12話 アズリア、未知なる料理に興奮する
まず驚いたのは、皿に盛られた頭部の巨大さである。
皿に盛られていた頭部、先端に長く鋭く尖った特徴的な突起はアタシも見覚えがあった。
船で海を渡っていた際に、何度か船体に体当たりを仕掛けてきた魚。剣尖魚という種類なのは、後で港街の住人から聞いて知っていたからだ。
「こんな大っきな剣尖魚なんて、見たコトないっての……アタシは」
しかし──アタシが知る剣尖魚は、手首から指を伸ばした程度の大きさの魚だった筈だ。だからこ突撃されても、船に大した損害は出なかったのだが。
もし、今目の前にある巨大な剣尖魚があの時突撃してきていたら。港街に到着する前に、アタシらが搭乗していた船は沈められていたかもしれない……と。そう思わせるほどの大きさだった。
そして、驚く理由がもう一つ。
「い、いやそれよりも──ど、どうなってるんだい、コレッ……」
見ると、間違いなく胴から切り離されていた巨大な魚の頭部、その眼がこちらを見るように動き。口がまだぱくぱくと開いている。
まるで、まだ生きていると勘違いするように。
驚いた上に胸に湧いた好奇心に勝てなかったアタシは思わず、眼や口が動いていた皿の上の頭部にそろり、と指を伸ばすも。
「えっ? え、ええ! な、なんであたまぶったぎられてるのにいきてるの、このさかなっ?」
「──ッ」
不意に背後から聞こえてきたユーノの大声に我に返った事で。
祝宴に用意された料理に手で触れる、という暴挙を思い止まり。何とか自分の指を制止するのに成功した。
酒場などで自分一人に提供された食事なら、食べる本人がいくら料理に指を触れても文句もないだろうが。今は多数が参加する祝宴の場、皿に盛られた料理はアタシ以外も口にするわけで。
しかも今のアタシは、マツリらの母親の形見であるこの国製の礼装服とも言える豪華な装飾の衣服を纏っていたのだから。
「ふぅ……ユーノの声が聞こえなかったら危なかったよ、ッ」
だが、どうにか逸る好奇心を抑えたとはいえ。何故、切断された頭部がまるで生きているような動作をするのか、という疑問が解消された訳ではない。
今度は指を触れないように、そして着ていた衣服を汚さぬよう。立つ位置を少しずつ変えて色々な角度から、巨大な剣尖魚の頭を観察していくアタシだったが。
「どうアズリア、気に入ってくれた? 城の調理人の渾身の一品は」
そんなアタシに、今度はフブキが声を掛けてくる。
丁度良い、この国の人間であるフブキならば。今のアタシの疑問、目の前の料理の謎──何故、頭を切り落とした魚がまだ生きているのか、を知っているかもしれない。
そう考え、質問しようとした矢先。アタシよりもフブキが先に口を開く。
「不思議でしょ……この魚はね、皿に盛られるついさっきまで生きていたのよ。それを素早く料理人が解体したから、まだ生きているみたいに見えるの」
「なるほど、ねぇ」
どうやらフブキは、魚料理を目にしたアタシの一連の行動から、何を不思議に思っていたのかを把握していた様子で。
アタシが聞きたかった質問、その答えを事細かに説明してくれたのだ。
アタシも八年もの長い旅の中で自分で獲物を狩り、その場で皮を剥いで骨から肉を削ぎ、解体する機会は数え切れない程あったが。
今、フブキの説明にあったように。仕留めたばかりの獣は、腹を裂かれたり頭を刎ねた直後もまるで生きているかのように。手足が動く事も確かにあった。
しかし。
まだ頭が動く理由が分かったからといって、なるほどと納得がいった訳ではない。
寧ろ、獲物を数多く解体した事があるアタシだからこそ。今こうして魚が生命を保ったまま、祝宴の場に提供出来る事の凄さを実感していた。
「ほへぇ……つまりはコレも料理人の腕前の表れ、ッてコトなのかねぇ」
「まあ、それもあるけど。そもそも放っておけばすぐに傷む魚を生で食べさせるのは、新鮮じゃなきゃ無理なんだから」
すっかり嘆息するアタシを目の前に、フブキは話題に挙がった剣尖魚の頭ではなく。
その横、皿に広げて盛られた赤い身肉を、手に持つ二本の棒で持ち上げてみせる。フブキが使っている、匙や尖匙とは違う、この国の住人が使っている食器も聞きたくはあったが。
「生。そうか……やっぱりこの魚の肉には、火は通っていないんだね」
生の魚の身肉、しかもこれまでアタシが見てきた大概の魚は白い身肉なのに。
フブキが持ち上げていた身肉は、まるで獣肉。いや……よく見ると血の色に近い獣肉の赤とは違い、もう少し鮮やかで明るい赤色をしている。
「う……え、な、なまの、さかなぁ……」
まさに「生の魚」と聞いたユーノが、顔を歪めて不快感を示したように。
通常であれば、口にした事のない食材、未知の調理法には疑念を抱き、口にするのを拒絶するのが本能であり当然と言える。
特にユーノは──アタシと一緒に魔王領から船で長らく海の上を揺られ、魚ばかりの食生活を強いられていたとある日。空腹だったのか。海から釣り上げたばかりの小魚に火を通さずにそのまま嚙り付き、腹痛に苦しんだ事があったのもある。
だがアタシはというと、魚を生で食するという慣習がまるでない大陸生まれではあったものの。
こと食事に関しては、未知への恐怖よりも、どんな味がするのかという好奇心が勝ってしまう。
「……どれ」
「え、ええっ? お、おねえちゃんっ?」
フブキに倣い、アタシも自分が口にする分だけ、身肉の一片を指で摘んでいく。
右眼の魔術文字が原因で力加減が難しいアタシは。さすがに壊れやすいフブキが使う二本の木製の棒を食器として使うのは無理だ、と判断したためだが。
そのまま口に運ぼうとするアタシに対して、フブキが「待った」を掛けた。
「ああそうか、食べ方知らないのも無理はないか……あのねアズリア、この切り身には味が付いていないから」
どうやらフブキが食べるのを一旦止めたのは、皿に並べられた生の魚の身肉には味が付けられていないからのようだ。
確かに料理の味付け、というのは調理の段階で塩や香辛料を加えて行うのが一般的であるからだが。ならば生の身肉に、どう味を加えるというのだろうか。
アタシの疑問に、手の平に収まる程の小皿を差し出してくるフブキ。
「これに浸して食べるの」
目の前の小皿には、木炭を砕いて溶かしたのかと思える程、真っ黒な液体がごく浅く注がれていた。
今、フブキは間違いなく「身肉をこの漆黒の液体に触れさせる」という手順を口にし。しかも、ただ言っただけではなく。フブキ自らが口にした手順を目の前で実践してみせる。
黒い液体に身肉を躊躇なく浸し、間髪入れずに口の中に放り込む。
土牢から救出し、フルベの街やシラヌヒまでの道中、フブキとは何度も食事を共にしたが。悪食といった様子は一度も見た事がない。
ならば、アタシはこれまで見てきたフブキの舌を信用する事にした。
何よりこの国の、しかもカガリ家の本拠地でもある城の料理人が作り上げた「渾身の一品」と聞いて。もう食欲と好奇心が我慢の限界に達していたアタシは。
「あ、アタシもッ──」
これまたフブキに倣って、アタシも指で摘んだ赤い剣尖魚の身肉を黒い液体に浸し。
切り分けられた身肉を、大きく開いた口の中に放り込んでいった。




