8話 セプティナ、一抹の不安の芽
「じゃ……じゃあ、きがえるっ、ボクもごちそうたべたいもんっ!」
料理の匂いを嗅いで刺激されたからなのか、ユーノからは空腹を告げる音を鳴らしながら。
先程まで嫌がっていたヘイゼルの着替えの手伝いを、積極的に受け入れていた。
素肌に直に装着していた革鎧の止め具を外し。晒した素肌に、予めフブキらが用意した替えの衣服に袖を通すユーノ。
この国の衣服は、袋状に頭と腕を通す大陸の衣服とは違い。開いた布地に腕を通す袖があり、身体の前で布地の左右端を合わせて閉じる仕様となっているのだが。
「あれ? からだのまえ、びろびろ」
「ほれ、こっちおいでユーノ。動いても服が脱げないようしっかり紐を結ってやるから」
服の仕様を理解していないため、胸の前を開けさせていたユーノだが。
既に同じ衣服を着替えていたヘイゼルは、どこかに移動しようとしたユーノを呼び止め。布地の端にあった紐を摘んで、左右の生地を交互に重ね、紐で縛り固定していき。
最後に、一本の帯状の生地を腰に回して。背中側でギュッと縛って衣服が解けないようにした。
「はいよ。もう動いても大丈夫だ……多分ね」
「うんっ! ほんとだ、こんだけうごいてもぜんぜんへいきっ」
着替えを終えたユーノは、着付けを手伝ってくれたヘイゼルの目の前でくるくると回転して、動き易さを確かめてみせるが。
衣服はユーノの動きを阻害する様子は見られなかった。
「ありがと、ヘイゼルちゃんっ」
ヘイゼルに感謝の言葉を伝えたユーノだったが、意識が別に──とっくに豪華な食事に向けられていたのが。側から見てもユーノの視線や態度から分かってしまう。
無理もない。ユーノが最後に食事を口にしたのは、第一の城門に突撃する直前。もう丸一日以上は何も固形物を口にしていなかったのだから。
すると。
先程はフブキが顔を見せた大部屋の出入り口に、城の使用人の格好をした男が恭しく現れ。
ユーノの気持ちが伝わったのか。
「皆様。食事の準備が整いましたので……どうぞ、こちらにご案内いたします」
と、部屋に待機していた全員を食事の場所へと案内してくれようとしていた。
余談だが。この国では、大部屋で待機する武侠らに料理を運んでいき。部屋で食事をするのが一般的であり。食事の場をわざわざ別途に用意をする、という対応は特別であったが。
大陸では、宿や寝室に食事を運ぶのは一般的ではなく、食事の場は別途のなるのが当然だったため。使用人の対応をまるで不思議に思わなかったのだ。
「それでは、私たちの歓迎の場に向かうとしましょうか。セプティナ?」
「はい、お嬢様」
ユーノの着替えの最中も、まだベルローゼの金髪から激戦で失われた色艶を取り戻すため。髪に最後の仕上げを施していたセプティナだったが。
ようやく髪の手入れを終え、主人であるベルローゼの案内のため、先を歩こうとしたところ。
「ちょ……ちょっと、待って?」
異議を申し立て、案内を制する声が部屋に響く。
ベルローゼが海の王国で雇った三人の冒険者の一人、頭から二本の鹿角を生やした鹿人族の魔術師の少女・ファニーが声の正体だった。
「あ……あの? アズリアの姿が見当たらないんだけど」
「それは──」
「アズリア様。ああ……背が高く立派な体格の、肌のお黒い女性の武侠の方ならば」
当然ながら、アズリアがフブキに連れて行かれたのを知っているベルローゼは言葉を挟もうとしたが。
女性の使用人が流暢に説明を始めた声で、見事なまでに掻き消されてしまい。しかも口にした人物の特徴は、ファニーが知るアズリアの人物像と見事なまでに一致していた。
「先に着替えを終え、会場でお待ちですよ」
「そ、そうなんだ……よかった、てっきり」
目を覚ました時には既に、姿がなかったアズリアの無事を知って。思わずファニーの口からは安堵の声が漏れる。
──実は。
ファニーら三人とモリサカは、魔竜との戦闘での負傷が深過ぎ。大樹の精霊の力を用いた治癒魔法の効果で回復こそしたものの。
その後、カムロギの仲間を蘇生する場面に居合わせる事は叶わず。アズリアと会話を交わす機会がまるでなかったからと。
獣人族の人身売買という犯罪に巻き込まれ、脚の腱を切られて幽閉されていたところを、アズリアに救われた事で。
生命の恩人であるアズリアを、三人の中で一番慕っていたのが。他ならぬファニーだった。
「良かったじゃないかファニー。アズリアが無事で」
「……う、うんっ」
「まあオレ達が助かってんのに、アズリアがどうかなるなんて思っちゃいないけどな」
「そ、それはそうだけどっ……」
ファニーの懸念が解消されたのを見て。両脇に並んだカサンドラに頭を撫でられ、嬉しそうに頬を赤く染め。
同時にエルザに肩を小さく叩かれると。彼女の乱暴な言い回しに、口唇に力を込める。
一方で。
雇い主であるベルローゼと、今のやり取りを側から見ていたヘイゼルの二人は。
一番早く目覚めたアズリアの次に起床し、フブキに連れられて行くのを見送っただけに。ファニーが抱いた疑問に、即座に答えを出せた立場だったが。
「……答える機会を失いましたわ」
「お、お嬢様、っ……」
すっかり使用人の説明に声を遮られてしまい、一歩引く態度を見せたベルローゼ。
一見、普段と変わらない振る舞いや言動だったがベルローゼに。セプティナは一抹の違和感をおぼえずにはいられなかった。
セプティナの知るベルローゼは、他人の会話に一切の躊躇を見せる性格ではない。自分が知る内容ならば、他人を押し退けてでも自分の会話を優先する態度を、これまでは見せていたのに。
先程のユーノへの態度然り。
そして今回のファニーと使用人の会話もである。
「これが、お嬢様にとって好ましい影響なら良いのだけれど……」
セプティナは、公爵という地位を継承するべき人間が、責任の放棄とも取られ兼ねない今回のこの国までの長旅を。決して悪くはない経験だ、と捉えていた。
旅の最中のベルローゼの性格の改善が見られたからこそ、公爵家に代々受け継がれた魔剣を彼女へと手渡したのだし。今の言動も、周囲を観察する思慮深さと見れば、公爵として相応しい振る舞いを身に付けたと言える。
しかし……一方で、今の態度が思慮深さではなく。他人への干渉に臆病になったのだとしたら、決して好ましい変化とは言い切れないからだ。
セプティナが手で口を覆いながら、思案に耽っているのを余所に。
「他にはよろしいですか? それでは、こちらへどうぞ」
「ぼ、ボクっ……もうがまんできないよおっ! ほら、みんなっ! はやくはやくっ!」
ファニーの疑問に答え、問題なしと判断したのか。大部屋にいた全員を見渡した使用人は笑顔を見せ、あらためて案内を開始すると。
一度は「待った」を掛けられてしまったユーノは、一番に駆け足で出入り口の外へ向かっていった。
移動を急かすユーノに、呆れ顔のヘイゼルが言葉を返すも。
「……やれやれ。おーいユーノ、そんなに急がなくても、ご馳走は逃げやしないっての」
「でもでもっ、もしあったかいならさめちゃうじゃん」
まるで注意を気に留めるつもりもなく、案内をする使用人に並んだユーノは。食事──おそらくは豪勢であろう料理が用意された部屋へと急ぐ。
そんな二人のやり取りに苦笑をしながらも、激しい戦闘に睡眠まで挟んだのだ。身体が食事を欲しているのは、何もユーノだけではなかった。
 




