閑話③ コーデリア島、魔王は妹を心配する
コーデリア島。
大陸より遥か西、ニンブルグ海を越えた先にある島は。かつて人間の支配領域から追放された種族、魔族と獣人族の楽園であり。
島を統べるのは、世界に四人いる魔王の一角「獣の魔王」リュカオーン。
一度は大陸から逃げ出し、島に流れ着いた人間らが勝手に建てた国によって南部を占領され。長らく人間との戦争が続いてはいたが。
半年ほど前、魔王自らが敵勇者を討ち取ったことで、魔族・獣人族側が人間との戦争に勝利し。
島は平和を取り戻したわけだが。
魔王リュカオーンには別の懸念があった。
南にある大マリリス火山を魔王領とする、竜人族を統べる魔王エルメラがこの地を来訪するという話となのだが。
来訪とは全く別の懸念。
「……ふう」
すっかり平和になった空をふと見上げた魔王は、物憂げな表情とともに溜め息を一つ吐く。
その溜め息を聞いた、側に控えていた魔王の側近である老魔族と褐色の女魔族、二人は。魔王が憂慮する原因について、思い当たりがあるようで。
「何じゃ、自分を慕っていた妹が離れたのがそんなに寂しいのか」
「そりゃそうだろうがっ!」
老魔族の言葉を否定もせず、まるで掴み掛かろうとする程に過剰な反応を示す魔王。
半年前。
リュカオーンが「花嫁候補」として島に連れて来た人間の女は、惜しくも花嫁にはならなかったが。同じ人間側に与する選択ではなく、魔王側に属し、魔王軍の勝利に大きく貢献した。
だからその人間が「島を出る」という選択をした時も、無理に引き留める事はしなかったが。
その旅立ちに、魔王の妹・ユーノもついて行ってしまったのだ。
魔王である前に、ユーノの唯一人の兄でもあったリュカオーンは。半年もの時間、妹が不在という経験が無かったため、虚無感に襲われていたのだ。
「俺も最初は、外の世界を見てくれば良い経験になる、程度に思って送り出した。ああ……あの時は確かにそう思っていたさっ!」
「ですが。四天将であるユーノ様が不在の穴は、他の三名で充分に補って余りある活躍をされておられます」
「ゔ、っ……」
「単にリュカオーン様の妹離れが出来ていないのが問題なだけかと」
褐色の女魔族・アステロペは淡々と正論で諭し、反論の言葉を詰まらせていく魔王。
人間との戦争が終結後、優れた魔術師でもある女魔族を「相談役」として自分の隣に常に置き。かつ周囲に花嫁候補だと公表した。
リュカオーンを魔王としてではなく、一人の男性として恋慕の情を抱いていた女魔族だ。そこまでは良かったのだが。
相談役という立場に就いて以来、女魔族は堂々とした態度で魔王へと意見を主張するようになった。例え、主人である魔王と反対の意見であったとしても。
まさにアステロペの報告の通り。相談役の他に、武勇や智略等の能力で選出された四人を、魔王領では「四天将」と呼び。ユーノもその一人として数えられていたが。
ユーノが必要とされている武勇は、幸運ながら現在の魔王領ではあまり必要とはされず。また戦闘力が必要となった場合も、その他配下の者で事足りるような体制を維持しているためだ。
そんな女魔族に続き。追い討ちを掛けるように老魔族が口を開く。
「なら、立派になって帰ってくるのを待っていれば良いじゃろう。黙って帰りを待つのも兄の役目ではないかの?」
「む、それは……そうだが……」
老魔族の名はモーゼス。先代魔王から仕え、幼いリュカオーンの戦闘指南役でもある、恐るべき剣の実力を持つ悪魔族だが。
兄としての態度、を老魔族に説かれてしまうと。女魔族に論破された後では、もう何もリュカオーンは言い返せはしなかった。
遠く離れた相手に自分の状況や気持ちを伝達するには、手紙という手段が人間にはあるが。
遥か太古の昔に、人間の生活範囲からここコーデリア島に追放された魔族と獣人族は「手紙」という習慣を知らず。
たとえ、手紙という手段を知り得たとしても。遠くニンブルグ海を越えてまで、遠く離れたユーノに届ける適任者がいないのも事実だ。
「な、なら。あの時、アズリアを召喚した時みたいにちょちょいと魔法儀式を組めば──」
手紙や釣り、といった人間には最早あって当たり前となったが。魔王領には未知の習慣や手段があるように。
リュカオーンやユーノが使用する「魔戦態勢」に代表されるように。人間とは異なる魔術を行使する魔族や獣人族にもまた、人間が知らない魔術や発動方法が存在していた。
リュカオーンが使う転移魔法もその一つで。
人間がいくら研究しても未だ実用化には至らない転移魔法だ。通常の方法ではいくら魔王と言えど、発動は不可能だったが。
予め一日を費やし、魔法儀式を準備するという方法で。魔王リュカオーンのみが転移魔法の発動を可能としたのだ。
しかも、現在の魔王領には。魔力の顕現を長らく封じられていた、世界を維持するための秘宝「大地の宝珠」が解放され。
魔力が枯渇しかけていた大地の精霊もまた、力を取り戻した事により。魔王領内での魔力の循環は寧ろ、大陸よりも活性化していた。
それはつまり、魔力を要する魔法や特殊能力の威力が増大する事を意味する。
だからリュカオーンは、かつて黄金の国にいたアズリアをこの地に召喚した時以来。
儀式魔法で転移魔法を発動し、自らがユーノの元に移動、もしくはユーノを帰還させる算段だったのだろう。
「まあ、私は止めませんよリュカオーン様」
「そ、そうかっ……いやさすがはアステロペ、話が分かる──」
転移魔法を使う、という提案に。消極的ながらも賛同する態度を見せたアステロペ。
意外な反応に一瞬、リュカオーンは口淀む。てっきり強く反対されると想定していたからだ。
転移魔法を発動させるための儀式に必要な代償は、一日という時間だけではない。住人の食糧に回す事の出来る魔獣の肉や、稀少な鉱石などが一度の転移魔法で消えてしまう。
代償を消費する、という理由から。リュカオーンも、側近らに勝手に儀式を行い、転移魔法を使用するのはほとんど不可能だった。
故にリュカオーンは、側に控えた女魔族や老魔族が転移魔法を使う事を強く反対されるだろう、と予想していた。
にもかかわらず、反対されなかったのに驚くリュカオーンだった──が。
「ですが」
「うむ、そうじゃな」
女魔族と老魔族、二人が声を揃えて言葉を続ける。
「リュカオーン様。もし本当に実行すれば、ユーノ様から嫌悪の感情を向けられる事は……当然、覚悟出来ていますよね?」
「それだけで済んだら良いが。ユーノだけでなくアズリアの気分も害してしまうかも……という覚悟もじゃな」
「な、な、なぁ、っ……そ、そりゃどういう事だ!」
もし転移魔法を使えば、ユーノとアズリア双方の不興を買う、と警告を受け。
一度は賛同したような態度を取ったにもかかわらず、即座に手の平返しをしてきた側近二人に対し。感情を昂らせ、大きな声を張り上げる魔王。
「うん? い、いやっ……だが、そうか、そうだよな」
しかし「妹に会いたい」という感情で頭が支配されていたとしても。
島に住む魔族と獣人族を統べ、「四天魔王」の一角である獣の魔王リュカオーンは。粗暴そうな外見に似合わず、武勇のみならず頭が切れる一面も併せ持つ。
故に一呼吸置いて、僅かに冷静さを取り戻した彼、リュカオーンは。側近である二人の発言の意図を少しずつ理解していく。
しかし、リュカオーンは知らなかった。
まさか、話題に出たユーノが。遠く海を越え、ようやく到着した海の王国で。長らく戦争を続けていた島の人間らが、勝利のために呼び寄せた奈落の神と再戦した事も。
遥か異国の地にて。魔王すら遭遇した事もない、八頭の多頭蛇と死闘を繰り広げた事など。




