閑話④ エーデワルト執事長、かく語りき
「ベルローゼお嬢様はあの時、変わられたのです」
当主が不在の、白薔薇公爵領は首都アルトランゼは公爵邸。
帝国が手痛い敗戦をした事で、帝国西部に広がる白薔薇公爵領内の貴族や辺境の地が多少、不穏な動きを見せてはいますが。
今は前当主リヒャルド様が代理として目を光らせ、滞りなく領主の役割を果たしております。
申し遅れました。
私の名はモーガン。
前当主リヒャルド様の頃より「白薔薇」、エーデワルト公爵家に仕えさせて頂き、長らく勤めた功績を幸運にも認められ。
エーデワルト家の将来を支えるであろう、リヒャルド様の孫にあたるベルローゼお嬢様の教育係を命ぜられたのでした。
公爵家の令嬢という事で、いずれは高位の帝国貴族もしくは他国の王族との婚姻を前提とした教育を。
ベルローゼお嬢様は自分の生家の立場を理解していたからか。我儘……いえ、自由奔放な性格で。
最低限の振る舞いや知識こそ身に付けはしましたが、「帝国の三薔薇」に相応しいとは、とてもとても。私を含めた教育係は皆、手を焼きましたし。
当主リヒャルド様も、ベルローゼお嬢様の実父や奥様も頭を悩ます種でございました。
──ですが。
それはベルローゼお嬢様が八歳の頃でした。
公爵家に想定外の不運が降り掛かったのは。
白薔薇領と隣接したウィルタート王国への侵攻戦に参加していた、ベルローゼお嬢様のお父上、そして一番上の子息様が。敵国側の予想外の奇襲を受け、戦死してしまったのです。
次代の当主と。さらに次の世代の当主候補までを失った訃報は。すぐに当主リヒャルド様にも届き。
ベルローゼお嬢様の教育方針を変更せねばならない事態となってしまいました。
というのも。
夫と一番上の子と、愛する家族お二人を同時に亡くした傷心で、公爵家に嫁いできた奥様は体調を崩し。お二人の後を追うように病に没してしまい。
奥様にはもう一人、ベルローゼお嬢様の兄に当たる男児がいたのですが。こちらは生まれついて身体が弱く、幼い頃に本邸のある首都アルトランゼから離れた辺境で療養中。
となれば公爵家を継ぐ人間は。必然的にベルローゼお嬢様ただ一人となってしまい。令嬢としての教育方針から一転、今度は当主として必要な知識や鍛錬を受けなくてはならなくなりました。
幸運にも、神々は前途多難な公爵家を祝福して下さったのか、はたまた神々の悪戯か。
ベルローゼお嬢様は、権力の象徴である太陽神や豊穣の大地母神等、大陸で広く信仰される五つの神全ての加護を受けていたのです。
過去の歴史では、数名ほどいたと記録はあっても。少なくとも我が公爵領、いえ帝国内にもお嬢様ただ一人という稀有な才能──「聖騎士」。
ですが、公爵令嬢としての教育と同様に。
公爵家の後継者としての再教育もまた、ベルローゼお嬢様は真剣に取り組んではくれませんでした。
どうやら、街で見かけた珍しい肌の色をした同年代の子供に興味を示されたようで。
教育の傍ら、護衛付きで街を視察に行く回数が飛躍的に増えたベルローゼお嬢様は。
「ねえ、聞いてますのモーガン。私、言ってやりましたのあの娘に。このエーデワルト家に小間使いとして仕えてみないか、と」
「ええ、聞いておりますよベルローゼお嬢様」
お付きの女中から聞いた話とは違う。
女中からの報告では、公爵領では稀有な黒い肌をした子供にお嬢様が掛けた言葉は。
『肌が黒いとは珍しい生き物だこと、なら我が公爵家で一生飼ってやりますわ、さあ手を取りなさいな』
だったと聞いている。
もしくは今、私がお嬢様から聞いているのは。その時口にした言葉ではなく、お嬢様の本心が漏れているのかもしれませんが。
「なのにあの娘、私の手を払ったんですのよ! こう……バシっと、まるで羽虫を払い落とすかのように。許せません、許せませんわっ!」
そう言って、いつものように癇癪を起こし、地団駄を踏むベルローゼお嬢様。
他の貴族であれば。一度、癇癪を起こせば物を壊したり、使用人や女中に暴力を振るう話も聞いた事があるが。
頻繁に起こるベルローゼお嬢様の癇癪は、そのように周囲に被害が出る事がないのだけが、唯一の救いだったりする。
最早、街の視察が目的ではなく。興味を持たれた肌の黒い娘に会いに行く口実なのは、私も理解してはいましたが。
何故か、肌の黒い娘とお嬢様が遭遇した次の日は。お嬢様が文句一つも言わず、癇癪も起こさずに鍛錬や勉学を真面目に受けてくれる事もあって。
いつしか、誰もお嬢様が街に出るのを止めなくなったのです。
そんなお嬢様の行動に、転機が訪れたのは。
忘れもしません。
お嬢様が一三歳の時でした。
これまで三日を空けずに市街に赴き、肌の黒い娘を見つけては交流をしていたお嬢様でしたが。
そろそろ興味が薄れてきたのか、護衛を連れて市街に出る行為がある日を境にパタリと止めてしまわれたのです。
そして。
「……爺や。私の勉学の時間を、増やして欲しいのです」
「は? い、今何と仰られましたか、お嬢様?」
鍛錬にも、神学や領地経営などの勉学にもまるで興味を示していなかったベルローゼお嬢様からまさかの提案があった事に。
私は不覚ながら、驚きの声を漏らしてしまいました。
「もう一度言いますわ、爺や。私には知識も、剣の腕前も、いえそれ以前の覚悟が足りていなかったのですわ」
ちょうどその日は、領内にある兵士養成校の一つを見学にと。当主リヒャルド様がベルローゼお嬢様を連れて行った後。
屋敷に戻られてから間もなく、お嬢様が私を呼び出し、そう命じられたのです。
「だから、誰もが……いいえ、あの者が剣と生命を捧げるに相応しい白薔薇となる。そのためには──」
私はこの時、お嬢様が心を入れ替えてくれた事だけに気を取られ。この言葉に含まれていた「あの者」とは誰なのか、を気にしてはいませんでした。
それからのベルローゼお嬢様は、失礼ながらこれまでまるで不勉強だったのが別人のように。剣の鍛錬も、勉学も、真剣に取り組む姿勢を見せておりました。
剣の鍛錬に派遣された騎士も、半年程で実力が追いつき、そして追い越され。リヒャルド様付きの近衛騎士が指南役になったり。
教会から神学と神聖魔法の勉学にと呼ばれていた神官も。同じく半年程でさらに高位の大神官が屋敷に訪れるようになったり──と。
元々、神に愛され。不勉強でもリヒャルド様の次第点を勝ち得ていた程の才能を有していたお嬢様は。
たった二年程で、屋敷に仕える人間のみならず領民にまで「白薔薇姫」の呼び名が浸透する程に。剣の腕前と、高位の神聖魔法を使い熟す、まさに「聖騎士」の称号に相応しい人物に成長していました。
だから、まさか。
ホルハイムへの侵攻戦争、その参戦と挟撃を要請する使者として。一月ほど滞在していた砂漠の国から帰還したベルローゼお嬢様が。
皇帝陛下との面会にと帝都へ赴き、屋敷へと戻られてすぐに。
「……爺や。私、またしばらく屋敷を空けなければなりませんわ」
「は? お、お嬢様っ? 失礼ながら、私めにはその言葉の意味が分かりかねるのですが……」
ベルローゼお嬢様が。
いえ……もう白薔薇公爵の名を継がれたベルローゼ様が、これ程に長い旅立ちになるとは思ってもみなかったのです。
ああ、ベルローゼ様。
無事に、どうか無事にお帰り下さいますよう。
そして願っております。
あれだけ執着していた者との再会が果たされん事を。




