閑話③ コーデリア島、竜の魔王の興味は
かつて、島の南側に漂着した人間らが無断で建国した神聖帝国。敵国からの数々の刺客を退けてきた、魔王リュカオーンが振るう獣爪の一撃。
──だが、迎撃する側が尋常ならざる者ならば。上空から迫る攻撃側もまた、魔王の名を冠する者なのだ。
双方の威力は互角。互いに一歩も引き下がる事なく、衝突した爪同士を軋み合わせながら、視線を交わす。
「はっ! なまっちょろい攻撃だなあ、そんなモンかよクソババアっ!」
「……小手調べごときで囀るなよ若造が」
獣の魔王、竜の魔王、両者の一撃が激突した瞬間。
衝突した空間を中心に衝撃波が発生していく。
「む……うっ!」
「きゃああああああっ⁉︎」
隣に並ぶ老魔族は、衝撃波に吹き飛ばされないよう腰を落とし。何とかその場で踏み止まっていたが。
遠巻きに控えていた女魔族は、衝撃の余波に耐え切れず。叫び声とともに後方へと吹き飛ばされてしまう。
「埒があかぬな、次じゃ、次っ!」
初撃での攻防は互角、と判断したエルメラは。一度攻撃の手を緩め、わざと後方へと吹き飛ばされると。
身体が吹き飛ぶ勢いを利用し、背中の竜翼で姿勢を保ちながら。リュカオーンから少し離れた位置に、両脚で地面へと着地する。
「さて……と。我が竜爪は防いでみせたが。こちらはどう捌くかのう?」
エルメラは一度、周囲を確認して。真正面に捉えたリュカオーンの視線の範囲内に、遠巻きに控えていた女魔族と老魔族がいない事を確認した後。
喉に魔力を集め、口を大きく開いていくと。
「かあああぁぁぁ──ああっっ‼︎」
力の「溜め」という予備動作を全くなしに、開いた口から紅蓮の炎を勢い良く、真正面へと吐き出していくエルメラ。
まるで竜属の吐く「火炎の吐息」のように。
「はっ、さすがは竜の魔王だぜ、これだけの威力の炎を吐きやがるとはなぁ」
エルメラが口から炎を吐く様子を、緊張感のない様子でじっくりと観察していたリュカオーンは。紅く燃ゆる業火が迫るというのに、一向に避ける素振りを見せない。
「に、逃げて下さいっリュカオーン様あっ⁉︎」
炎の範囲から逃がれた女魔族は、回避運動を取らないリュカオーンに対し、悲鳴に近い声を発する。
しかし、アステロペが警告したにもかかわらず。
「──だが」
その間にも炎は接近を続け、最早回避行動を取っても間に合わない距離にまで迫ってきていた。
それでもリュカオーンは、立っている位置から一歩も動く気配はなく。
「この程度の炎ならば、避けるまでもねえ」
迫る紅蓮の炎に向け、両手の指から鋭い獣爪を伸ばし。構えを取って腰を落とした──次の瞬間。
地面を強く蹴り。まさかの迫る炎へと突進し、横へと右腕を大きく振り抜いていくと。
勢い良く燃え盛る炎が、上下に両断される。
「ほう……儂の炎を斬るか、やるのう」
自分の放った火炎の吐息を、爪撃で斬り裂いてみせたリュカオーンを見て。感心した反応を示すエルメラ。
「こんなもんで終わりじゃねえぜ、まだまだあ!」
しかし、リュカオーンの行動はこれで終わりではなく。続けて左腕の獣爪を振るうと、爪撃の軌道に沿って再び炎が両断されていき。
さらに二度、三度とリュカオーンが獣爪を振るう毎に。迫る炎は四つ、八つと斬り裂かれていき、炎の威力はすっかり衰えていった。
「俺様を舐めるなよクソババア! テメェの本気の炎からすりゃこの程度の威力、ほんの小手調べだろうが」
「かっかっか。気付いておったか」
そう。エルメラが口から吐いた炎は、確かに見た目こそ派手に燃え盛ってはいたものの。
もし仮に直撃したとしても、表皮を焦がし火傷を負わせる程度で。大事には至らなかっただろう威力なのを、獣の魔王は瞬時に見抜いていた。
だからこそ、回避をせず。その場から動かないという選択を取ったリュカオーンだが。
「だがそれでも、ただの爪に形のない炎を斬り裂く事は通常出来ん。つまりは──」
「ああ、爪に魔力を纏わせた。やったのはただ、それだけだ」
獣の魔王と竜の魔王とが一言、二言と会話を交わす。
爪に魔力を纏わせる、と言葉で口にするのは簡単だが。今、獣の魔王がしてみせた事は言葉通りに簡単な事では決してなかった。
武器や素手に属性の魔力を纏わせる手段として、武器付与という魔法がある。熟練すれば無詠唱で発動が可能だが。属性を付与した武器には「炎を斬る」能力は付加されない。
また、獣の魔王やユーノが得意とする、攻撃魔法の魔力をそのまま全身に纏う「魔戦態勢」という方法では。発動すれば炎や魔法を体表に纏った魔力で弾く事が可能だが、発動には大量の魔力を消費するという欠点がある。
しかし、今。獣の魔王が目の前で炎を斬り裂いてみせた方法は。武器付与でも魔戦態勢でもなかった。
膨大な魔力量と繊細な魔力操作を必要とする魔戦態勢を。より簡易的、瞬間的に発動してみせ。炎が触れた爪のみに、属性を帯びていないただの魔力を纏わせたのだった。
言わば「魔戦態勢」の一歩先の戦闘技法。
「かっかっかっ! 噂では、求婚した人間の女ごときに見事にやり込められた、と聞いていたが。腕は腑抜けてはおらぬようで安心じゃ」
「な、何でババアがその話を知ってやがるっ?」
竜の魔王が話題に上げたのは、どう聞いてもアズリアの話だった。
竜の魔王であるエルメラとは、四天魔王の中で唯一交流を持ってはいたが。遠く南にいる大マリリス火山を根城とする彼女が、アズリアの事を知っているとは到底思えない。
「──もしかしてっ」
獣の魔王はまず、遠巻きに控えていたアステロペとモーゼスへと視線を向けたが。
二人の魔族は首を横に振り、自分が情報源である事を必死に否定する。
先程の戦闘──二人にとっては小競り合い程度でしかなかったが、その際にも焦る事なく冷静に。炎の威力を見切り、双爪に魔力を纏ってみせた時とはまるで違い。
焦りの色を顔に滲ませ、すっかり冷静さを失っていた獣の魔王に。エルメラは思わず大きく笑い声を上げながら。
「かっかっか、安心せい。情報源はリュカオーン、お前の部下ではないぞよ」
「じゃ、じゃあ何でババアがアズリアの事を……っ?」
エルメラとの交流は数年に一度、という頻度であり。当然ながら神聖帝国との戦争中に、島を来訪した記憶はない。
しかも、島の魔族や獣人族の中でもアズリアが「花嫁として召喚された事」「獣の魔王と決闘し引き分けた事」を知っているのは、四天将とアステロペのみ。
ならば竜の魔王は、一体何処からアズリアの情報を耳にしたというのか。
爪を打ち合わせ、炎を吐かれ、睨み合ってもなお。逼迫した緊張感のなかった獣の魔王と、竜の魔王の間に。
初めて緊張感が張り詰めるも。
「そう熱り立つな。噂を耳にしたのは偶然じゃ。じゃが、そうかそうか、噂は本当じゃったとは……のう」
「あ──ば、ババア、テメェ……騙しやがったな!」
「かっかっか。品良く『鎌を掛けた』と言え」
エルメラに種明かしをされた事で、ようやくリュカオーンは自分の態度が疑惑を確信に変えてしまったのを悟り。
言葉巧みな彼女の狡猾さ以上に、自分の発言に憤り。頭を抱えて、その場に膝を折り屈んでしまう。
そんなリュカオーンを傍目に、大笑いを続ける竜の魔王だったが。
「しかし……若造とはいえ、魔王は魔王。その此奴と互角というそのアズリアとかいう人間の女、儂も気になるのう……」
獣の魔王にも、側に控えた女魔族や老魔族にも聞こえぬ小声とともに。
未知なる興味の対象に、エルメラの眼が妖しく光る。




