15話 ロシェット、国王からの提案
だが、父親の言葉を聞いてなお。ロシェットの表情は疑問で曇ったままだ。
「そ、そんなこと、突然言われても、し、信じられません……僕が、強い?」
いや寧ろ、疑惑はさらに深まったという表情を浮かべていた。
それもその筈。
ロシェットの認識では、剣の鍛錬ではまだ一度も指南役のリュゼに認められるような動きが出来ず。優れた魔術師である母親に師事をされても、使える魔法は初歩の数種類のみ。
懸命に日々、努力を積み重ねていくも。いや……だからこそ、父と母、両親とのあまりに開いた力の差に劣等感を覚えていたロシェットだから。
「……だろうな。こんな事、いきなり言われたところで、実感なんか湧かないだろう。実際、俺がロシェットの立場だったらそう考える」
「そ、そんな事はっ──」
父親の言葉に、反論をしようとしても言葉を詰まらせてしまう。父親の指摘は、まさにロシェットの今の心情を的確に突いていたから。
母親ほどではないにせよ。家族として、或いは王太子という立場として、イオニウスに大切にされているのを実感していた。
だからこそ。自分の現在の実力を正当に評価されず、贔屓目に判断する。そうロシェットは考えていたからだ。
ロシェットは年齢に不相応なくらいに賢い。だが、城内の世界しか知らないために柔軟な思考に欠けていたりする。
このまま言葉を重ねたところで、ロシェットの誤解が改善出来る見込みは薄い──そう判断したイオニウスは。
「だからだ、ロシェット」
「え? ち、父、う……え?」
伸ばした手を、まだ「信じられない」という顔をしたロシェットの肩に置き。
一息置いて、ロシェットの両眼の奥を覗き込みながら、ある提案を口にする。
「一度、自分の実力をしっかりと理解するために。城を出てみるつもりはないか?」
イオニウスの提案。それはロシェットからすれば、願ってもないまさかの内容だった。
焦がれて止まぬ、憧れの女傭兵と再会するために。いずれは城を抜け出す計画を立てようとしていた。
自分をスカイア山嶺まで連れ出した有翼族たちに声を掛け、その時が来たら城外まで連れ出して貰う算段だったが。
今はまだ実行の時ではない、そう思っていたのに。
「で……でも、父上。そんな事、母上に相談なく勝手に決めてもいいんですか?」
「あ……まあ、そこは俺が説得しなきゃ、いけないんだろうなあ……はぁ、気が重い」
ロシェットが城の外に出る。勿論、唯一の王位継承権を持つ王太子が、両親や権力の庇護の外へ飛び出すのだ。懸念すべき事案は多々あれど。
ロシェットとイオニウス、二人の頭にまず一番に浮かんだのは。王妃ティアーネが激しく反対する姿だった。
何しろ、母子の関係を超えてまでロシェットを溺愛するティアーネは。
多忙な国王が毎日は同席出来ない朝夕の食事にも、一日も欠かさず息子と食事を一緒にしているし。
本来なら宮廷に仕える魔術師の数名から選ぶはずだった魔法の指南役に立候補したのも、より息子と長くいたいがためだ。
「で、ですが、本当に説得出来るんですか?」
その父親が「説得する」と言ったのだから、母親も渋々ながら納得するかもしれないが。
それでも一抹の不安は残る。
信じられないかもしれないが。最近まで入浴や寝室を一緒にしようとしていたりもした……さすがにイオニウスから過保護を理由に止められ、事なきを得たが。
「ここだけの話だが。俺が度々城を抜け出し、城の外で剣の腕を磨いてたからこそティアーネを救えたんだ。魔神の話はロシェットも知ってるだろ?」
「え……は、はいっ、魔神討伐の話なら。でも、あれは母上と一緒に……と聞いていますが」
現代の英雄王・イオニウスの逸話の一つである、
古代の魔神ウンブリエルを討伐した話は。
ロシェットだけでなくこの国の、いや大陸に広く知れ渡り。街の路上や酒場、貴族らの社交場でも人気の物語でもある。
「あぁ確か──いつぞや詩人から聞いた内容は、確かにそうだったな」
王家が持つ雷の魔剣を継承した若き頃のイオニウスと、妖精族の魔術師ティアーネが種族を越え手を組み。
大陸を統一した魔導帝国、過去の英雄王すら倒す事が出来ず放置され。現在のホルハイム一帯を支配下に置き、絶えず下位魔族や魔獣を生み出し続けた魔神を討ち倒し。
ホルハイムに真の平和を取り戻した、と。
しかし、魔神を討伐した時の話題が出てからの父親の表情から見るに。
事実は言い伝えられている物語と違っている、と確信したロシェットは。ただ、知的好奇心を満たす目的で、歴史の真実を聞こうとするも。
「ち、父上の口ぶりからすると。もしや、物語の内容は間違っているという事ですか?」
「いや……まあ、多少の違いはあるが。一々訂正するような話じゃない。だけどな──」
「だけど?」
「あの時の話を持ち出せば、ロシェットが城の外で腕試しをするのをきっと、ティアーネも認めてくれるさ」
王妃を説得しなければならないと聞いて、妙に疲弊した顔から一変。自信に満ち溢れ、勝ち誇ったような表情を見せるイオニウス。
「……ち、父上?」
「あ、悪い顔をしてたか? まあ……ティアーネを言い負かせる機会なんて、なかなかないからな」
国王と王妃、立場が上なのは当然国王であって。対外的にはティアーネも、国王であるイオニウスの立場を尊重し、一歩後ろに控えているような態度だが。
ロシェットが知る家族の視点では、夫であるイオニウスが妻のティアーネに反論出来ない、という全く逆の関係だっただけに。
「あー……コホン」
すると。これ以上ティアーネの話題を続けたくないからか。無理やり変える合図のように、一つ咳払いをしたイオニウスは。
「……ロシェット。もし、城の外に出るなら一つ聞いておきたい事があるんだが」
「な、何でしょうか、父上っ?」
父親の突然の質問に、動揺を隠し切れずに声が少し震えてしまった。
城の外に出る目的は、あくまで自分の現在の剣と魔法の実力を把握し、世間を見聞するためであり。本来の目的──生命の恩人であり憧れである赤髪の女傭兵との再会を願っている事を。
父親に知られてはならない。
そう、思っていたのに。
「そこまでアズリアに会いたいのか」
続くイオニウスの言葉は、まさにロシェットの一番知られたくなかった確信を突く。
憧れている女傭兵、その名前を。
「え⁉︎ い、いやっ? そ、それは……っ」
「ああ、隠さなくてもいい。勿論、ティアーネは知らないし、内緒にしておくから」
誰にも明かしたつもりのない憧憬の念を、イオニウスに見事に言い当てられ。激しく動揺し、上手く言葉を紡ぐ事の出来ないロシェット。
だが同時に、自分を溺愛している母親には隠していた本心が知られていない事に安堵もしていた。
慌てふためき、何とか本心を暴かれたのを誤魔化そうとするロシェットに対し。
イオニウスは一度、視線を外してから言葉をさらに続けた。
「ロシェットは知らんかもしれないが。俺も一度はアズリアにフラれてしまったからな」
ホルハイム戦役が終結した後、帝国軍の約半数であった紅薔薇軍を引きつけ、退けた反抗軍を率いていた女傭兵・アズリアと面会したイオニウスは。
国の大将軍の証となる黄金勲章を授与しようとするも、丁寧に拒否されたのだ。
イオニウスも、あと自分が二〇年……いや一〇年年齢が若ければ、ロシェットがいうように第二妃に迎える提案をしたかもしれない。
「そ、それは……側妃に、ということですか?」
「いや、違う、違うぞ!」
すると今度はロシェットが、先程まで自分が心の内を見透かされた仕返しとばかり。当時の父親の思考を見透かしたような問いを投げ掛けると。
慌てた様子で息子の言葉を否定したイオニウス。
「そんな事をしたら……今ごろティアーネはお前を連れて生まれた森に帰ってるだろうさ。勧誘したんだよ、国に仕えないかと」
この場では否定してみせたが。
あの時はティアーネも、息子の生命だけでなく、猛毒に侵された自身の生命も救ってもらった経緯がある。
謁見の場でイオニウスが側妃の提案をし、アズリアが承諾したならば。反対するどころか、新しい側妃を歓迎したかもしれない。
イオニウスが愛したティアーネという女性は、国王である自分よりも遥かに度量の広い人物なのだから。
まあ……息子の溺愛が行き過ぎる、という困った点こそあるが。




