28話 アズリア、それぞれが抱える事情
見知らぬ三人の前に突然放置され、焦ったアタシは。思わず大声を出し、この場から退去しようとする所長を呼び止めようと試みるも。
「ま、待てっての? ここにアタシを置いていく気かよッ!」
声が聞こえているにもかかわらず。所長は足を止める素振りを見せず、ただ無言で、片手を振って反応を返すのみだった。
アタシには案内された部屋を出て、所長を追い掛けるという選択もあったが。
部屋で待っていたという三人が気になり、一瞬だけ部屋の中へと視線を向けた──その時。
「う、お……ッ?」
三人の内の一人と、目が合ってしまった。
アタシに無関心な態度の男でも、その逆に好意的な目を向けてきた容姿の整った長身の男でもなく。他の二人と比較すると、何の特徴もない赤錆色の髪の男と。
下手に視線が合ってしまっただけに、部屋を出る選択肢をアタシは失ってしまう。
「あ……え、えっと」
諦め、腹を括ったアタシは、初対面となる三人の人物と言葉を交わそうとするも。
一対三、という状況でまだ警戒が解けなかった上。
長らく一人きりで街の外で暮らし、限られた人物と最低限の交流しかしてこなかったためか。何を話せば良いのか、適切な言葉が頭に浮かばない。
何度も試行錯誤をした挙げ句、ようやくアタシが口から絞り出した言葉とは。
「あッ、アタシは……あ、アズリア」
どうにか名前を口に出来た、という御粗末な言葉で。初対面だというのに、頭も下げないという不躾な態度だったが。
そんなアタシの精一杯の名乗りを聞いた三人の反応は、というと。
「なんだ、緊張してるのかい? 俺はランディ、よろしくな」
「へえ、アズリアって言うんだ。俺の名はサバランってんだ、しっかり覚えておいてくれよ」
「……イーディスだ」
つい先程に目を合わせた男や、初見でこちらに好意的に接してきた優男も。
どうやら今のアタシの辿々しい発言を好印象に捉えてくれたようだ。
それにアタシへ無関心を貫いていた男も、名前を教えてくれた後に何故か細かく身体を震わせ。あからさまに顔を背けて、何かを堪えている様子を見せる。
だが、三人が待てども待てども。アタシの口から、言葉が続くことはなかった。
名乗るまでがアタシの限界だったからだ。
他人との会話に全く慣れていなかったからか、話題が全く浮かばなかった事に加えて。
名乗った事で会話は終わった、とアタシ自身が思い込んでいたというのが理由だが。
「お……おい? もしかして、名前だけで終わりかよ?」
「そ、そうだけどッ」
我慢の限界を迎えた男からの催促で、アタシはようやくさらなる自己の情報を求められている事実に気付かされる。
本来ならば、この時点で話しておくべきアタシの事情は幾つもある。
右眼に妙な文字が刻まれて生まれた事や、おそらくそれが理由の並の男を遥かに凌駕する怪力に。
この国では滅多に見る事のない黒い肌、それが原因で他人から「忌み子」や「化け物」と呼ばれ蔑まれてきた事など。
「け、けどさ、何を話したらイイのか……アタシにはさっぱり」
「ふむ、なるほどなるほど」
だがアタシは、自身の事情を語る事を躊躇した。
そもそも衛兵のヒューがアタシに故郷を出て、養成所入りを薦めたのは。周囲の環境を大きく変えるためだった、と思っている。
もし、アタシが生い立ちを正直に話してしまえば。目の前にいる三人もまた、故郷の連中のようにアタシを「忌み子」として扱うのではないか、と考えたからだ。
まあ……さすがに肌の黒さだけは隠せなかったが。
「アズリアも、養成所に来るまで色々と事情があったんだな、うんうん」
自分から話を切り込んできたサバラン──長身の優男は、腕を組みうんうんと一人勝手に納得していた。
そう言えば部屋に案内される最中に所長が「女が兵士を希望するのは珍しい」と話していた気がする。
──ならば。
自身の事以外の話題に困っていたアタシはふと、目の前の優男が養成所に入った動機に興味が湧き。
思った事をそのまま口にしてしまう。
「なら、サバラン……だっけ? アンタはどんな事情があって兵士になりたいッて思ったんだよ?」
「ん? 俺? それって俺に興味があるって事かい? いや嬉しいねえっ」
すると質問されたサバランは、嬉しそうに笑みを浮かべ、アタシの手を両手で握り締めてくる。
急に距離を詰められただけでなく、好意を向けられるのも経験のないアタシは動揺し。思わず二、三歩ほど後退ってしまう。
「お、おいッ、は、離れろ──」
これが寝ている処を襲ってきた不埒な男ならば、拳の一撃でも浴びせてやれるのだけど。
あくまでサバランは好意を向けてるだけなのだ、距離が近過ぎるだけで。
対応に困っていたアタシだったが。
「全く、いい加減にしろよサバラン。初対面のくせにやたら馴れ馴れしいから、アズリアが引いてるだろ」
「ちえっ、邪魔するなよランディ」
そんなサバランとの間に割って入ってくれたのは、横にいたランディだった。
半ば呆れ気味な口調で。
アタシとの距離を無理やりに空けられ、ランディに残念そうな表情を見せたサバランだったが。すぐに笑顔に戻してアタシへと向き直り。
「俺さ。元は貴族の家生まれだったわけよ」
「へ?」
平民であるアタシには本来、貴族という立場の人間など目にする機会は滅多にない。精々が、故郷を治める領主くらいなものだ。
しかしアタシには、もう一人。
強く記憶に刻まれている人物がいた。
──白薔薇姫、ベルローゼ。
そもそも故郷の街の名は、元は違っていたのだが。この令嬢の親が娘可愛さに街の名前を変えてしまったのが由来だ。
アタシより幼いこの貴族令嬢は何故かローゼベリに長らく、記憶している限りではおよそ三年程は滞在し。
街の人間同様、いやそれ以上にアタシを「忌み子」として蔑視し。親の貴族の名声を出して、アタシを何度も何度も大勢の人前で辱めたのだ。
馬代わりに彼女を背中に乗せ、街中を歩かされたり。
とんでもない味や臭いの料理を無理やり食べさせられたり。
小間使いの代わりとなり、彼女の我儘── 凍える雨の中を希少な木の実を探しに行かされたり。
こんな嫌がらせを強要される事も暫し。
「き……貴族ッ、アンタが?」
「まあまあ、最後まで話を聞きな、っての」
だからなのか、サバランの口から「貴族」という言葉が出た途端。アタシは無意識のうちに身体を強張らせてしまったが。
サバランは一度溜め息を吐いた後、首を左右に振ってこちらの警戒を解こうと笑顔を向けた。
「元、貴族だし。そもそも俺はこの国の生まれじゃないんだ」
「……こいつや俺は、コルムの生まれでな」
「コルム?」
サバランの言葉を横から補足したのは、先程止めに入ってくれたランディではなく。アタシに無関心な態度を取っていた男・イーディスだった。
そのイーディスの口から出たのは「コルム」という言葉。
直前の二人の言葉と、この国が周囲に侵略戦争を仕掛けて領地を拡大している、という状況からアタシが導き出した答えは。
「もしかして……帝国に占領されたッてのか?」
アタシの言葉に、二人はは揃って無言で頷いてみせる。




