450話 アズリア、あの時の恨み
ついに笑いが堪えきれなくなり、口から声が溢れてしまう。
「く……くく、っ」「はは、ッ……!」
一度、声を出してしまうともう我慢など出来ない。
堰を切ったようにアタシは笑い出してしまい。同時にヘイゼルもまたアタシ同様に我慢の限界だったのか、腹を抱えて盛大に笑っていた。
「「あっはっははははははは‼︎」」
何の予兆もなく互いが武器を構えた突然の出来事に一瞬、周囲に走った緊張感が。
アタシとヘイゼルの笑い声で一気に弛緩する。
◇
「え、えっ? ど……どういうこと?」
驚きのあまり身体が動かず、姉のマツリに先に制止に動かれてしまったフブキも。何が起きたのかを頭が理解出来ず、困惑するだけだったが。
唯一、マツリを止めたユーノだけは。呆れたような溜め息を漏らしながら。
「ほらね、ボクがいったとおりだったでしょ。おねえちゃんたちはふざけてただけなんだって」
「た、確かに……ユーノ様の言った通りでした」
アタシとヘイゼルに戦意が微塵もないことを、最初から見抜いていたからか。姉妹二人に説明しながら、小さな身体ながら胸を張って。自慢げな笑顔を浮かべていたユーノ。
「えっへん。だってボク、おねえちゃんとながーくいっしょにいるから。これくらいはねっ」
「……む、っ」
しかし、あまりに得意げなユーノの態度が癪に障ったのか。フブキは一瞬だけ不機嫌な表情を浮かべた直後。
「で、でもっ、アズリアが私を助けてくれた時、ユーノはどこにもいなかったわよね? 少なくとも、この国で一緒にいた時間が長いのは、私のハズだけど」
「そ、それはっ、そうだけど……む、むむむぅ」
何を思ったのか、アタシと同行していた時間でユーノと競い始めるフブキ。
ユーノと再会したのは、フブキを救出してからフルベの街に到着し。カムロギと一度目の出会いを終えてからだ。
この国に滞在している間、というフブキの条件提示に沿うならば。確かにフブキの主張は間違ってはいない。いないのだが。
「で、でもでもっ! ボクはフブキよりもっともっともーっとまえからおねえちゃんといっしょだったんだからっ!」
問題は、ユーノがアタシやヘイゼルと長らく一緒にいたから。今のやり取りが冗談かどうかを見抜けたのか、という点だったのに。
いつの間にやら、アタシと一緒にいた時間そのものが二人の会話の焦点に変わってしまっていた。
「……何よっ!」
「フブキこそなんなのさっ!」
アタシの記憶では、ユーノと再会した直後。フブキと顔合わせをした時も、二人はこうして言葉の応酬をしていた気がする。
シラヌヒまでの道中、そして魔竜との対決を経て。第三の城門を守る子供の姿をした傭兵シュパヤとの対決では、ユーノとフブキが共闘してみせたり。傷付き意識のないユーノを、まるで妹のように心配していたフブキの姿から。
二人の関係は改善されたものだと思っていたが。
◇
「やれやれ……あっちは何やってんだか」
ヘイゼルが向けた単発銃に、鉄球が込められてない時点で、攻撃の意図がないのは即座に理解出来ていた。
なのに、周囲が誤解するような行動を取ったヘイゼルの意図とは何か。おそらく深い意味などなく、単にアタシを試したかっただけなのだろう。
ならば。その茶番に本気で付き合ってやろう、そう思ったアタシは。背中の大剣を握ってみせたのだ。
──まあ、アタシとしては。
「その単発銃に、ホントに鉄球が込められてたとしても構わなかったんだけどねぇ」
その時は、ヘイゼルが単発銃から鉄球を発射するよりも早く、大剣の幅広い刀身で筒口を向けられた箇所を防御し。次の攻撃が飛ぶより先に、ヘイゼルに大剣を振るうだけだ。
目の前で大笑いを続けるヘイゼルもまた、そんな展開になるのは想定済みなのだろう。
「ははは──そん時ゃ、どうせその馬鹿デカい剣で防ぐつもりだろ。普通の武器なら無理だろうけど、アズリアとその武器ならやっちまいそうだ」
今、アタシが予想したのと、全く同じ事を口にしながら。呆れたように肩を竦めて、握っていた単発銃を再び腰に納める。
「何しろ。あんたに報復するための手の内は……まるっと全部、魔竜とあの弓使いとの対決で使い果たしちまったからさ」
「弓使いって……ああ」
そう言うとアタシは、ヘイゼルとほぼ同時に同じ方向へと顔ごと視線を移した。
視線の先にあったのは、これまで会話の外であり。当人もまた遠巻きにこちらを見ていた人物──カムロギだった。
ヘイゼルが言う「弓使い」とは。マツリ救出に王城に向かうアタシらの前に、カムロギと一緒に立ち塞がった四人の傭兵の一人。
「確か……名前は、イスルギといったかねぇ」
巨大な鉄弓を軽々と引き絞り、強烈な威力の鉄矢を次々と正解無比な狙いで放つ恐るべき弓の腕は。カムロギらが待つ第三の城門に到達する前より、アタシら苦しめてきたが。
そんなイスルギを一対一で仕留めたのが、他ならぬヘイゼルだった。
残念ながら、二人の戦闘の様子は。アタシも同じく四人の傭兵の一人・竜人族の女戦士オニメと戦闘の最中だったため、詳細までは知らなかったのだが。
「ああ、おかげさまで隠し持ってた霊癒薬も使う羽目になっちまったよ。まあ、使ってなきゃ、あたいは今頃死んでただろうけどさ」
「へ、ヘイゼル……アンタ、霊癒薬まで持ってたってのかい!」
「そ、そうだけどさ──」
ヘイゼルの今の言葉に、怒りの感情が湧き上がってきたアタシは。
今、芽生えたばかりの敵意を宿した視線をヘイゼルに放ち。一歩、また一歩とゆっくり目の前の彼女へと接近していく。
いくら鉄球が込められてなかったとはいえ、武器を向けられても。冗談で済ませ、笑い飛ばしたばかりだというのに。
突然のアタシの態度の豹変に、理由も分からず驚いたヘイゼルは。アタシが一歩迫ると、一歩後退りながら。
「お、おいアズリアっ、な、何怒ってんだっての」
「……アンタ。霊癒薬なんて、どこでッ」
霊癒薬。
飲んだり傷口に浴びせるだけで、負傷や体調の異常を治癒出来る。しかも使用者には何の悪影響もない、文字通りの魔法の液体であるが。
そんな良い事づくめの魔法の薬が、誰でも手に入るほど流通している筈もなく。アタシも大きな都市で二、三度目にした事があるくらい。しかも値段はシルバニア金貨にして一〇〇枚を下回った事がない、大変稀少で高価な魔導具だ。
周辺一帯の物資が集まる、と聞いたフルベの街でも。霊癒薬がある、という話を聞いたことはない。
……と、いうのも。
「そ、そりゃ、海の王国出る前に何があってもいいよう、予め用意しておいたんだよっ」
「だったらッ! アタシがフルベで散々ボロボロにされた時に使ってくれればよかったじゃねえかッ!」
「あ」
丁度、フルベの街でヘイゼル、そしてユーノと再会を果たした時。アタシは厄介事に巻き込まれ、領主の屋敷へと押し掛けなければならなくなり。
ヘイゼルに騙され囮にされ、手渡された炎傷石の爆炎に巻き込まれたり。領主の護衛の武侠との対決で。アタシは身体の至る箇所に数え切れない傷、中には深傷を負った。
街の老治癒術師の治療の甲斐あり、数日の間で傷を塞ぎ。無事、マツリ救出のためここシラヌヒへと出発する事が出来たが。
もし、その時に。
ヘイゼルが持つ霊癒薬を、アタシへと提供してくれていれば。マツリの救出はもう少し早く達成出来たであろうし。
もしかしたら、ジャトラ陣営もアタシらの迎撃の準備が整えられず。ここまで苦戦はしなかったのではないか……と、不意にアタシの頭に浮かんだ途端。
「あ──じゃねぇぇぇぇッ!」
ヘイゼルへの苛立ちが最高潮に達し、あの時の怒りが再燃し始めたのだった。
「そうと知ったからにゃ、あの時の恨みを晴らさなくっちゃ……ねぇ?」




