10話 アズリア、当主からの意外な提案
フブキが高らかに祝宴の開催を宣言した途端。部屋中から複数の手を打ち鳴らす音と、マツリの名前が連呼される。
「うおおおおおおっ!」
「マツリ様!」「マツリ様!」「マツリ様!」
ユーノらではない。予め部屋にいたその他の人間が手を叩き、フブキの言葉に賛同していたのだ。
よく見ると、声を上げる人間の中にはマツリに忠誠を誓ったカムロギや。元よりカガリ家に仕えていたナルザネとその息子・イズミに。その他、魔竜と交戦した際に共闘した武侠の顔がちらほらと。
つまりこの祝宴の場にはアタシらだけでなく、あの時戦った人間が全員集められていた。
部屋を隈無く見渡していたアタシに、フブキが横から小声で声を掛ける。
「何? まさかアズリア……この量の料理をあなたたちだけで平らげようとしてたの?」
「ば、馬鹿ッ! いくら空腹だからって……さすがにアタシらだけで一〇〇人分も食えるわきゃねぇだろうがっ」
そう、宴を開催するこの大部屋に用意された料理は最初、一〇〇人分ほどと推察したアタシだったが。
今、こうやってユーノらと合流し、フブキの宣言で部屋中が盛り上がっているこの瞬間にも。部屋には追加で料理が運び込まれ続けている。
にもかかわらず、盛り上がっていた武侠らの誰もが、卓に並べられた料理に手を付けようとはしない。
「ん? そういや、誰も食事に手を付けないんだねぇ」
「ああ、それは──」
続けて、手の空いた城の使用人らが祝宴に参加する全員に杯を手渡し、中に酒を注いで回っていた。
「なるほど、乾杯が合図ってのは、海を越えても変わらないモンなんだねぇ」
アタシが馴染みのある、傭兵らの酒場での祝勝会でも。隊長格が酒の杯を掲げ、宴の宣言をしてから飲み食いが開始され。
合図の前に食事や酒に口を付ける者には、当然ながら全員から冷たい視線を向けられるのが通例となっていた。
ふとアタシは、隣にいたユーノへと視線を向ける。
アタシも空腹だったが、ならば食事をした時間が同じであるユーノも空腹だろうし。果たしてユーノは我慢出来ているのかが気になったからだが。
不安は的中する。
隣にいた筈のユーノの姿が見えなかったからだ。
少しばかり視線を泳がせると、間もなくユーノの声と何かを咀嚼する音が足下から聞こえてくる。
「……むぐむぐ。ふえ、っ?」
アタシの視線から隠れるよう卓の下へと屈み込んでいたユーノは。手が伸びる範囲にあった料理を一つ、二つ手掴みにし、口に頬張っていた。
「……おい、ユーノ」
合図を待たずに食事を口にしたユーノへ、アタシは冷ややかな目線で見ていた。
すると手に持っていた杯の中身を一気に飲み干し、慌てて口の中を綺麗にしていくユーノ。
「ぷはぁ! だ、だって……おなかすいてたんだもん」
「あのなあ、ユーノ……だからって隠れて食ったりするなッての、まったく」
いくらアタシと行動していた時間が長い、とはいえ。元来ユーノは、人間の生活習慣とは別物である獣人族らが数多く暮らす魔王領の出身だ。
だから、祝宴の際の約束事などを知らなかった可能性も否定出来ないが。
堂々と食事に手を伸ばさずに隠れて食べていた、という事は。少なくともユーノは、この時点で食事に手を付ける行為が悪い、という事を理解していたという理屈になる。
だからアタシは、立ち上がろうとしたユーノの額を指で軽く弾いてみせた。
「あいたっ?」
額を押さえ、誇張気味に痛がってみせたユーノだが。アタシは力加減をしっかりと、本当に軽く指で弾いただけだ。
だがしかし、痛がる素振りを見せるユーノを心配したのか。
横からフブキが会話に割り込んでくると。
「あはは、まあいいじゃない。今回はユーノも大活躍した一人なんだから──それより」
合図の前に料理を口にしたユーノを庇いながら、まだ配られていなかった酒杯をアタシに手渡してくるのだが。
問題は、手渡された杯の形状が明らかにユーノや他の連中が持つ簡素な杯と違っていた点だ。
「お、おいこりゃ、銀で出来た杯じゃねえかッ?」
「だって、アズリアには乾杯の合図をして欲しいんだもの」
「……は?」
フブキの提案に、間の抜けた顔で疑問を呈してしまうアタシ。
「どう、アズリア?」
そもそも今回の戦いは、カガリ家の当主の座を簒奪者であるジャトラから奪還するというのが目的だったし。
カガリ家の当主であるマツリこそが祝宴の乾杯に相応しく、当然の流れだと思っていたし。寧ろマツリ以外の人間が乾杯の合図などしようものなら、祝宴が台無しとなってしまうのではないかと。
アタシはそう思い込んでいただけに、フブキの提案を固辞する。
「いやいやいやッ! さっきの歓声聞いてなかったのかよ、どう考えてもここはマツリが合図をする場面だろうが」
「いえ、私からもお願いしますアズリア様」
手渡された銀杯をフブキに返そうとするアタシだったが。
頑なに乾杯の合図を嫌がるアタシの説得のため、次に待っていたのは。一番乾杯をするのに相応しい筈の、当主マツリからの懇願だった。
「……筆頭家老たるジャトラに当主の座を奪われたのは、単に私の力量不足。そんな私が今回の戦いの勝利を祝うのは、とても相応しいとは思えません」
マツリは、今回の一連の騒動を起こしたのは自分が配下であるジャトラを抑えられなかった責任を口にし。
それを理由に、アタシこそ祝宴の乾杯の合図に値する人物だ、と一歩も引く気はない。
「実はね、アズリア。これは昨日、姉様と相談して二人で決めた事なの」
「……ゔ」
何とか役割を回避しようと頭を使うも、アタシは言葉に詰まる。
フブキの思い付きであれば、如何なる理由を並べられようが拒絶すれば良いだけだが。本来、乾杯の役割を担うマツリに譲られ。
しかも──余所者の上、カガリ家の部外者であるアタシに力量不足を悔いるような独白まで聞かされたなら。
この段階で断るほうが悪手でしかない。
「わ、わかったよッ!」
「うん、そう言ってくれると思ってわよっ」
アタシは諦め、フブキの提案を飲む事にし。アタシとフブキ、二人の間を幾度も行き行きしてきた銀杯を受け取る。
二人の姉妹の説得に折れたアタシに対して。うんうん、と満足げに腕を組んで喜ぶフブキとは対照的に。
申し訳ない、という表情で突然、アタシが提案を飲んだ理由を訊ねてくる。
「た、頼み事をしておいて何なのですが……本当によかったのですか、アズリア様?」
「いや……さ。そこまで弱みを吐き出されて、それで断れるわけないだろ。それに──」
理由の半分は、アタシが今口にしたように。マツリが今回の騒動の原因を「自分にある」と認めた点。
そしてもう一つの理由は。
マツリに言葉を返す前に、アタシは帯を巻かれ締め付けられていた自分の腹を撫でてみせる。
「ユーノだけじゃない。アタシの空腹ももう限界なのさ」
アタシの目の前、この部屋の至る所に置かれていた数々の料理は。起床した時点で既に空腹だったアタシの関心を惹き付けるには充分過ぎる程に魅力的だった。面倒極まる乾杯の合図を引き受けてしまう位には。
もう我慢の限界だったアタシは、フブキから受け取った銀杯を頭上に掲げ。部屋全体に合図が聞こえるよう、腹に力を込めて声を張り上げる。
 




