閑話② 紅薔薇、その名を継ぐ公爵の力
部屋の中央に唯一人立っていた赤髪の男は、玉座の前の床に座り込んでいたラムザス国王へ視線を向けた。
これ以上ない、と言える程の冷たい視線を。
「この場で貴様を燃やし散らすのは容易い。だが……それでは我が帝国の強大さを示す事は出来ぬからな」
言葉を終えるより前に、興味が失せたかのように国王から視線を外した赤髪の人物は。
姿を現した時と同じように、足元に湧いた闇の中へと徐々に身体を沈めていき。
「ラムザス王国よ。戦場で正面から蹂躙し、この国を貰う。精々、兵の練度を鍛えておく事だ──」
口上を言い終えると同時に、床に広がった闇に赤髪の男の身体は完全に沈み。
役割を終えた闇もまた完全に消え去ると、謁見の間にはただ沈黙だけが漂っていた。
紅薔薇領からの使者に騎士が剣を突き立ててから、あっという間の出来事。
「……な、何だったのだ、今のは」
沈黙を破ったのは、姿を消した赤髪の侵入者に睨まれたばかりの国王。
正直、謁見の間で一体何が起きたのか。国王だけでなく、部屋にいた重鎮らも全く理解出来ていなかったからか。
全員が国王の言葉に首を縦に振る。
何者か、と聞いてこそいたが。国王をはじめ、王国の重鎮らには侵入者の正体に見覚えはあった。
紅薔薇公爵ジーク。
宣戦布告の使者を送り付けていた敵国ドライゼルの、皇帝に次ぐ権力者である人物。
当然、外交の場で幾度となく目にしてきた容姿のままだ。見間違える訳はない……のだが。
「い、いや……そ、そんなはずは。わざわざ公爵が敵国に足を踏み入れる……そんな馬鹿な真似をするわけがない」
「で、ですが、あの赤い髪に整った容姿……わ、私も一度目にした事があります。あれは……確かに帝国の、紅薔薇公爵でした」
信じられない、という表情を浮かべ。首を何度も横に振り、自分の頭にある想像を否定していく国王だったが。
国王に一番近い側近は寧ろ、自分が目撃した時の記憶に間違いないと。国王とは全く逆の見解を示す。
姿を知っていながら、侵入者が紅薔薇公爵である可能性を否定する理由──それは。
突然の宣戦布告だった、とはいえ。
使者を殺害した時点で最早、この国は引き返す選択を閉ざしたと言える。
ラムザス国王が愚か、と思える強硬な姿勢を崩さなかったのは。
過去にも幾度か、帝国との軍事衝突は起きたものの。その全てをこの国は撥ね返し、防衛してきた実績からだ。
──しかし。
同一人物と思える赤髪の侵入者が見せたのは、突然部屋へと転移してくる所業に。
複数の騎士を、骨や鎧の一片すら残さずに灰塵と化した強烈過ぎる火柱の威力も含め。
およそ高位の魔術師でも至難の業と思える魔法を。動作や詠唱もなく、いとも簡単に発動してみせたのだ。
東部七国連合のさらに東に位置する、魔法の熟練こそ国家の至上主義な魔導王国ゴルダならばともかく。然程魔法に力を入れている話など聞いた事のない帝国の、しかも貴族階級に属する人物がそれ程に強大な魔術師だと。
王国の勝利を願うしか道のない国王としては、決して容認するわけにはいかなかったからだ。
「──そう言えば」
「ま、まだ何かあるというのかっ?」
そして、ラムザス側の不安要素は公爵が侵攻戦に参戦する可能性以外にも、まだある。
また別の側近が一人、今更思い出したかのように国王に報告を始めた。
「……現在、我が国で脅威となっている亡者ですが。帝国側で脅威となっていないのは、国境軍にあの『焔将軍』が派遣されたからだと」
「な、何だと! あの最大戦力まで国境に配置してあるというのか⁉︎」
側近からの報告を聞き、本日何度めになるだろう驚きの声を上げたラムザス国王。
先のホルハイム戦役でも縦横無尽の活躍をした、火属性の魔法の天才と名高い紅薔薇公爵軍の女将軍・ロゼリア。
別名「焔将軍」とも呼ばれた人物が、今回の戦争に参加するかもしれない、と知ったからだ。
これまで帝国の侵略行為を撥ね退けてこられたのは、王国の戦力の強大さよりも。
帝国側が「本気の侵攻ではなかった」という理由だったが。その紅薔薇公が、秘蔵っ子である彼女を派遣した事実が示すのは。
これまでと違い、今回の侵攻は本気だという事だ。
「ま、まずは急ぎ、帝国との国境に王都にいる全軍を派遣せよ! 帝国の連中を一歩たりとも我が国に踏み込ませぬためにもっ!」
「そ、それは……」
立ち上がった国王は、側近らに来たる帝国との戦争に向けて迎撃体勢を整えるよう指示を出すも。
側近らは皆、承諾をせずに。難しい顔を浮かべて隣の人間と顔を見合わせていた。
「……お忘れですか国王。我が国には現在、帝国よりも間近の脅威、亡者の大群が発生している事を」
「普段ならばここ王都に常駐していた近衛騎士らも。亡者討伐のために近隣の都市に派遣しております故」
「むぅぅ……国境への援軍は事実上不可能だ、と言いたいわけか」
「残念ながら」
側近たちは口々に、現在対応に苦慮している亡者の大量発生を挙げ。王都を防衛するために必要な数以外は、近隣の都市に派遣している現状を国王へと告げると。
側近らの提言に、国王は自分の命令を撤回するしかなかった。
こうして、王国側が圧倒的不利な状況で。
帝国の侵攻を阻止しなければいけなくなったのだが。
◇
紅薔薇領とラムザス王国の国境を沿って流れる、ライン川の支流の一本。
宣戦布告の使者を王国側に送った、という報告を。事前に紅薔薇公爵ジークから受けていたロゼリアは。
既に直属の騎士や兵士、五〇〇名の第一陣をまず率いて。紅薔薇領側の川岸にて、天幕を張り、陣を築いて待機していた。
後方よりは第二陣以降、合計三〇〇〇もの兵士が続いて進軍している。
その天幕の一つ、ロゼリアが待機する一際大きな天幕の中では。
率いた兵士や騎士らの格好とは明らかに違う三人が、総指揮を取るロゼリアの前に片膝を突き、頭を下げている。
「さて、今回のラムザス侵攻戦は。お前たち三人が私の異名を継いでから初、まさにお披露目の場となるが」
微笑を浮かべながら、三人に話を振るロゼリアとは対照的に。
片膝を突いていた三人。一人は騎士よりも頑強な全身鎧を身に纏った巨漢の男。
一人は魔術師である事を示す法衣を着た、神経質そうな身体の線の細い男。
最後は、黒装束に頭巾を被っているため、顔を良く見ることが出来ない。
「特に……どうだ、ゼクトール? かつてお前の父親が名乗っていた『紅の三将軍』を継ぐこととなった気分は」
「……今、親父の話をする必要はあったのかよ」
ロゼリアが声を掛けた、ゼクトールなる巨漢の男が背中に背負っていた大楯には。
かつてロゼリアと一緒に、紅薔薇軍では知らぬ者などいない「紅の三将軍」と呼ばれる三人の常勝将軍。
その一人としてかつて数えられていた、帝国重装騎士の精鋭、老齢の重騎士ロズワルド。
その重騎士が纏っていたクロイツ鋼製の全身鎧に刻まれているのと同じ紋章だった。




