458話 エイプル、再び魔竜の涙を求めて
──一方、時を同じくして。
この国を統べる「太閤」アマツガ・ミスルギに秘密裏に交渉を持ち掛けた人物。
青薔薇公爵家は「十二姉妹」が一人。エイプル・ガラドリエルは、とある場所を目指していた。
「やっとだ……これで! これで、目的は果たされるんだ、っ!」
本来ならば帝国にいるはずの彼女が、本来ならば遥か南方に位置する……しかも交流の断絶したこの国に持ち込んだのは。
封印された伝承の魔獣「八頭魔竜」を復活させる方法だった。
地中に流れる魔力を取り込み、八本の頭を生やすまでに変異・覚醒した多頭蛇がその魔獣の正体。
魔獣は稀に魔力を過度に取り込み、特異な変異を遂げる事がある。そういった魔獣は本来の名称とは別途に名前を付けられる事から、人は「悪名付き」と呼ばれるが。
八頭魔竜もまた、多頭蛇の「悪名付き」というわけだ。
何故、そのような危険で強大な魔獣を復活させるなどという無謀な案を。この国の中枢部が受け入れたのかは謎だが。
勿論、無謀な案を持ち掛けたエイプルにも果たしたい目的があった──それは。
「ようやく、父様の病を癒すことが……出来るっ!」
孤児だったエイプルを拾い、立派に育て上げてくれた義父である現・青薔薇公爵クオーテ。
今は病の床に臥せる父親を癒すために絶対必須な、多頭蛇の涙を手に入れるためだ。
しかもただの多頭蛇ではなく、ある条件が含まれていた。それは、最低でも六本以上の頭を持つ事だった。
多頭蛇自体も、滅多に出没しない魔獣ではあるが。多くの頻度で見られるのは、精々が二本頭か三本頭……それでも村一つであれば壊滅させられる脅威だし。
同じ「十二姉妹」が暗躍した、海の王国での騒動で王都近海に出現した五本頭の多頭蛇には。世界最強と謳われる海軍が総力を結集し、何とか討伐した程だ。
つまり六本以上の頭を持つ多頭蛇など。滅多に見る事もなければ、出現したらしたで恐るべき被害を生んでしまう──まさに魔獣、と呼ぶに相応しく厄介な存在なのだが。
まさに八頭魔竜は、エイプルにとって理想的な魔獣と言えた。
伝承によって、八本頭である事は確定している上に。復活させた魔獣が猛威を奮ったとしても、この国は自分らの領地から海を隔て遠く離れた地だ。何が起きようが、こちらの関与する話ではない。
筈、だったのだが。
エイプルにとって想定外の事態が起きた。
「まさか……この地に白薔薇が来るなんて話、聞いてなかったっ──」
それは、白薔薇公爵家の一人娘・ベルローゼの襲来である。
確か……報告では。白薔薇姫は皇帝陛下より勅命を受け、ホルハイム戦役で紅薔薇軍を撃破した女傭兵を確保するよう動いている、と聞いていたが。
勅命を受けた筈の白薔薇姫が、何故かこの国を訪れていた上。知らぬ間に公爵家の当主を継承していたのは。
全て、女中として潜入していた「十二姉妹」の一人・セプティナからの報告で知った話だ。
「セプティナも……何のために白薔薇家に潜入していると思ってるのっ? もし、白薔薇が折れたらどうなっていたか……っ!」
もし、このような辺境も辺境の地で。復活させた魔竜の手により、白薔薇姫が生命を落とす事態にでもなれば。
確かセプティナの報告では、今や先代公爵リヒャルドの他に白薔薇公爵家を継承出来る人間は残っていない。
白薔薇姫の死はつまり、帝国を支える「帝国の三薔薇」の一角が崩壊する事を意味していた。
「ま……まあいいっ。結果的には、全てが私の描いた想定通りに動いてくれたんだもの」
そう言ったエイプルが足を止めたのは、地面に空いた巨大な穴だった。
「着いたわ。この穴ね」
真下を覗き見ても底が見通せない程に深い穴、その縁に立ったエイプルは。勢いよく跳躍し、巨大な穴に身を投じていくと。
「──竜飛翼」
エイプルの背中から二枚一対の竜属の翼が生え。巨大な穴の内部を翼の推力で滑空しながら、深い深い穴の底を目指していく。
「この奥に、完全復活した八頭魔竜がいるのね」
実は一度、エイプルは以前にも魔竜の頭の一本から涙を採取し。義父クオーテと、病の特効薬を作成出来る「十二姉妹」の一人で治癒魔法を得意とするジュノーの元へ届けた事があった。
が。ジュノーからは魔力不足を理由に、再採取を頼まれてしまったのだ。
確かにエイプルは、八本頭の多頭蛇である八頭魔竜を復活させ。その頭の一つから涙を採取した筈なのに。
だからエイプルは、カガリ家で起きていた権力闘争に目を付け。
彼女の提案に乗った太閤側にいたジャトラ・コクエンなる野心溢れる人物を強力に後押しした。
結果、カガリ領で大勢の住民が魔竜の腹に収まり、八頭魔竜は順調に復活を果たしていった。
いずれ、義父の不治なる病を癒す特効薬の材料となる涙を生み出すために。
エイプルはこの国の人間らに悟られる事なく、八頭魔竜の胴体部が身を潜めていた位置を特定し。
その場所に至るための通路を作り上げていた。得意としていた竜属性の魔法で、地面を掘り進めて。
「私はたくさん、たくさん準備して……もう充分すぎるほど待った。これ以上は父様を待たせたくないっ!」
ようやくエイプルが八頭魔竜の本体を発見した時は、まだ頭が五本しか復活していなかった。
ジュノーが届けた涙を「魔力不足だ」と評した理由に、まさに納得した瞬間であった。
だからエイプルは待った。魔竜が成長し、父親の特効薬の材料が採取出来るようになる──収穫の時を。
カガリ領での騒動が本拠地シラヌヒでの決戦を迎えるとなり。八頭魔竜の頭の復活も急速に進行し。
先日、ついに八本の頭が完全に復活した。
勿論、伝承に謳われる強大な力を有する魔獣だ。いくらエイプルが稀少な竜属性の魔法の使い手だからといっても、単体で真正面から涙を採取するのは至難の業だ。
そしてエイプルにとって絶好の機会が訪れる。
「頭を四本も失った今ならばっ!」
先に涙を採取した際に、魔竜の頭を一度ならず二度も討ち倒した女傭兵・アズリア。
そして、白薔薇姫やその他大勢が共闘し、さらにもう二本の魔竜の頭が倒された。
もし魔竜が素直に涙を提供せずとも──寧ろ言葉が通じぬ魔獣と交渉が出来るなどとは微塵も考えてもいないが。
ならば出会い頭の一瞬、不意を突いて。残る四本の頭のどれか一つの眼球でも、竜属性の魔法で変貌させた鋭い爪でくり抜いてしまえば。
充分過ぎる量の魔竜の涙を入手出来るだろう。
そう画策し、穴の最深部に到着したエイプルは。
そこで信じられない光景を目にした。
「お、魔竜の本体が……いない、ですって?」
何と、一つの城ほどに巨大な八頭魔竜の胴体部と、残る四本の頭があったであろう巨大な地下の空洞には。
全く、何も存在していなかったのだ。
「そ……そん、なっ……」
エイプルは愕然とした表情とともに、地面に両膝を突き、力無く崩れ落ちていった。
魔竜を逃がした、という事は。病に臥せる父親の特効薬を作れない事と同義だからだ。




