8話 若き英雄王、魔神を討伐したその代償
一瞬の静寂。
「はぁ、はぁ、た……倒した……っ?」
魔法のための精神集中を解いたティアーネが、灰と散る魔神ウンブリエルを眺めながら。
一歩、また一歩と恐る恐る、イオニウスとグラハムに歩み寄っていく。
「い、イオっ……イオ!」
しかし、強大な魔神を苦悶させる程の魔法を放った直後、その疲労感のためか。
早る気持ちに、疲弊した脚がついていなかったようで。
「あ、っ?」
魔神が放った瘴気の閃光を防ぐために生やし、神殿の石畳を突き破って生えていた大樹。その根に足を引っ掛け、前に倒れそうになったティアーネ。
「ほら、慌てないのティアーネっ」
「え、エスティマっ、ごめんなさい……」
根に躓いた彼女が、転倒を免れたのは。
救援に駆け付けた褐色の少女・エスティマが、ティアーネの細い身体を支えたからだ。
そんな二人の様子を見て。
「ははっ、相変わらず仲が良いなあの二人は。今じゃまるで姉妹だ」
魔神に長刀を突き立てたグラハムが、しみじみとした口調で語り出す。
砂漠の国と黄金の国という国の違い。砂漠の民と妖精族という種族の違いこそあるエスティマとティアーネの二人だが。
グラハムの言葉通り、まるで仲睦まじい姉妹のように見える。
「そうは思わないか。我が親友よ」
魔神が朽ち、滅んだ今。グラハムが語りかける相手は隣にいたイオニウスしかいない。
グラハムは姉妹のような二人を眺めながら、親友からの返答を待つ。
「ん?」
しかし、いくら待っても反応が返ってこない事を不思議に思い。グラハムは二人へ向けていた視線を隣の親友へと移すと。
隣から、何かが静かに崩れ落ちる音が。
「どうした親ゆ──お、おいっ? どうしたイオニウスっ⁉︎」
「ぐ、ぅ……っ」
イオニウスは何故か石畳に横たわり、声を殺しながら。直前まで斬り落とした魔神の腕に掴まれていた足首を押さえていた。
──見れば、イオニウスの手に隠されてはいたものの。僅かな隙間からは、足首の表面がまるで酷い火傷を負った時のように肌が爛れている。
「な、何が起きたっ、う、おっ?」
さらにグラハムは、イオニウスが倒れ込んだ石畳にじわり……と血が流れ出している事にも気付く。
グラハムも、軽い傷を塞ぐ程度の治癒魔法は使えはしたものの。足首の爛れや床に流れる血の量から、自分の魔法で対処出来る範疇を超えていると判断し。
四人の中で唯一、深い傷の治癒にも対処が出来る仲間の名前を叫んだ。
「ティ、ティアーネ来てくれっ! イオニウスが大変な事にっ!」
「イオがっ?」
余裕のないグラハムの声から、床に倒れたイオニウスに只ならぬ事態が起きている事を離れた位置から察したティアーネは。
「い、イオ! イオっ……イオ、イオっ!」
心配し身体を支えてくれていたエスティマの腕を振り切って、息を切らしながらもイオニウスの元へと駆け寄っていき。
まずは足首の爛れた傷の状態を確認すると、顔から血の気が失せる。
「酷い……瘴気で焼かれてる。こんな傷を負ってたのに、私を助けようとしてたなんて……」
しかし、直ぐに気を持ち直してティアーネは。イオニウスの身体のあちこちを触り、傷を負った箇所を探ろうとする。
「でも、まだ他に傷を負ってるはずよ。これだけの血が流れてるんだから」
床に流れ出した血の原因は、焼け爛れた足首ではない。まだ身体のどこかに、これだけの血を流す傷があるとティアーネは判断したのだ。
そんなティアーネの推察は残念なことに的中してしまう。それも……悪い方向で。
「──え?」
イオニウスの脇腹の辺りを触っていたティアーネの指に、ぬるっとした嫌な液状の感触。
慌てて引き抜いた手には、べっとりと赤く温もりを持った液体が付着していた。
「まさか」
ティアーネ一人では力が足りないため、目線で側にいたグラハムに協力を仰ぎ。横向きに寝ていたイオニウスの姿勢を、腹が見える仰向きへと変えると。
まさにティアーネが危惧した通りに。
イオニウスの脇腹と背中の二箇所に、何かが貫通したような傷を発見した。しかも傷口の周囲が足首と同じように焼け爛れている。
つまり、魔神の瘴気が原因だったが。
「で、でも何でっ? 魔神が放った瘴気は、イオが雷の魔剣で全部斬り払ったじゃない!」
イオニウスが腹に深傷を負った過程が、まるで理解出来なくて。思わず憤りを吐き出してしまうティアーネ。
魔神が瘴気の塊── 「咒魔弾」を多数、放ってきたのはティアーネの記憶に新しい。
降り注ぐ一〇発以上の数の「咒魔弾」を防ぐため。ティアーネもまた防御魔法を用い、神殿内部に大樹を生やしたが。
イオニウスも自分に向けられた瘴気を迎撃するために、「伝説の魔剣」と謳われる雷の魔剣の力を借り。見事に全部の「咒魔弾」を斬り払ってみせたのだ。あの時は間違いなく。
「ち……違うんだ、ティア……この傷は、完全に、俺の油断だっ」
「い、イオ、喋っても平気なの? それに、こんな深傷をいつ──」
腹の傷に爛れた足首の激痛に耐えながら、イオニウスが口を開き。傷の具合が想定したよりも深かったために、顔を蒼白にしていたティアーネへ状況の説明を続けた。
「ついさっき。魔神にトドメを刺した時に……な」
「えっ? ど、どういう事?」
「あの魔神は、最後に足掻こうと狙ってたんだろう……雷の魔剣を振り抜いた時に、腹を魔法で撃ち抜きやがった……」
三対の腕を全部失い、雷の魔剣に胸を貫かれ、特大の雷撃を連続で浴び。さらにティアーネの「始原の水滴」で魔力を根刮ぎ吸われた魔神ウンブリエルはあの時点で滅びを覚悟していた。
しかし同時に、ただ滅びを迎える事を受け入れる事だけは最後まで拒否し続けた。せめて自分を滅した人間の生命を、と。
魔神は、最後に残った瘴気をかき集め。魔神の身体に突き刺さった雷の魔剣を握った瞬間に。
暗黒魔術である「呪魔弾」を発動し──勝利を確信していたイオニウスの腹を穿ったのだ。
「まさか……あんな干涸びて弱った状態から反撃してくるとはな、さすがは魔神だぜ……か、はっ⁉︎」
「い、イオっ、もうわかった、わかったから無茶して喋らないでっ!」
説明を終えた途端、イオニウスが苦悶の表情とともに口から血を吐き出してしまう。
腹の傷が背中まで貫通している時点で、放置すれば死に至る致命傷なのは間違いない。ティアーネは早速、治癒魔法の詠唱を開始する。
「待っててイオ、私が治してあげるからっ──」




