16話 ロシェット、来たる日のために
「さて、そろそろ良い時間になってきたな」
その後、ロシェットは父親が同じ年齢だった頃の話を聞き。城を出て腕試しをする機会を必ず設ける、という約束を交わした後に。
イオニウスは隣に座っている息子との短い語らいの時間を終わらせ、同じく座り込んでいた床から立ち上がる。
「父上。色々と話を聞かせてくれてありがとうございます」
「懸命なお前のことだ。しっかりと備えているだろうが、城の外は決して優しくはない」
「はい。覚悟しています」
部屋に入り、少し言葉を交わした時にはまだロシェットの顔に不安が色濃く見えた。
両親への劣等感と母親の行き過ぎた愛情とが、表情に影を落としていたのだろう……そう感じたイオニウスだったが。
部屋を立ち去る際に振り返り、最後に見たロシェットの迷いのない眼からは。不安の色は完全に消えていた、少なくとも今だけは不安を拭えたと思う。
それだけでも短い息子との会話は無駄ではなかった。
「いずれ日程が決まれば、正式に通達しよう。それまでは鍛錬を欠かすなよ、ロシェット」
「はいっ!」
「良い返事だ。それではまた明日の朝、よく眠るのだぞ」
ただ一つだけ、ロシェットへの懸念が残るとするならば。
イオニウスは部屋の扉をそっと閉じてから、ボソリと心情が小声で漏れる。
「……ロシェット。お前が秘めたアズリアへの気持ちは、いずれは決着を付けなければならない……一番厄介な問題だぞ」
先程、ロシェットに語ってみせたアズリアを側妃を置くという仮説だが。
本来ならば、王族の婚姻を身分のない人物に持ち掛けるなど前例の無い話であり。それは小国ホルハイムであっても同様だ。
だがあの時に限れば、アズリアを側妃に迎える条件を満たしていた。ホルハイムを勝利に導いた救世主という立場ならば、例外的に王族と平民の婚姻を国の内外へ認めさせる事が出来た──そう、あの時ならば。
だが、既に帝国との戦争から一年。世間は戦争の傷痕が癒え、国民も悲惨な戦争を忘れたい心情の中。
同じように「勝利の功労者」として担ぎ上げるのを、世論は許さないだろう。
だからこそ。
もしロシェットが数ある婚姻の申し出を蹴って、憧憬の念を抱くアズリアに想いを伝えたとして。残念ながら、息子の想いが成就する事は決して無い。
──再び戦争が起き、同じようにアズリアが勝利に貢献でもしない限りは。
もう一つ、解決策があるにはある。
「もう一人、後継者候補が出来ればよいのだけどな」
それは、国王と王妃との間に、ロシェットの弟となる第二子以降が誕生する事だ。
皇帝が絶対的発言権を握る帝国や、代々国王が有力部族から選出され世襲ではない砂漠の国はともかく。その他の国家では、複数の王位継承者がいるのが普通である。
ならば何故、イオニウスは複数の子を王妃と作らなかったのか。
その理由は「子を産む」という行為が母親の身体に多大な負担と激痛を与え、時には出産の際に母親が生命を失う可能性もあるからに他ならない。
しかも妖精族は人間と比較しても、出産時の負担が激しく。ロシェットを産んだ後、ティアーネは七日ほど生死の境を彷徨った。
痛みを軽減する魔法や薬もあるが、まだ開発段階であり。
しかも王妃は人間でなく妖精族なため、果たして魔法や薬が想定通りに効果を発揮するのかも疑問だ。
豊穣と出産を司るイスマリア教会では、魔法の素養のある人間に「望まぬ妊娠を避ける魔法」を積極的に習得させ。教会でも格安で一般女性に魔法を施しており。
実はティアーネも、ロシェットを産んでからは。王都の教会で定期的に魔法の処置を受けていたりする。
そのため、二人の間には一二年もの歳月、第二子を授かる事がなかった──だが。
ロシェットが誕生してより一二年が経過し、出産時の女性の身体を襲う激痛などの負担を軽減する方法は、格段に向上したと聞いている。
勿論、イオニウスが問題としている妖精族への効果も検証済みだ。
第二子以降が誕生することによる後継者問題も、第一王子であるロシェットと一二歳以上も離れていれば。敢えて後発の第二子を次代の王に推す者は現れないだろうし。
第二子が誕生すれば、母親のロシェットに対する過剰な愛情も少しは沈静化するのではないか、とイオニウスは考えていた。
「なんだ、悪い話ではないではないか。うむ、それなら……ロシェットの事を相談するついでに、提案してみるのも良いかもしれんな」
そう、考えれば考える程。
何一つ悪い点がなかったのだ。
自分の寝室へと向かう城の廊下を歩くイオニウスは、今夜王妃に話すべき内容の数々を頭の中で纏めながら。
自分の発想にニヤニヤと笑みを浮かべていた。
何しろ、一人息子の懸想が成就するという事と。大騎士の証である勲章を授与してまで、自分の配下に収めたかった女傭兵をこの国に囲う事は、同義だったのだから。
◇
二人の王妃が大騒ぎを起こし。
国王でもある父親と会話を交わした次の朝。
食事で同席した父親と母親は共に、一言も会話をすることなく食事の時間を終えた。
「どうしたんだろ、父上に母上? いつもは朝でももう少し話すのに」
普段であれば、父親が今日一日の二人の予定を尋ね、母親が嬉々としてロシェットの成長ぶりを話すのが定番なのだが。
何故か二人は言葉どころか、視線すら交わそうとせずに、淡々と出された料理を口にしていた。
一向に口を開こうとしない両親の態度の異変に、ロシェットは思い付く理由が一つしかなかった。
「も、もしかしてっ……僕が城の外に出たい、って母上を説得しようとしたから喧嘩しちゃったのかもっ……」
自分の我儘によって両親の不仲を招いてしまった事に、罪悪感に駆られたロシェットだったが。
食事中の二人をよく観察すると、完全に目を合わさないわけではなく。
ごく僅かに二人の視線が重なる瞬間があったが。何故か二人は、揃えたように同時に目線を慌てて逸らしていたのだ。
仲違いをしている、というよりは。
「あ。これ……喧嘩じゃないや」
二人の間に流れる雰囲気は寧ろ、ロシェットが初めてアズリアを女性として意識した時の反応に酷似していた。
おそらく、昨晩。二人に何かがあった事は確定だが、その出来事によって二人の関係が。何年も続く国王と王妃から一対の男女に変わった、いや……戻ったのだと。
二人でいられるのは、夜を除いては朝夕の食事の時間、それも国王が同席した場合のみだ。
二人の間に流れる雰囲気を悟ったロシェットは、先に食事を終えて席を立つ。
「それでは父上、母上。僕は剣の鍛錬がありますので」
「あ、ああ。リュゼに鍛えて貰うんだぞ」
「また魔法を使ってリュゼを困らせては駄目よ」
食事の後は、リュゼとの剣の鍛錬の時間だ。さすがに食事を終えた直後では身体が鈍るため、鍛錬は少し身体を休めてからとなるが。
「僕の、次の目標。それは──」
昨晩、二人の王妃の魔法合戦を目の当たりにしたことで、まず目標にしていた詠唱破棄を成功出来た。
ロシェットが新たな目標にしたのは、リュゼの身体に練習用の木剣を当てる事。
それも、城外に出る事を正式に認められるよりも前に。
「リュゼの凄さはよく分かってる……無謀な話だ、ってのは僕だって思うけど」
王妃の護衛騎士の筆頭であり。妖精族でありながら、先の戦争でも恐るべき戦功を誇った凄腕の剣士であるリュゼに対し、であった。
我ながら難易度の高い目標だと、ロシェット自身も思っていたが。
「そのくらいの事が出来なきゃ、アズリアさんに会いに行くなんて、きっと叶わないだろうから」
赤髪の女傭兵の憧れを胸に。
ロシェットは今日もまた、剣と魔法の腕を磨く。




