるからな。体力には自信があんだよ」
「アンタが、重い鎧を……」
アタシと並ぶくらい長身だが、筋骨逞しいと表現するにはほど遠い体格のサバラン。
しかも昨日聞いた話では。帝国に征服されてしまったコルム公国で、確かサバランは貴族の出身だと話していたではないか。
そんな彼が剣と盾を構えながら重い鎧を着ている姿を、とても想像出来なかったが。
そう言われアタシは、昨日の所長との模擬戦での出来事を一つ、思い出した。
「──ああ」
所長の振るった鉄製の大鎚とアタシが握る両手剣が空中で激突し。力負けしたアタシは大きな隙を突かれ、大鎚の追撃を受けてしまうのだが。
攻撃がアタシの身体を直撃する直前に。
サバランが両手で構えた盾が、所長の大鎚を防ぎ切った一幕を。
昨日の出来事を思い出したアタシは。さらに訓練場を一〇周走り終えて尚、疲れた顔や息遣いを見せないサバランの姿を見て。
彼の口から出た「体力には自信がある」という言葉の意味を、あらためて納得するアタシだったが。
「そういやそうだったね、サバランは」
「それより。どうすんだ、コレ?」
そう。
目の前には、さすがに下げた頭は既に戻していたものの。謝罪をした四人の視線が、アタシの反応を待ってこちらを注視していたからだ。
サバランとの会話の最中も、ずっと。
「い、いや、どうする……ッて言われてもさ、アタシは別に何も……」
自慢にもならないが、アタシはこの一六年間。故郷で住人らからの罵声と暴言に耐え続けてきた事もあり。
言葉を投げつけらた時こそ、最後まで走り切る原動力になる程の憤りを覚えたが。先頭で一〇周を走り終え、汗を流した事で。
四人に対する怒りの感情も何処かに消えてしまっていた。
これ以上、アタシは何をしたら良いのか。
「ふぅ……アズリア、そういう時はな」
困惑していたアタシに、まだ息が整い切れていないランディが笑顔を作りながら。
今、アタシが四人にすべき行動を教えてくれる。
「一言、『許すよ』とでも言ってやりゃいいんだよ」
「そんなコトで……イイのか?」
「ああ。そんな事で良いんだ」
ランディの言葉がまだ信じられないアタシは、サバランやイーディスにも視線を送るが。二人は何も異論を挟む事なく頷いている。
ならば、と。
アタシは謝罪をしてきた四人に対して口を開く。
「アタシ、人から謝られたコトないからこんな時、どうしてイイか分かんなかったんだ。うん、許す……許すよ、アンタらの事を」
ランディら三人と違い、アタシの故郷での扱いを知らない四人組は。
「な、何か……色々と複雑な事情があるんだな。でも、まあ、許してくれたことには感謝するよ」
謝罪を受けた事がない、というアタシの話を聞き、思わず同情的な表情を浮かべていたが。すぐに表情を戻し、再びアタシに頭を下げると訓練場を立ち去っていった。




