452話 アズリア、魔剣の所有権を手放す
その時、師匠の視線がアタシから。地面に刺さっていた大樹の魔剣へと移ったのを見て。
その目配せから、アタシは一つの仮定に辿り着く。
「──も……もしかして」
続けてアタシは下を向き、先程まで大剣を握っていた自分の右手を凝視してみせた。
ヘイゼルと言葉を交わしていた流れで、あの時アタシは魔剣を手放してしまった右手を。
いくら本当に振るう気が微塵もなかったとはいえ、伝説の魔剣の刃をヘイゼルへ向けるのは躊躇われたからだが。
冷静に考えてみれば。
アタシの身体に、魔力枯渇の影響が色濃く現れたのも。まさにヘイゼルに絡もうと魔剣を手放した直後からだった。
その事実が意味するのは、一つ。
「師匠が渡してくれたあの魔剣が、アタシの魔力を補ってくれていた……?」
「そうよ」
アタシの口から飛び出した仮定の話を、即座に肯定してみせた師匠。
まさか手渡された大樹の魔剣こそが、一連の出来事で魔力を酷使したアタシの身体へと。魔力枯渇を起こさないように、魔力を補填してくれていたのだと。
これでアタシが抱いた疑問は全て氷解した……と同時に。
「は、はッ……握ってるだけで魔力が補充される。魔竜に試した切れ味といい、知れば知るほど、伝説の魔剣ッてのは……トンデモない代物だねぇ」
師匠がアタシに手渡してくれた、伝説の一二の魔剣の一振り・大樹の魔剣。
敵対した魔竜の堅い鱗も分厚い肉や脂、そして骨ですら。握る手に何の抵抗も残さず、両断してしまう程の威力を発揮してみせた。
さらに。本来であれば時間経過を待つ以外には有効な回復手段のない魔力を。魔剣の所有者に限っては、剣を握っている限り常に回復していくという、これまたあり得ない能力だ。
あくまで自己強化が主な効果である魔術文字しか使えないアタシでは、所持しているだけで魔力が回復する能力も宝の持ち腐れだが。
もし……もし、である。仮に広範囲への攻撃魔法を得意とする魔術師がこの魔剣を所持すれば、戦場では無敵なのではないか。
そう想像すればするほどに。アタシが本当に手に取って良いのだろうか、という疑念が頭を巡る。
確かに、伝説の魔剣がこれ程の力を持っているならば。各国の王族や貴族がこぞって所有者になろうと躍起なのも。また、噂では……帝国の皇帝が伝説の魔剣を入手する目的で黄金の国へ侵攻した事も納得の話だ。
現「英雄王」として名高い、黄金の国の国王・イオニウスは。同時に伝説の一二の魔剣の一振り、雷の魔剣の所有者としても知られていたからだ。
「何言ってるのよ。魔剣はアズリア、私があなたにあげた物なんだから」
すると。
魔力枯渇を起こし掛けていたアタシに魔力を送り込んでいるためか、離れる事が出来なかったのだろう。アタシに抱きついた体勢のまま、二、三、指を動かしていくと。
地面に突き刺さっていた大樹の魔剣が触れていないにもかかわらず、地面から勝手に刃が抜け。まるで何者かに投擲されたかのように、師匠の手の中に戻った。
まるで「引寄せ」の対象としたように、離れた場所から魔剣を取り寄せてみせた師匠は。
握った魔剣をアタシへと再び手渡してくる。
「ほら。さっさと握り直して──」
「いや。やっぱり受け取れないね、魔剣は」
大した意味はない。師匠からすれば、魔力の補充のためにさっさと魔剣を握って欲しい善意からの提案だったのだろう。
だがアタシは。
差し出された魔剣の受け取りを明確に拒絶した。
「こんなコト、師匠に言いたかないんだけどさ」
魔剣を地面に突き刺す、という雑な扱いをした事で。師匠の怒りを買うのを避けようとしたアタシが、魔剣の譲渡を断るのは何とも妙な話だが。
アタシは恐れていたのだ。
もし、明確に拒絶の意思を見せなければ。師匠は本当に、伝説の魔剣をアタシへと──この場に置いていくだろうが。
問題は、あまりに強力過ぎる魔剣の能力であった。
今、アタシが愛用している大剣も。確かに強力な武器である事には違いない。鉄よりも強靭な金属・クロイツ鋼を用いた巨大な刀身は、並大抵の兜や鎧を容易に叩き割る。
だが、クロイツ鋼は強靭な代償として、鉄よりも遥かに重量が嵩む。アタシの振るう大剣の重量は、大の男を一人でも釣り合わない程に──重い。
当然ながら、そんな重量のある武器を普通の扱い方で扱い来れる筈もなく。
八年前に帝国を出奔した時から今まで、独学で大剣の扱い方を試行錯誤している最中なのだ。
対して、師匠から授かった魔剣はと言うと。
「こんな凄い魔剣を使い続けてたら、アタシはダメになっちまう……」
普通に出回っている鉄製の剣よりも軽く、まるで木の枝を振ってる程度なのに。その切れ味は、刃が触れた箇所が肉だろうか鎧だろうが。関係なく両断していくだろう。
下手な鍛錬など不要、それでいて鋭過ぎる切れ味と威力が約束された武器。それが伝説の魔剣だ。
これ程に理想的な武器は他にないと思える。
思えるのだが。
視点を変えれば「使い手を選ばない」という事は、別に持ち主がアタシでなくても構わない。
「だったら、魔剣より劣ってようが。アタシにとって最良の武器は──」
扱えるのがアタシ以外にいない、クロイツ鋼製の愛用の大剣とは真逆の武器だったりする。
師匠が身体に触れた事で魔力が補充され、不意に襲った脱力感の影響も無くなってきていたアタシは。
一度は右手から落としてしまった大剣を、地面から拾い上げながら。
「やっぱり、大剣なんだ」
「……ふぅん、でも。それだけじゃないんでしょ?」
さすがは師匠、こちらの心の内を見透かしているのか。アタシが魔剣の譲渡を断った理由はもう一つあった。
「ああ、そっちの理由のほうがもっと重要かもしれねぇ」
重要な二つ目は。先程からずっと考えてはいたのだが、アタシに伝説の魔剣があまりに不相応だ、という点だ。
「師匠から貸してもらったこの魔剣は、多分……いや、間違いなく騒ぎになっちまう代物でもあるんだ」
現時点で、魔剣を所持していると公言しているのは二振りのみ。
砂漠の国の国王・太陽王ソルダと、黄金の国が国王イオニウスの二人だけだ。一二の魔剣のうち、残る一〇本が所有者も、魔剣の存在すら不明となっていたりする。
そのような状況下で、もしアタシがその内の一振りを所持している事が周囲に知られてしまえば。魔剣を求めて、様々な勢力が寄ってくるだろう……アタシが望む望まぬに関わらず、だ。
「もちろん、アタシも要らぬ騒ぎに巻き込まれるのは嫌だけどさ。アタシはこれ以上……師匠に人間を嫌いになって貰いたくはないのさ……」
先のシルバニア王都での、生命の恩人ランドルの一人娘シェーラの誘拐騒動で。何の害も被ってはいない師匠は、あの国との契約を破棄した──と本人の口から聞いたばかりだ。
これがもし、元は師匠の所有物である大樹の魔剣を巡って騒ぎが起きる事があれば。シェーラの時を遥かに超える規模になるだろう事は容易に想像が出来る。
勿論、予想通りの騒動が起きたとしても。アタシ一人だけならば、いくらでも回避する術ならある。
加えて、魔剣の能力を最大限に駆使すれば。王都にいる軍勢全てを敵に回しても戦えてしまうのではないか、とすら思えてくる。
だが、その時。
今や破棄する契約すらない師匠は、あの国の貴族や国に対し。どのような感情を抱いてしまうのかが──怖いのだ。




