457話 アズリア、二人の英断に感謝する
──ならば。
お嬢がこの地に残した未練を解決してやる、のが正しいとアタシは思う。
当初の目的だ、とお嬢が口にしていた「アタシへの謝罪」は。過去の精算と和解という最高の結果を出したばかりだ。
果たして、お嬢がこの国にどんな未練を残しているのか。アタシにはまるで思い当たる要素がなかったのだが。
「やり残したコトがあるのに、そのまま帰っちまうなんて。そんなのお嬢らしくないじゃないかい?」
「そ、それよりもっ、馴れ馴れしいにも程がありますわ! まずはさっさと……離れなさいなあっ!」
最初こそ嫌がる口調ではあったものの、本気で首に腕を絡めたアタシを退かそうとする気がなかったものの。
さすがに揶揄い過ぎたのか。徐々にアタシの身体を押し退けようとするお嬢の腕にも力が込もってくる。
「……そろそろ、かねぇ」
これ以上はお嬢の感情を逆撫でし、下手な怒りを買う事になってしまう。アタシは、強引に引き剥がされる前に自らお嬢から離れていく。
いくら過去の出来事を謝罪してきたとはいえ、お嬢の性格が突然に可愛く急変したわけではなく。感情的、かつ直情的な性格なのは、砂漠の国で再会したアタシに容赦なく剣を抜いた事からも明らかだ。
そんなお嬢を今、本当に嫌がられ、激怒されてしまえば。先程の謝罪と和解がまさに台無しとなってしまうからだ。
アタシの思惑通りか、多少は不機嫌になってはいたものの。何とか感情を爆発させずにいたお嬢は。
「だ、大体、お前にっ……私の何が分かると言うのですか、これでも私はっ──っっ」
突然、背後から馴れ馴れしく首に腕を絡めたアタシを睨みつけ、最初こそ勢い良く文句を言い放ってきたが。
すぐに直視していたアタシから顔を逸らし、言葉の勢いが止まってしまった。
しかし、お嬢の今の主張は。同時にアタシが、目の前にいる彼女が隠してきた本心を耳にした時に抱いた気持ちでもある。
「そりゃ……まあねぇ。互いのコトなんてほとんど何も知らなかったからこそ、アタシとお嬢との過去、だったんだろうけどさ」
「そ、それはっ……確かにお前の言う通りで、何も反論が出来ませんわね……」
お嬢から聞かされた本心。
それは、肌が黒く右眼に魔術文字を宿したアタシを「嫌悪していた」からではなく。寧ろ、嫌悪とは逆の感情からアタシとの交流を望んだ行動だった、と。
しかし、差別からか平民より一層低い立場のアタシと。帝国でも遥か高い地位にいる帝国貴族の令嬢たるお嬢が。平民のアタシとまともな交流が出来る訳もなく。
そしてお嬢の周囲の人間の思惑が絡み、アタシへの忌避と虐待はさらに加速していく事になった。
──幼少期のあの時。
もし、お嬢が少しでもアタシに「仲良くなりたい」と本心を漏らしてくれていれば。
或いは、一六歳になって逃げるように兵士養成所に入るのとは別の未来があったのかもしれないが。
アタシは今の自分が進んだ道に後悔はない。
今、問題にすべきなのは。語るべき相手に本心を伝えなかった結果。
杯から溢れた水が二度と元通りに戻らないように、取り返しののつかない未来を。お嬢に繰り返さなせない事だ。
「そりゃ、お嬢は白薔薇様だ。引き留めたって、いつかは自分の領地に帰らなきゃいけないのは知ってるさ」
「だ、だったら私っ──」
確かにお嬢が言うように、白薔薇公爵領の統治者であるエーデワルト公爵その人が不在、というのは問題、と言えば問題だが。
領地を所有する貴族が全員、自分が領地を統治しているかと言えば、実はそうでもない。貴族本人はより贅を求め、領地ではなく。大概は国の中枢である王都に生活基盤を置くのは案外普通の事だと後で知った。
……そう言えば。シルバニア王都で冒険者を雇い、ランドルの一人娘・シェーラを誘拐した伯爵も。領地とは別に王都に別邸を建てていたのを思い出す。
話が逸れたが。
いくらお嬢が「白薔薇公爵」を継承していたとしても。公爵自らが統治を行う必要性は全くない。
何なら、お嬢に公爵位と白薔薇家の当主を譲り、隠居した先代がいれば。当分は領地の心配は不要なのではないか、とすら思ってしまったアタシは。
「……でもさ。マツリの頼みを聞いて、宴までアタシらと一緒にいるくらいはイイんじゃないかねぇ」
「そ、それはっ……」
遠慮も無しに、マツリに続いてこれから開催される勝利の宴。その参加をお嬢へと要請する。
すると、アタシから顔を逸らしていた筈のお嬢が。何故か一瞬、視線だけをこちらへとゆっくりと動かしていた。
お嬢の不可解な目の動きを即座に把握し、アタシはジッとお嬢と目線を合わせていくと。
「……は、っ? な、何故、私をジッと見ているのですかっ!」
「い、いやッ……何でもないよ」
アタシと視線が交わるのを嫌がり、またもお嬢はこちらから背けていた顔をさらに動かし。
こちらに後頭部を見せ、完全に真後ろに向いてしまう。
実はこの時、アタシは。「こっちを見たのはお嬢だろ」という言葉が口から飛び出そうになるのを、どうにか必死で堪えていたが。
「……ま、まあっ。お前がそこまで残れ、と頼むのであれば、勝利の凱旋に顔を出すくらいは、その……してやらない事もないですわ」
真後ろを向いたままのお嬢から、唐突に聞かされるのは。
帝国に帰還する、という。茶番まで演じてまで決めた選択をまさに撤回する言葉。
「だとさ、マツリ」
アタシは最初に立ち去ろうとする手を掴み、お嬢を引き留めたマツリの顔を覗き込む。
「あ、ありがとうございますアズリア様っ!」
視線の先にいたマツリは、深々と頭を下げながらまるで恐縮したような口調で感謝の言葉を口にするが。
寧ろ、感謝したいのはアタシのほうだ。
あくまでアタシは、マツリの頼みを断る時のお嬢が一瞬見せた表情が気になっただけで。
本当であれば、アタシへの癇癪を演じてまでこの国を出発しようとしたお嬢の意思を汲んで。一度は別れの挨拶を受け入れたつもりだった。
だから、お嬢を引き留めたのは。
その手を掴んで彼女の脚を止めたその時。アタシが自分の決断をひっくり返す時間を提供してくれたマツリの手柄なのだから。
アタシの口が自然と動く。
「アタシこそ、ありがとうな。マツリ」
これでようやく戦後の後始末も決着し。
まだ八頭魔竜の所持する魔術文字は完成してはいませんが。
第9章は一応の完結となりますが。
あと数話ほど、残った謎のため続きます。




