445話 アズリア、勧誘を受ける
──そんな大した事のない会話のやり取りだったが、まさかお嬢とこんな会話が出来る日が来ようとは。
一度は理不尽な仕打ちに嫌気が差し、お嬢の前から逃げ出し。
次に再会した時は互いに街中で剣を抜き、刃を向けていたのが。アタシとお嬢という関係だったのに。
そう思った途端に、込み上げる感情が堪えられなくなり。
アタシの口から不意に笑いが漏れてしまう。
「……は、ははッ」
「ぷっ、く、くくくく……あはははははっ!」
と同時に、きっとお嬢もアタシと同じ気持ちだったのだろう。
自信のない返答を口にしたばかりのお嬢もまた緊張していた表情が緩み。こちらは盛大に腹を抱えて笑い出す。
「あっははは、楽しい……楽しいですわ、アズリアっ」
「ははッ、アタシもだよお嬢」
アタシと、そしてお嬢は短くない時間、互いに笑い合う。
これまで嫌悪感と闘争心を露わにし、衝突してきた長きに渡る因縁を吹き飛ばすかのように。
不意にアタシは、遠巻きにお嬢を見ていた女中のセプティナに視線がいく。
アタシに前もって、お嬢の本心を密かに語ってくれていたからこそ。和解のための話し合いが順調に進んだ、言わば旗振り役だ。
その彼女だが──困惑の色を僅かに含んではいたが、手を合わせて祝福の表情を浮かべていた。
こうして、一頻り笑ったお嬢は。
「さて。私の気持ちは、しっかりと伝わったようなので……ここからが本題ですわ」
コホン、と一度咳払いをし。目元や頬に流れた涙の痕を手で拭い、身嗜みを整えてから。
こちらへ向けて、左腕をスッと伸ばしてくる。
最初……アタシは、和解の証拠としてあらためて握手を求めてきたのかと思ったが。
「さあ、アズリア。私の手を取り、生まれ故郷である帝国に共に戻るのです」
「お嬢、アンタと一緒に……かい?」
何と、お嬢はアタシを誘ってきたのだ。
帝国は白薔薇公爵領への帰路に同行せよ、と。
「そうですわ。私とお前、互いの誤解もこうして氷解したのですから、その……帰りの船くらいは一緒になっても」
考えてみれば、アタシを追ってこの国までやって来たお嬢は一人で、ではなく。護衛の女中やカサンドラら冒険者まで同行させていたのだ。帰る手段が残されているのは当然だろう。
海へと落下し、金属鎧の重みで海底へと沈んだアタシが偶然にも到達した海底都市から。財宝を狙った刺客を追い、刺客が使った木の樽を使ってこの国の地を踏んだアタシとは違って。
しかも。どうやら、検討をする時間すらアタシには許されなかったようで。
「そのっ……返事はどうですの、アズリア?」
同行するのか、そうではないのか、アタシの返答を急かしてくるお嬢。
いくら和解をし、アタシへの態度が緩和したからと言っても。お嬢の問題点が、一気に改善されたわけではなく。
そもそもアタシが生まれ故郷を捨て、一人旅を始めた最大の理由は。
お嬢が民衆を煽るより以前から、アタシの肌の色と魔術文字を宿した右眼、そして異常な膂力から。「忌み子」や「魔の血を引く」と根拠のない悪評で忌避した連中に嫌気が差したからだ。
それをお嬢一人と和解したからといって、アタシの置かれる環境が何も変わらないだろう事は容易に想像が出来た。
「……そうだねぇ」
「こ、この私が『来い』と言っているのですよ!」
アタシが即答を避け、一旦間を置くと。
貴族特有の自分の提案を強引に押し通そうとする傲慢さからか、返事を急かしてくるお嬢。
そんな彼女の態度に気分を害したからではないが。
アタシには別の選択肢も用意されている。
次に進むべき路を決める時間が欲しかったアタシは。一旦、お嬢の誘いを保留する事にした。
だが、お嬢へと返答しようとした、まさにその時。
「それは、ッ──」
「ちょぉっと待ったあああ⁉︎」
突然、アタシとお嬢との会話に割り込む大きな声が背後から響いた。
「へ? ふ、フブキッ?」
大声を上げたのは、お嬢との会話の直前まで。精霊樹を潜ってシルバニア王都に一緒にいた、フブキだった。
しかもフブキは、姉でありカガリ家当主でもあるマツリの手を引き、一緒にアタシへと駆け寄ってきたのだ。
「アズリアっ、その返事をする前に。姉様からも提案があるの、聞いてあげて」
一見、フブキに強引に場に引き摺り出されたかのマツリだが。彼女の表情からは困惑の色は感じない。
それどころか、フブキに会話の主導権を振られた途端に。強い意思を宿した視線をアタシへと向け、口を開く。
「──アズリア様。我が、カガリ家に仕える気はないでしょうか」
「へ? あ……アタシに、ッかい?」
マツリが告げたのは、カガリ家への勧誘の言葉だった。
魔竜による支配を画策する中央からの差し金で起きた、ジャトラの当主強奪騒動は。どうにかマツリ側の勝利で終幕したが。
多数の武侠や、武勇に優れた四本槍、裏切りこそしたが先代からの参謀だったジャトラを失ったカガリ家は。まさにボロボロの状態であり、一人でも人材を欲しているのは理解している。
つまりアタシが、マツリの誘いに首を縦に振れば。先にカガリ家の配下となったカムロギやイチコらとは、同じ旗の下、同じ主人に忠誠を誓う仲間となるわけだ──が。
「ほ、本気かいッ? 大体アタシは、大陸から来た余所者なんだよ……それを配下に加えるって──」
そう。
一〇〇年以上、大陸との交流が断絶していたこの国では。外から来たアタシらを「余所者」と呼び、積極的に排除……とまで過激な行動には出ないまでも。あからさまに忌避する一部の人間がいる事を、アタシは知っている。
マツリに返した言葉、その懸念とは。まさに大陸から来たアタシを配下に加えた事で。
魔竜とジャトラによって混乱したカガリ領を再興するため、一丸とならなければならない時期に。アタシの存在こそが、カガリ家の不和の種になってしまう可能性だった。
「アズリア様こそ、お忘れですか?」
しかし、当主様はというと。
「我がカガリ領はこれから先、太閤からの支配を離れ、独自でベルローゼ様や精霊様の力を貸していただこうとしているのですよ」
「あ、そっか……そういやそうだったねぇ」
先にアタシらの前で宣言した、この国からの独立。その第一歩として、これまで断絶してきた大陸との関係を結ぼうとしてみせた。
それが、白薔薇公爵領との航路を繋ぐためのお嬢との対話であり。
師匠が開いてくれた、精霊樹によるシルバニア王都への道、だったりするのだが。
マツリの正論に、思わず頷くアタシだったが。その横から、今が畳み掛ける好機とばかりにフブキも口を挟んでくると。
「そうよ。これから大陸の知識や技術がどんどん流れてくるのよ。アズリア一人を余所者だ、と除け者になんて私たちが許さないんだから」
「どうでしょうか……アズリア様。一緒に我が領地と民を、そして未熟な私を。盛り立てていっては貰えないでしょうか?」
これまたお嬢と同じ様に、アタシが検討する間を与えずに。
マツリが地面に両膝を突きぺたりと座り込むと、頭を深々と下げてみせる。それは、カムロギを配下に迎えた時に一度見た光景だったが。
カムロギの時は、一つ違う点があった──それは。
「私からもお願い、アズリア。一緒に、姉様を助けてあげて」
「お、おいッ……フブキ?」
地面に座り込んだマツリの横に並んだフブキもまた同じく、両膝を地面に着けて座り込み。アタシに向けて頭を深々と下げたのだ。




