6話 シラヌヒ、舞台裏でのある一幕
◇
大部屋に到着した皆が、魔竜との激戦の疲労のために眠りに落ちる中。
元気に部屋を駆け回っていたユーノに苛立ちを隠せなかったのか。横を走り抜けようとしたユーノの頭を鷲掴みにしたセプティナ。
『──お嬢様が寝ているのです。静かにしていただけますか?』
と冷たく言い放ち。頭を掴んだ体勢のまま、魔法を発動したのだ。
セプティナが使った「睡魔の誘い」が実力が拮抗する対象に効果を発揮するのが難しい、魔法威力以外のもう一つの理由が。
魔法の効果を対象に及ぼすため、相手に触れなければいけないという点だったのだが。
ユーノに苛立ちを隠せずに思わず取った行動が、偶然にも魔法の条件を満たす事となり。
『……ひっ? は……はう、ぅぅ……ん』
術者であるセプティナの実力を上回っていた筈のユーノは、小さな悲鳴を口にしたが最後。魔法が効果を発揮し、寝息を漏らしてその場に力無く崩れ落ちていく。
ユーノが寝てしまった事に驚いたのは、魔法を使ったセプティナだ。
『え? な、何で……』
その魔法が本当に効果を及ぼしてしまったのがあまりに意外すぎ、言葉を失う。
つい先程、苛立ちを露わにしてしまったのは。
当然ながらセプティナもまた、魔竜との激戦で精神が疲弊していたため。通常であれば抑制出来る感情を、上手く制御出来なかったからだが。
あくまでユーノの騒がしさを指摘する意味であって、「睡魔の誘い」の魔法も本当に眠らせる意図はなかったのに、である。
一瞬だけ、冷静になったセプティナは思案し。
自分が精神を擦り減らし、ユーノへの苛立ちを抑制出来なかったのと同じく。
一見、元気な様子だったユーノもまた、実は精神を大きく擦り減らしていたのではないだろうか。だからこそ普段ならば効く筈のない魔法が効果を発揮し。
ユーノは深い眠りに落ちてしまったのだ、と。
◇
「……ねえセプティナ。私、気付いてしまったのだけど」
「な、何でしょう、お嬢様っ」
ユーノを魔法で眠らせた、という詳細をセプティナから説明されたベルローゼだったが。
説明を終えた途端、咳払いを一つ入れてから。説明しながらも自分の髪を整えているセプティナへと声を掛ける。
「先程の、あの二人の話を聞いていたかしら?」
「はい、確か……いつもは早く起きるあの少女が、寝過ごして一番遅く目を覚ました、という内容であれば」
そう。
つい先程、ようやく起床したユーノは。同じく大部屋で寝ていた誰よりも遅く眠りから目を覚ましたのだ、と。既に起床し、身支度をすっかり終えていたヘイゼルに揶揄われていたのだ。
普段は誰よりも早く目を覚ます、というのに。
セプティナとの経緯、そしてヘイゼルとユーノとの会話を聞いたベルローゼの頭には、ある一つの仮定が浮かび上がる。
「それって、もしかして……魔法で眠らせたから?」
「──あ」
ユーノが寝過ごしたのは、自然な睡眠だったからではなく。セプティナの魔法の効果で、強制的な眠りを与えられた事が理由なのではないか、と。
背後にいたセプティナにしか聞き取れない位の声量に抑え、思い付いた仮定を口にすると。
ベルローゼの言葉を聞いたセプティナの、髪を梳く手がピタリと止まり。
次の瞬間。
ベルローゼもセプティナも、出来る限り頭を動かさずに目線のみを動かし、大部屋全体を見渡していくが。
最後は小声で会話していたからなのか、部屋にいた誰も。ベルローゼら二人に視線を向ける者も、会話に反応した素振りも見られなかった。
「……どうやら、誰にも聞かれてはいないようです」
「そ……そうね」
警戒したセプティナは、身体を屈めてベルローゼの耳元に顔を近付け、さらに小声で周囲の様子を報告する。
ここまで二人が慎重な態度を選ぶのには、ベルローゼらが合流した過程にあった。
魔竜、という強敵との遭遇に。全員がなし崩し的に共闘し、その強敵を撃退する事に成功し。
戦闘後に過去の過ちの逐一をアズリアに謝罪し、本人からの許しを得る事は辛うじて出来たベルローゼだったが。
魔竜との激戦に助力をしてくれた大樹の精霊ドリアードの信頼を、完全に勝ち得るには至らず。
同じく、アズリアと同行していたユーノやヘイゼルとの信頼を得るまでには至っていなかったのだ。
そのような事情があって。もし、ユーノがセプティナの「睡魔の誘い」の魔法によって強制的に眠らされた、という事実が知られてしまえば。
いや……魔法の影響を受けた痕跡に気付かれてしまうだけでも、ベルローゼにとって非常に悪い事態に傾く可能性は否定出来ない。
何しろ「睡魔の誘い」は月属性に分類され、この部屋の中で月属性の魔法を得意としていたのはセプティナただ一人なのだから。
ベルローゼら二人が慎重な態度になるのも、当然とも言えた。
すると。
「……ねえ、なにこっちみてるの?」
ぶっきらぼうに声を掛けてきたのは、今二人が一番注目されたくなかった相手、ユーノだった。
最初こそ、自分らを対象に選んだのではないと思い。ユーノの呼び掛けに気付かない振りをして、無視の姿勢を貫いていたのだったが。
「ねえ、さっきからふたりして、ちらちらとボクのほうみてたよね?」
反応を返さないベルローゼとセプティナに痺れを切らしたのか。立ち上がったユーノがゆっくりと二人へと歩み寄ってくる。
行動に起こした事で、側にいたヘイゼルだけではなく。部屋にいたカサンドラらの視線もベルローゼらに集まってしまう。
こうなってはもう、無視し続けるのは不可能だ。
「そ、それはっ──」
苦し紛れに何か言葉を発しようとしたベルローゼを。伸ばした腕で遮り、主人を庇うようユーノの前に立ったセプティナは。
「申し訳ありません。お嬢様と先日の死闘の詳細、ユーノ様が巨大な魔獣に最後の一撃を与えたまさにその場面を話していたところでございます」
怪訝そうな顔をして近寄ってきたユーノに、礼儀正しく一礼をし。
自分らが向けた視線について、一部の真実を織り交ぜてはいたが、大部分は捏造された理由を口にしていく。
「……ふぅん」
しかし、ユーノは訝しげな表情を変えることなく。視線の理由を説明したセプティナの顔をじっと覗き込む。
黙ってユーノの視線を真っ向から受け止め、なるべく平然とした表情や態度を崩さなかったセプティナ──だが。
その実、内心では戦々恐々だった。何しろ魔法をかけられた対象と、魔法を発動させた張本人なのだ。
そうでなくても。部屋に到着し、騒いでいたユーノに苛立ち、頭を鷲掴みした事だけでも好感度を下げるには充分過ぎる行為だ。
ごく短い時間だったが、セプティナにとっては長く、長く感じるユーノとの睨み合いの時間だったが。
直後、ユーノが浮かべていた険しい表情が一転。
顔がふわっと緩み、歯を見せる笑顔を浮かべ。
「えへへっ、ありがと。おてつだいさんもすごくつよかったよっ」
「そ……それは、お褒めいただき……ありがとう、ございます」
屈託のないユーノの笑顔と言葉に。セプティナは戸惑い、動揺が声に表れてしまう。
何故か、と言えば。今、ユーノが見せた笑顔にはセプティナが所属している貴族の世界でよく見る作り笑いなどではない。
一片の邪念のない、純真無垢な笑顔だったからだ。
 




