26話 アズリア、新たなる居場所
故郷であるローゼベリの街では、住人だけでなく母親との関係とも疎遠となり。ついには街の外で寝食をするという日々の生活。
街の衛兵だったヒューの温情で、アタシは故郷を出て。新しい環境に身を置く決意をしたのだったが。
また養成所でも「忌み子」として扱われてしまうのか。
「──だが」
不安からアタシは口唇を噛んだまま、地面を見つめるように視線を落とし顔を伏せてしまうも。
なおも門番の大男の言葉は止まらない。
「戦場で立派に役割を果たせるなら、その人間がどんな経歴だったかは問わない。あくまで実力……それがこの養成所だ」
「──え」
門番の言葉に、思わずアタシは顔を上げ。呆気に取られながら門番の顔を見てしまう。
続けて淡々と語られたのは、想定していた内容とはまるで真逆。
たった今、頭に浮かべた不安を払拭するには充分すぎる内容だったからだ。
「あ、アタシでも……か」
「ああ、養成所で死ぬほど鍛錬を積めば、な」
幼少期からつい三日前まで「忌み子」と呼ばれ続けてきた環境に身を置いていたアタシには正直。忌避の目と憎悪が周囲から消える──という状況を想像する事すら許されなかったが。
このヘクサムでは、それが可能となるという期待感が胸に込み上げてきたからか。アタシの口元が僅かに緩む。
「さあ、着いたぞ」
「あ、ありがと……ッて、へ?」
すると門番の足は、街中で一際目立つ大きな建物の前でピタリと止まる。どうやらこの建物こそが、案内先である兵士養成所なのだろう。
時間を割いてまで、養成所までわざわざ案内してくれた名も知らぬ門番の大男に。
アタシは感謝の言葉を口にしようとしたが。
養成所までアタシを連れて来た門番は、何故かまだアタシの先を歩いて建物の中に入っていこうとしていたのだ。
門番の仕事に戻らなくてよいのか、と不思議に思って呆然としていたアタシに。
大男は自分の名前と立場を話してくる。
「ああ、名乗っていなかったな。俺はジルガ、門番じゃなく養成所の所長という立ち位置の人間だ」
「は? え……ええッ! だ、だって──」
突然の暴露にアタシは驚きのあまり、両目を大きく見開き、口を動かしながら。
門番だと思っていた大男と目の前の建物、そして先程通過したばかりのヘクサムの入り口を。何度も交互に見返してしまう。
驚きと動揺から上手く言葉が出てこないアタシへ、門番──いや養成所の所長であるジルガが。謎の行動についての説明を始める。
「実は、お前がこのヘクサムに来るという話は.前もって話が俺にも届いていてな」
「……へえ、手回しがイイんだね」
紹介状というものは、あくまで書文を持たせた人物の能力や功績を書き記しただけの手紙に過ぎず。事前に紹介した先方に連絡を通す必要性はなかったりする。
この時、アタシはてっきり紹介状をくれたヒューが色々と手配をしてくれていたものだとばかり勘違いしていたが。
何しろ紹介状を貰う、などという状況は。街の大半の住人と疎遠だったアタシは初めての事であり、紹介状の仕組みについても未知だったためだ。
この時のアタシはまだ違和感の正体に辿り着く事が出来ずに、ジルガの言葉を受け流してしまい。
その結果、養成所の入り口での、アタシと所長との会話はまだ続いていった。
「女なのに兵士になりたい、という物好きな人間をどうしても一目、見ておきたくてな。いつ到着するかと、ここ一〇日ほど街の入り口を見張っていた」
「え? 女が兵士になるのは珍しいのか?」
「そうだな。なれない……とは言わないが、男より非力な女が兵士として活躍するのは、かなり厳しいのは間違いない」
単純な腕力や体力では女より男が優れている、という理屈は確かに正しい。
故郷でも、肉や革を得るために獣を狩る役割も。そして、定期的に街の外に出没する獣や下位魔族を討伐する役割も。何なら衛兵も全員が男であり、一人も女を見なかったからだ。
所長の言葉に、アタシはふと自分の記憶を思い返して納得をする。
「だからこそだ。お前は簡単に逃げ出してくれるなよ」
そう口にする所長は、きっと本人の中で笑顔を見せたつもりだろうが。
アタシに向けた笑顔が精一杯の作り笑いなのは、所長の目の奥が全然笑っていないのと、その言葉だけで理解出来てしまう。
つまり、過去に養成所に入っていた女もいるにはいたが。
大半が鍛錬の厳しさに付いていけず、おそらくは所長の言うように施設から逃げ出し。元いた街や家に戻ったのだろう。
所長の言葉に過敏に反応したアタシは多分、無意識だったのだろう。
漏れた呟きは、偽りなき本音。
「……アタシにゃ、帰る場所なんてもうないから」
アタシは最後こそ自分の選択で去ったとはいえ、故郷を半ば追い出された身だ。
そういう意味では、これまでの女と同じく養成所を逃げ出したところで。
待っているのは洞窟や樹木の穴で雨風を凌ぎ、獣を狩って食糧を得ながら、街の人間の徐々に膨らむ悪意に晒される日々だ。
ヒューから紹介状を貰い、ヘクサムに向かうこの三日間。街の人間の悪意の視線を全く感じなかった開放感を知ってしまった事で。
仕方なしと受け入れていた故郷での環境が、実は精神的な限界を迎えているのを認識してしまったのだ。
再びあの環境に戻ってしまえば、アタシは今度こそ襲撃してきた男や、石を投げ暴言を浴びせる街の人間への憤りを暴発させてしまうかもしれない。
だからこそ、故郷から離れる決断をしたアタシが。
逃げ帰るなど有り得ないのだ、決して。
「ん、何か言ったか?」
「ああ、言ったさ。絶対に逃げ出したりするものか、アタシは一人前の兵士になってやる……ッてね」
鉄兜を装着したままでアタシの呟きを察知したのは、さすがは兵士を鍛錬する側の人間だと思ったが。どうやら言葉の内容までは聞き取れてはいなかったらしい。
だからアタシは養成所から逃げない、という意味そのものは変えず。
だが所長に心の弱さを隠すために、「帰る場所がない」という悲観的な理由のみを誤魔化していく。
「ふむ、そうか。それではお前の部屋へ案内しよう、着いて来いアズリア」
所長がアタシの名を呼んだ事に、何の疑問も抱かずに言われるがまま後を着いていく。
まだアタシは名乗ってもおらず、養成所の紹介状はまだアタシの手の中にあったにもかかわらず、だ。
先程、アタシがこのヘクサムにやって来る事を何故か知っていた所長。
だからこそ、名前を知られていても不思議はないと指摘をしなかった……いや、そもそも出来なかったのだが。
──この勘違いこそ、後々の悲劇の要因ともなるとも知らず。




