15話 アズリア、不埒な発想を思い浮かぶ
「アレが野菜だって? い、いやッ……だって」
アタシはあらためて、先程味わった強烈な刺激を口の中で思い返してみる。
鼻を麻痺させる程に強い香気ながら、一瞬で消え去る後味の潔さは。
これまでにも料理に辛味を与える、主に香辛料と呼ばれる類いの調味料は口にしてきたが。その辛味は舌と喉を焼くような、しかも口内にいつまでも残る辛味だった。
料理に辛味を加える食材や調味料は基本的に多くはなく、その殆どが植物の実や葉を乾燥させた香辛料と分類されるのだが。
香辛料は採取が困難だったり、貴族への需要が高い事から高値で取引されているのが現状だ。
「な、なあフブキ! お願いだ、その山葵って野菜、アタシに見せちゃくれないかいッ?」
しかし──今回アタシが味わった辛味は、記憶にない種類の辛味だっただけに。
その味を作ったのが野菜、しかとこれまで耳にした事のない名前を聞かされ。興味が湧かないほうが無理というものだった。
余談だが、実はアタシも腰の革袋にいくつか香辛料を入れている。
大陸を旅して回るアタシは、魔物討伐などで得た報酬で香辛料を購入しておく事で。使用される貨幣が違う国に移動しても、購入しておいた香辛料を売却する事でその国の通貨を得られる……という理由だ。
「も、もちろんッ……無理にとは言わないけどさ」
だが突然「見せろ」と問われたところで、「はいそうですか」と簡単に応じられない、というのが本来の話だが。
先程、アタシが黒滴に山葵と、二つの調味料の事を聞いた際。何の躊躇いもなくフブキが答えてくれただけに。
今回もまたフブキがこちらの意図を汲み、快く了承してくれるのではないか。という淡い期待を抱いていると。
「はい。これが調理する前の山葵よ」
「へ?」
何故か勝ち誇ったような笑顔を浮かべたフブキが、左右で折り合わせ帯で止めていた衣服の隙間に手を入れ。
懐から取り出した何かをアタシに向け、放り投げてきた。
「お、おっとぉ!」
突然の出来事に唖然とし、一瞬反応が出来なかったアタシは。
我に返ると慌てて、自分へと投げ付けられた物体を両手でどうにか受け止める。
あと一息ほど、反応が遅れていたら床へ落としていたかもしれなかったが。
あらためてアタシは、手の中にあるフブキからの贈り物を観察すると。
先程口に入れた薄緑の色とは違い、まるでゴツゴツとした樹皮のような表面の、第一指ほどの太さ大きさの棒状の塊は。とても同じ物である、とは思えなかった。
「コレが、山葵? ッて……お、おいフブキ、さっきのと全然違うじゃねえかよ」
「ふふん、そんなに信じられないなら。試しにその山葵、ポキッと二つに折ってみるといいわ」
「ふうん……どれ」
フブキの言う通りに、棒状の山葵の両端を摘んで力を入れると、簡単に真ん中で二つに折れる。
その直後だった。
「ゔ、うおおッ! こ、こりゃ──」
割れた断面から匂い立ってきたのは、つい先程アタシが経験したばかりの鼻を刺激する強烈な香気だった。
言葉を途中で止めたのは、これ以上喋ると鼻が刺激された事で咳が出そうだったからだ。
しかも。
断面からは、表面と打って変わり鮮やかな薄緑色の中身が見える。まさに先程、生の剣尖魚の身肉に乗せて一緒に食した時と同じ色をしていた事で。
アタシは今、自分が手にしている物こそ山葵だと納得し。
手の中で二つに折れた山葵とフブキとを、顔を動かして交互に見ていくと。
「……はぁッ」
ようやく鼻の刺激も収まっていき、声を出しても咳き込まないかどうかの確認のため、一つ息を吐くアタシ。
「いや、凄いねぇ……この山葵ってのはさ」
最初は口に入れたからだったが、今回は香気を嗅いだだけ。
なのに言葉を発しようとすると咳き込む程の刺激を、鼻と喉に与えたのだから。
「これを敵の口にでも放り込んだら、相手は魔法使うどころじゃないだろうねぇ……」
もし、何らかの方法で敵対する魔術師に、山葵の香気を嗅がせる事が出来たならば。
詠唱のために上手く声を発する事が出来ず、魔法の発動を妨害するのに使えるかもしれない。詠唱こそ省略は出来ても、最低限は魔法名を唱える必要があるからだ。
──などという発想を。ふと、頭に思い浮かんでしまい。
気が付けば料理の前で腕を組み、思考に耽っていたアタシだったが。
「……何、怖い事言ってるのよアズリア」
「いッ? 痛たたたたッ!」
我に返る事になったのは、頬に感じた痛みから。
目の前にまで距離を詰めていたフブキが、アタシの顔に手を伸ばし、右頬を抓っていたからだ。
「そんな事に悪用するつもりなら、あげた山葵を返しなさいよねっ」
「えッ……こ、これ、アタシにくれるってのかい?」
アタシは、頬をまだ離さなかったフブキに痛みを気にせず確認を取ると。
つい直前までの、戦闘に活用出来ないかという思考はフブキに諌められたが、勿論本当に使おうとは思っていない。
それよりも、肉の血生臭さを掻き消した効果こそ重要だったりする。
獣肉の中には味こそ問題ないものの、身の肉や脂に独特の臭気があるものも少なくない。
それでも旅の道中、空腹を満たすためには。種類を選ばすに獣を狩り、臭いのも我慢し口にする必要があったが。そのような機会は一度や二度どころの話ではなかった。
今回は生魚であって獣肉ではないので、まだ試してはいないが。そのような肉の臭気にも山葵の香気が効果を発揮するならば。
「あ、ありがてえッ……」
「アズリアがこの国の食事情にだいぶ興味を持ってくれてるのは、フルベの街で散々見てたから知ってるわよ」
「ありゃ、知ってたのかい」
「そりゃもう、楽しそうに屋台回ってたり、お酒を我慢したりしてたのもね」
大陸とはまるで違うこの国の食事情に、様々な場面でアタシは興味を惹かれていた。
モリサカやチドリと出会ったハクタク村では、麦に似てはいたが、珍しく水を張った畑で育つコメという穀物を。挽いて粉にするのではなく、殻を剥いた白い中身を湯で茹で甘く煮たものだったり。
フルベの街での宴で提供された、そのコメを使って作られた酒だったり。
川で釣れる大型の水蛇の細長い身体を左右に切り開き、塩辛い味を付けて焼いた串焼きなど。
提供されたどの食事も、余所者のアタシが「美味い」と感動出来る味わいだった。
「ほら、今日は縫った傷もないんだし、我慢しないで飲んでいいんだからね」
宴の最初には、マツリが注いでくれた二杯の酒だったが。今度はフブキが空の杯に注いでくれるようだ。
フルベの街でアタシが酒を我慢していた──正確には、直前に負った肩と背中、腿の傷が酒で開かぬよう。フブキや他の連中の監視されていたため、飲みたくても飲めなかったのだが。
今回はより強敵との戦闘後ではあったものの。アタシを心配してくれた大樹の精霊の治癒魔法によって、大した傷は身体に残ってはいなかった。
唯一、魔術文字を酷使し過ぎた反動が強く残り、身体を動かす度にまだ鈍い痛みを感じる──それでも。
「もちろん、我慢なんてこれっぽっちもするつもりはないさ。今日は酔い潰れるまで飲むつもりだから覚悟しておきなッ」
「それじゃ、はいっ」
豊かな旨味に強い酒精、透き通る水のような余韻のコメ酒を。
今度は生の剣尖魚の身肉と合わせると、どういった味わいに変化するのだろうか。
料理と酒の相性を確かめるため、アタシは三度赤い身肉を口に入れ一噛み、二噛みした後。
フブキが注いでくれた酒を口へと運ぶ。




