1話 若き英雄王、魔神を討伐するその序章
かつて、過去のホルハイムにて。
魔導王に支配されながらも。魔導王の死後、反乱を起こして統一帝国が分裂する要因にもなったとされる魔神が一角──強欲の魔神ウンブリエル。
新しく建国されたホルハイム一帯を活動地域とし、住人らに与える苦痛や死を糧としていた魔神は。
さらなる糧にと。
大陸でも数人しか使い手のいないと伝えられる精霊魔法の熟練者にして、妖精族の娘・ティアーネを「差し出せ」と要求したのだ。
拒否をすれば、大勢の妖精族が住む森を跡形もなく燃やし、灰燼にしてやると。
「私一人の犠牲で、皆が救われるなら。その役目、喜んで引き受けます」
森と氏族のために、自分の生命を犠牲にする覚悟を決意し。そこに住んでいた人間らに無理を強いて建てさせた、魔神を祀る神殿へとただ一人向かうティアーネ。
──対するは。
一五歳の時に自分の剣の腕を鍛え直すため、当時の国王たる父親に頼み込んで、放浪の旅に出ていた若き日の「英雄王」イオニウス。
魔神が要求したティアーネと既に恋仲だった彼は、ある目的を果たすために魔神が待つ神殿へと同行を願い出る。
「俺に、君を守らせてくれ」
最初は自らの生命を捧げさえすれば、「森を灰にする」という魔神の暴挙を少しの間は止められる……と。一度は諦め、生命を捨てる決意をしたティアーネだったが。
自分を愛し、彼女もまた愛する男の言葉と。自分とはまた違った決意を秘めた眼に。
「い、イオニウス? あなた、まさか……」
「ああ、そのまさかだ」
これまでも何度か、魔神を討伐する試みは行われてきた。
ホルハイム国内で名を馳せた騎士に、ティアーネの暮らす森の氏族からも数名の勇士が魔神の元に向かったが。
誰一人帰還する者がおらず、魔神も健在である時点で全員が返り討ちとなったのだろう。
そんな魔神ウンブリエルを「倒す」という決意を、この時の若き英雄王は抱いていたからだ。
口にした決意を聞いたティアーネは一瞬、嬉しさのあまり顔が綻ぶが。
「で、でもイオ。いくら竜属を倒せる実力のあなたでも、あの魔神は今まで戦ってきた魔物とは格が違う相手なのよ?」
これまでにも二人は、イオニウスの親友であるグラハムと、ティアーネの友人であった魔術師エスティマの四人で冒険者として活動しており。
小さな城ほどの巨躯を誇る火竜を、鉄製の剣一本で倒した事もあったイオニウスだが。
魔神の強さは、竜属である火竜を遥かに上回る。
魔神を倒そうとするイオニウスの決意に水を差すわけではないが、実際に行うにはあまりにも無謀が過ぎる。
想い人の顔が見れた歓喜の感情を一度胸にしまい、ティアーネは遠回しに同行を拒否しようとするも。
「はは、俺だって馬鹿じゃないさ。今のままじゃティアーネの言う通り、勝ち目はないのかもしれんが──」
そう言ってイオニウスが、腰から下げた一振りの長剣を抜き放ってみせると。
これまでティアーネも見飽きる程に目にしてきた、イオニウス愛用の使い古した鉄製の丈夫な剣ではなく。
「そ、その剣はっ……いつもイオが使う剣じゃない?」
「ああ、これはな」
鉄とはまるで違う、魔力を帯びた稀少金属で出来た鋭利な刀身に目を奪われるティアーネ。彼女自身も優れた魔術師であるが故に、目の前の長剣がただの魔法の武器でないのはすぐに理解出来た。
「我が家に代々継承されてきた伝説の魔剣、エッケザックス」
「え、エッケザックスって? まさか……私の記憶が間違ってなければ、伝説の一二の魔剣の……一振り」
大陸に住むなら、人間に限らず妖精族や岩人族などの異種族の間にも浸透している一二の魔剣。
だが、ティアーネも実際に伝説の魔剣を見たのはこれが初めてだったため。驚きのあまり、目の前の魔剣とイオニウスの顔を交互に何度も見返してしまう。
何しろ伝承では広く「一二本ある」と知られる伝説の魔剣だが。実際に魔剣の存在は、ティアーネが知る限り二度しかなかった。
一つは、かつて大陸を統一した魔導帝国アスピオの「英雄王」が所持していた、大樹の魔剣ミストルティン。
そしてもう一つは、選ばれた妖精族のみが就くとされる、邪悪な存在を討ち倒すために特化した力を持つ「魔狩人」が持つとされる。土の魔剣フルンティング。
「でも、イオ? これって、本当にあの伝説の魔剣、エッケザックスだったりするの?」
もし、イオニウスの手にする長剣が本当に伝説の魔剣だとすれば、ティアーネの知る三本目の魔剣となる。
本物の魔剣なら、という話ではあるが。
「俺だって、まさか自分の家に伝説の魔剣が眠ってたなんて驚いたけどな……聞けば、誰も使えなかったんだとよ」
「……そっか。そういう事ね。それで、噂に流れなかったんだ」
確かに、一二の魔剣はそのほぼ全ての行方が分かっておらず。魔剣の所持者となるためには、まず魔剣を発見する必要があるのだが。
妖精族の長老らから聞いた話によれば、伝説の魔剣は誰でも扱える……という事ではないらしい。
剣の実力、人格、それとも全く別の要素なのかは定かではないが。ともかく、魔剣に選ばれなければ、まともに剣として扱う事が出来ないそうだ。選ばれない者が下手に振るえば、使用者の魔力を枯渇するまで吸われる……とも。
イオニウスの家──つまり現在のホルハイム王家が、魔剣の所持を外交の場で公言しなかった理由もおそらくは。現国王を含め、王家の血の繋がった人間の中に魔剣に選ばれる人物が存在しなかったからだろう。
「え」
ようやく納得がいったティアーネは、いつの間にか自分の両手を握り締めながら。熱を帯びた視線を真っ直ぐに向けているイオニウスに気が付いた。
イオニウスとティアーネ。一年ほど旅と冒険を一緒に、寝食を共にした事で。友人以上、男女の関係を築いてはいた二人ではあったが。
どちらかが相手に「愛している」と明言をした事はこれまでになかったからか。
迫るイオニウスの距離に焦り、気恥ずかしさからか思わず顔を逸らしてしまうティアーネ。
「ちょ、ちょっと顔が近いわイオ、どうしたの?」
だが、目を逸らされたにもかかわらず。イオニウスは真剣な表情のまま、ティアーネの手を握りながら言葉を続けた。
「もう一度言わせてくれ、ティアーネ。一度は生命を捨てる決意でここに来たのなら、その生命……俺に預けてくれないか」
「い、イオ……っ」
「もし魔神に敵わなかったとしても、その時は俺も一緒に死んでやるから」
それは、最初にイオニウスの身を案じ、魔神の元への同行を拒否したティアーネへの、明確な拒絶であり。
同時に、死んでも一緒にいるという熱烈な愛の告白でもあった。
「い、イオっ……それって」
「もちろん。魔神を倒しても俺はお前と一緒にいたい。無事、生きて帰れたならその時は……俺と結婚してくれ」
今の言葉が愛の告白なのかどうか、ティアーネが確認しようと口を挟むも。
さらに気持ちを吐き出していったイオニウスは、ようやくティアーネが聞きたかった言葉を口にする。
途端に、頬だけでなく。
妖精族の身体的特徴である長い耳を先まで真っ赤にしてしまうティアーネだったが。
「で、でも……私は妖精族よ。そしてあなたは国の王座を継ぐ人間、それが、婚姻の契りを結ぶだなんて」
不意に寂し気な表情を浮かべるのは、結婚を申し込まれ嬉しい筈のティアーネ。
そう、二人の婚姻には。人間と妖精族という種族と、王族と平民という身分。二つの大きな壁が立ち塞がっていたからだ。




