4話 アズリア、形見の着物を羽織る
アタシの悪い予感が的中したならば。次に周りを取り囲む女性らが取る行動は──おそらく。
「あ、あの締め付け……下手な魔物の攻撃より効くんだよなぁ……」
一度、礼装服を着た経験があったアタシだが。その時に一番窮屈な思いをした手順が。
まず一番に補整胴と呼ばれる、腰回りを細く見せるために腹部に巻く下着の一種なのだが。問題なのは、腰を細めるための方法とその手順なのだ。
補整胴には紐が付いており、この紐をきつく締める事で腹を締め付け、腰回りをより細く見せるのだが。
とにかく一連の行為には、苦痛が伴うのだ。
用意された礼装服を着るには、アタシの腹部と腰回りは少々太過ぎたらしく。礼装服が通る細さになるまでアタシは、補整胴で腹を締め付けられ続けた。
あの時の苦痛は、たった今アタシの口から呟きが漏れたように明確に記憶に残っていた。魔獣に襲われ、爪や牙で傷を負うほうが遥かにマシだと思わせる程の激痛だったのだから。
──その痛みから、二度と礼装服は着たくない、と。アタシはあの時以来、心に誓った筈だったのに。
まさか、遠く海を越えたこの国の地で、再び礼装服を着る事になろうとは。
しかし。
「あ……れ? 腹を締め付け……ない?」
腹を強く締め付けられる痛みに耐えるため、覚悟を決めて目を閉じていたアタシだったが。
いつまで経っても、補整胴を巻かれ、腹に痛みが襲い掛かってくる事態は起こらなかった。
「──失礼いたします」
着替えの手伝いをフブキに命じられ、アタシの周囲にいた女性らは。まず、アタシが身に付けていた薄着を手早く脱がしていくと。
間髪入れずに、同じくらいの薄い生地ではあったが。素肌に当たる感触がまるで違う、滑らかで触り心地の良い生地の薄着を背中に掛けられ。
この国独自の風習である、左右に開いた衣服の生地を胸の前で閉じていく。
ここまでの一連の作業に懸かった時間は一瞬。
「こ、これが……着替えを手伝ってもらう、ッて感覚かい……」
あまりの手際の良さと、予想していた補整胴の痛みが無かった事、そして薄着の肌触りの良さに。
普段から手間の掛かる部分鎧の装着を一人で行っていたアタシは、思わず感嘆の声を口から漏らしてしまう。
これまでは、わざわざ他人に着替えの手を借りる貴族の心情を少しも理解出来なかったアタシだったが。
「今、初めて……貴族の連中が着替えを女中に手伝わせる気持ちが、ほんの少しだけ理解できたよ……ッ」
「ふふ、喜んでいただけて私たちも嬉しいです」
アタシの感想に丁寧な言葉を返した女性が、次に用意してみせたのは補整胴ではなく。
先程フブキが「アタシに着せる」と言っていた、綺麗な装飾が表側に施されたこの国の礼装服であった。
フブキの着ている純白ではなく、黒く染められた生地に。同じく金糸でカガリ家の紋様が縫われていたが。
よく見ると一番の違いは、装飾として刺繍されている模様。フブキの衣服に描かれているのは紫色の大輪の花だが、アタシに用意された衣服にあったのは、燃え盛る真っ赤な炎。
そして、その炎を花弁に見立てた架空の花だ。
アタシの知ってる礼装服は、細かな装飾や形状にこそ情熱を注いではいるが。生地の表面に刺繍を施し、何かを描くという発想はなかったが。
純粋にアタシは、この国の礼装服に込められた発想を「綺麗だ」と感じた。
それだけに、今更ながら。
一介の戦士でしかないアタシが、果たして絢爛な装飾の礼装服を着てよいものか。あらためてフブキに訊ねてしまった。
「な、なあ? もう一度確認するけど、フブキ……イイのかい、これをアタシが着てもッ」
「いいの。むしろアズリアが着てくれなきゃ、母様も困るわ」
「へ? な、何でフブキの母親が──」
フブキとの会話の中に、突如として登場したフブキの母親だが。
会話を深掘りしようとして、喉から出かかった言葉をアタシは、何とか口から飛び出す前に止める。
アタシの記憶が確かであれば。フブキの母親──カゲロウは、既に故人だった筈だから。
しかし、ならば尚の事。何故にアタシが用意した礼装服を着ない事と、フブキの母親が関係するのだろうが。
アタシは馬鹿でも鈍感でもない。考えられる可能性は一つしかなかった。
「おい、フブキ……もしかしなくても、この服はアンタの母親の」
「そうよ、母様が好んで着ていたの」
やはり、フブキが用意した礼装服は、母親が残した形見の品だった。
そんな重大な事実を聞かされ、「はいそうですか」と黙って着替えられるアタシではなかった。
今からでも遅くはない、とフブキの母親の形見に袖を通す事を拒絶する意思をアタシは見せる。
「いやいやいや! そんな大事なモノ、着れるワケがないだろ? アタシなんかに着せずにしっかり管理しておけッての!」
「だからこそよ。アズリアに着て欲しかったの」
しかし。
アタシが固辞してもなお、フブキは首を左右に振って。母親の形見の礼装服を着せようとする、その理由を語り始める。
「だって。アズリアがいなかったら、姉様も私もきっと助からなかったし。今日みたいな日は絶対に来なかった、そう断言出来る」
フブキの言葉に、アタシの着替えを手伝っていた女性四人も相槌を打って、頷きながら。
その内の一人は何故か目に涙を浮かべ、泣き出した理由を涙ながらに語り始める。
「わ……私の夫は、マツリ様への酷い扱いを憂い、意見をしたところ、ジャトラの逆鱗に触れたのです……」
「もしアズリアがあと数日、ここの到着が遅かったら。その武侠は間違いなく処刑されていたわね」
「お、おい。数日ってことは……」
今の話でアタシが引っ掛かったのは、処刑を免れた理由だった。
フルベの街からシラヌヒまで、通常の道中であれば一〇日は必要としたのを。たった五日で到着する事が出来たのは、フブキの知る秘密の道を案内されたからで。
逆に言えば、フブキの案内がなければ。おそらくは目の前の女性の旦那の武侠は助からなかった、という事だ。
「じゃあ実質、アンタの旦那を助けたのはアタシじゃなく、フブキの手柄じゃ──」
「忘れないでよね。その私を土牢から助け出してくれたのはアズリアじゃない」
フブキの功績を讃えていたアタシの言葉を途中で遮ったのは、褒められていたフブキ当人であった。
救出時に腿に矢を受けた箇所を指で撫でながら、フブキは自分の功績をアタシに押し付けてくる。
……矢傷はアタシが「生命と豊穣」の魔術文字で治療し、傷痕は残していない筈だったが。
「そういう事だから、諦めて素直に母様の形見、着てくれないかしら。アズリア」
フブキの言葉に、周囲の四人も力強く相槌を打ちながら。
「さあ」「さあ」「さあ」「さあ」
フブキの母親の形見である炎の装飾が施された漆黒の礼装服を持ち、じりじりと距離を詰めてくる。
アタシがどう足掻いても、この場にいるフブキを含めた五人は、母親の形見をアタシに着せる気なのだろう。
悪意の欠片もなく、純粋な善意で。
考えてみれば、断る理由があるのは提供する側のフブキであって。
もう補整胴がない、と判明した以上は。提供されるアタシに何一つ断る理由はない。ならばこれ以上の固辞は、却ってフブキの母親への侮辱になるのではないか。
「わ……わかったッ、わかったよ、わかったから!」
そう考えたアタシは、これまで続けた抵抗を諦め。
躙り寄ってきた四人の女性のなすがまま、漆黒の礼装服へと袖を通し、着替えさせられてしまう。
◇
 




