閑話③ コーデリア島、竜の魔王の襲来
──その時だった。
この場に居合わせた魔王リュカオーン、そして側近の女魔族に老魔族が、揃って上空を見上げる。
「な、何なのだっ⁉︎ この……強大な気配はっ!」
三人の視線の先には、あまりの高度にまだ黒い点しか映ってはいなかったが。
それ程に距離が開いていながらも、上空に突如として現れた島への侵入者から漏れ出た魔力に。アステロペは驚き、魔法の詠唱の準備を始めるが。
隣にいた老魔族が手を伸ばして、身構えた女魔族の詠唱を制する。
「落ち着くんじゃ、アステロペよ。あれは敵ではない」
どうやら女魔族以外の二人は。上空に現れた不審な気配の正体に、おそらくは勘付いている態度を見せ。
見ればリュカオーンもモーゼスも、同じく空を見上げてはいたものの。双方ともに警戒心を強めてはいないようで。
剣技を得意とする老魔族は、腰に帯びた剣に手を掛けてすらいなかった。
「ああ、ありゃ……俺の客だ。まあ、招かれざる客ではあるが、な」
しかし「敵ではない」と言葉にしていたものの。
突如として空に現れた侵入者をジッと睨み付けながら、拳を握り込むリュカオーン。
すると、上空から。
『この儂がわざわざ足を運んでやったのだ! とっとと出て来て儂を歓迎せい!』
まるで島中に響き渡るかと思う程の大音量で、女性の声が放たれ。
上空から真下に向かって放たれた爆音によって、三人の周囲の大気はビリビリと震え。付近一帯に生えていた樹木が音に反応し、枝葉も揺れる。
「ぐ……くうぅぅっ⁉︎」
「な、何て大きな声じゃ! み、耳がっ──」
空からの大きな声、その衝撃をまともに受けた二人の魔族の耳は。音が内部で反響し、一時的に機能が麻痺してしまう。
だが一人、魔王リュカオーンだけは違った。
「あっ……のクソババア、遠慮も無しに馬鹿デケえ声出しやがって」
側近二人のように、爆音と衝撃によって耳が麻痺はしなかったのは。さすがは魔王の名を冠するだけあり、地力で耐えたのだが。
そのリュカオーンは上空を睨む表情をさらに厳しく、歯軋りを鳴らしながら。
「煩ええっ! いきなり馬鹿デカい声出すな仲間が固まっちまっただろうが、こんの──クソババアあっ‼︎」
大きく口を開くと、上空から放たれた声量に負けず劣らずの咆哮に似た大声を。
まるで報復するかのように、声の主が浮かぶ空へと向け放っていく。
そんな魔王の、憤りをそのまま表した言葉……いや暴言に。上空の声の主は、即座に反応を示す。
『……なんじゃと? 誰がクソババアじゃ、こんの……若造がっ!』
耳の機能を麻痺させる程の大音量ではあったものの、その声は「老婆」と呼ぶにはまだまだ若々しく。人間の年齢にすれば三〇歳程の声質ではあった。
だからこそなのだろう。どうやら魔王の「クソババア」という言葉に、過剰なまでに反応した声の主は。
『まずは身の程を弁えさせてやろうぞ!』
そう言うと、暴言を吐いたリュカオーンの頭上へと迫るため。徐々に空から下降し、接近してくる。
ここでようやく、相手の姿を目視出来る距離となり。
大凡、正体を把握していた老魔族も。そして声の主が誰なのか、全く想像出来ていなかった女魔族もまた。
上空から現れた島への侵入者の正体が明らかになる。
「え、エルメラ様っっ⁉︎」
侵入者の正体が、近日中にこの魔王領に訪問を予告していた相手だと知り。驚きの声を上げた女魔族。
魔王エルメラ。
頭から立派な二本の角を生やした、燃えるような長く波打つ赤髪に。大きな胸に尻と肉感的な体格に褐色の肌と、皮膜のある竜属の二対の翼を背中から生やした艶やかな女性の姿をした存在は。
ラグシア大陸の最南端にある海岸線に面し、常に噴煙を上げ周囲に火山灰を振り撒く険しい活火山で。無数の火竜や毒竜、そして鎧竜等の竜属や。亜人種である竜人族が棲み着く魔境、その全てを統べる長でもあり。
竜属と魔族、双方の血を継承しているが故に、四天魔王の一角「竜の魔王」でもある。
同じく魔王たるリュカオーンを「若造」扱いしているのは。魔王の名を継承し間も無いリュカオーンとは違い。
エルメラが魔王と呼ばれたのはリュカオーンが誕生する以前、既に五〇年が経過していたからだ。
「……いや、まさか。護衛を一人も連れず、エルメラ様単独でこの島を訪れるとはのう……」
娘である女魔族ほど驚きの反応は見せなかったものの。
最初に目視した際、老魔族が空からの侵入者の正体に確信が持てず、口に出せなかったのは。まさか魔王が、他の魔王の領地を訪れる時に一体も護衛を付けなかった事が信じられなかったからだ。
以前、リュカオーンが誰にも知られる事なく転移の儀式を完了させ。二度も転移魔法を発動させてアズリアを見初め、島に召喚まで実行した時は。リュカオーンの行動力と身勝手さに一時期、呆れもした老魔族だったが。
今回のエルメラの暴挙とも言える単独来訪に、アズリア召喚の時に感じた無法さを思い返し。
「こりゃ、聞きしに勝るじゃじゃ馬じゃわい」
「……お父様。もし、エルメラ様の耳に入れば」
「はは、そうじゃな。儂らに加え、四天将の残る二人が加勢したところで。手も足も出ないじゃろうからな」
思わず老魔族の口から出てしまった言葉を、娘のアステロペが諌める。
老魔族の戦力の推測はかなり正解だった。
残る二人の四天将──牛魔族の長にして「剛嵐」の二つ名を持つ、巨大な戦斧を軽々と扱う武人・バルムートに。幻惑魔法や智略に優れた猫人族のレオニールが、たとえこの場に居合わせていたとして。
四人掛かりであっても、魔王エルメラと対峙した場合。多少の傷を負わせるのが精々であり、間違いなく敗北するだろう。
当然、戦闘対象をエルメラからリュカオーンに変えても結果は変わらない。魔王と配下との戦力差とは、それ程にかけ離れている。
そんな二人の魔王が、今まさに激突しようとしていた。
「いつまでも年長者ぶるなよ、ババア。俺様の爪でいい加減引導を渡してやるぜ!」
「はっ! よう言うた若造、ならば存分に竜の魔王の力をその身に教えてやるぞ」
上空高くから真っ直ぐに降下する速度と勢いを、そのまま自らの竜の爪に乗せるエルメラ。
対して地上で待ち構えていたリュカオーンは、ただ待っているだけでは落下の勢いが相手にある分、威力負けすると踏み。
一度腰を落として屈み込んだ次の瞬間、エルメラへと向けて大きく跳躍し。
下降するエルメラの竜爪と。
跳躍したリュカオーンの虎爪とが。
空中で激しく衝突し、火花を散らす。




