444話 アズリア、白薔薇姫との和解
不意のお嬢の行動に、アタシは咄嗟に身を引くのも忘れ。
胸に飛び込んできたお嬢の身体を、なす術もなく受け止めてしまった。
「お、おいッ……お嬢?」
一見すれば、酒場で吟遊詩人が歌う恋愛譚に登場する男女のように。今のアタシが男役となって、泣くお嬢を抱き留めている状態。
「もう、お前にこんな事を頼めた義理ではないですが──」
アタシとの身長の差があるからか、胸甲鎧にピタリと顔を当てていたお嬢は。
上目遣いで涙を溜めた眼をこちらへ向け、微かな笑みを口元に浮かべながら──一言。
「私の事を……嫌わないで下さい、アズリアっ……」
喉から何とか振り絞ったような言葉を終えた途端、目蓋を閉じて下を向き。溜めていた涙がお嬢の頬を伝い、流れ落ちていく。
先程、お嬢は「言いたかったが言えなかった言葉を」と語っていた。
つまり今口から出た気持ちは、アタシとお嬢が出会った幼少期の頃の感情なのだが。
それからのアタシとお嬢には、色々な出来事が起こり過ぎた。
いや──主にその原因とは。アタシに執着したお嬢からの、執拗な嫌がらせではあるのだが。
「あれだけの事をしておいて、都合の良い話だと私も思ってます……でも、でもですわっ」
ここまで話したお嬢の表情は、アタシへの懇願を口にしながら。
その想いは決して叶わないだろう、という諦めを含んだ感情にアタシは思えたが。
それでもお嬢は、頬を伝う涙を拭いもせず。
「今、この好機を逃がしてしまえば、きっと私は二度と素直に想いを伝えることは出来ないでしょう……だか……ら、っ」
寧ろ、話を続けながらも。お嬢の眼から流れ落ちる涙の量は徐々に増えていき。
ついには徐々に音量が小さく涙声になり、言葉の最後は聞き取れなくなってしまった。
「う、っ……う、う……わ、私はっ……」
「お嬢」
お嬢の懸命な告白を聞き、思わずアタシは二つの過去の出来事を思い返していた。
一つは先程話した、一六歳の頃に兵士養成所に入った時の出来事を。
思えばあの時、散々アタシを忌避していた大人が。すんなりと養成所に入る許可を出した事をずっと不思議に思っていた。
確かにアタシは、幼少期から大の男を超える膂力を持ち。あの時、入所を認められたのも腕力を期待されて……とばかり想像していたが。
「アンタだったんだね。アタシが養成所に入れるよう、口添えをしてくれてたのはさ」
これはつい先程知った衝撃の真実だったが。アタシが養成所に入った事とその場所を、お嬢は知っていたと、本人の口から聞いたばかりだった。
だが、ここで一つの疑問が生じる。
お嬢はどうやって、アタシがいる兵士養成所を見つけ出す事が出来たのか、だ。
お嬢の家が統治する白薔薇公爵領は、そこら辺の小国よりも広大だ。そんな領地内に、一体どれ程の数の兵士養成所があるというのか。
しかもアタシは、周囲にいた人間の誰にも、母親にすら養成所に入る事を喋ってはいなかった。だからどの養成所を見つけるか、以前の問題であって。
ならば。最初からアタシの行動を、お嬢側が把握していた──と考えたほうが辻褄が合う。
「それに、アタシもまだだったね。砂漠の国で共闘した時の礼を、さ」
思い返したもう一つの出来事、それは。アタシが砂漠の国に滞在していた時に発生した大事件。
魔族の本拠地である魔王領から、魔物や魔族の大群が侵攻してきたのだ。央都アマルナに到達した魔族らの総大将・コピオスとアタシは対決したが。
砂漠の国の国王・「太陽王」ソルダや、アタシが世話になった砂漠の部族の長候補のハティ。そして隣国シルバニアの元、凄腕の冒険者だった女傑メノアと共に。
コピオスに立ち塞がったのが、砂漠の国に交渉の使者として訪れていただけのお嬢だった。
「あ、あの時とは、っ……」
砂漠の国と聞いた途端に。ビクン、と一度身体を震わせてみせたお嬢。
そう。黄金の国を挟撃するための交渉に、であり。街中でアタシに返り討ちにされ、その腹いせに後日地面に頭を付けるという屈辱的な謝罪をさせた──時の話である。
「あの時……お嬢はあの国とは何の関係もない。それでもアンタは、勇敢にも剣を抜いて敵に挑んでくれただろ。今回みたいに」
「そ、それはっ! それは……お前が戦うなんて、無謀な選択をしたから、っ……」
コピオスとの決着の後、アタシは過去の因縁。そして直前に謝罪を強要される事があったからか。お嬢に会うことなく、央都を旅立ったのだが。
あくまで帝国の使者でしかなく、砂漠の国の興亡に興味がない筈のお嬢が。何故に、コピオスとの決戦に参戦したのかが僅かな心残りだった。
そんな心残りの解答が、今お嬢の口から飛び出したのだ。
「──っ、っっ⁉︎」
するとまだ涙が引かない状態のまま、今度は頬を真っ赤に染めながら言葉を詰まらせる。
どうやらお嬢も、これまでアタシが聞かなかった砂漠の国での参戦の理由を。思いもよらず、自分から吐露してしまった事に、すぐに気が付いたようで。
「い、今のは無し! 無かったことにして忘れなさい、あ、アズリアっ!」
「残念だったねぇ、もうしっかり聞いちまったよ、アタシのこの耳で、さ」
アタシは過去、長きに渡りお嬢に酷い目に遭わされてきたのは紛れもなく事実だが。
過去の因縁を、アタシは「許した」ばかりだ。
だからこそ、なのか。兵士養成所に入れた事が実はお嬢が裏から何かしらの手が回されていた可能性に。
砂漠の国でアタシと共闘し、魔族の侵攻を阻止する手助けをお嬢がした事に。
今のアタシは過去の因縁に囚われる事なく、ただただ素直に感謝の気持ちを抱くことが出来ていた。
──だから、なのだろう。
空いていたアタシの腕が自然と動く。
「ひ、ひゃあぁっ⁉︎ あ、アズリアっ、な、ななな……何をっ?」
胸に顔を埋めたままのお嬢の頭に手を伸ばし。魔竜との戦闘の直後からか荒れてはいた黄金の髪と頭頂部を、優しく撫でていた。
日常的にユーノを撫でてやる時のように。
「お嬢、アンタがもうアタシに嫌がらせしないッてんなら、考えてやってもイイよ」
「わ、わかってますっ! こ、これからは私、心を入れ替えてお前に対して素直になって……みせますわっ」
すると今度は、頬だけでなく耳まで真っ赤にしながら。何度もアタシから視線を逸らし、落ち着きを欠いた態度を見せ。
先程、僅かに緩んでいたお嬢の口元は完全に緩み切り。笑顔を隠す気も失せている様子だったが。
「ええ……き、きっと」
「おい」
唯一、アタシに対して「素直に接する」と口にした直後のみ。小さな溜め息を吐き、不安からか表情を曇らせたお嬢に。
アタシは一言、語気を強めてしまった。
◼️ちょっとした余談
白薔薇姫・ベルローゼのアズリアに対する葛藤を「もっと知りたい」という人は。
もう一度、第2章の閑話①「白薔薇の葛藤」と、途中に挟んだ二つのベルローゼ外伝18話と24話、合計42話分に目を通していただければ。
最早、同性ながら恋慕に等しい感情を抱いていたベルローゼと百合的な展開……というのも頭をよぎりましたが。
これまで嫌悪の対象だったお嬢と、突然そんな関係になるのは突飛すぎると思い。まずは「お友達から〜」となりました。
もう一つ。アズリアの性格的に和解と引き換えに一発、顔面に拳を……という展開も考えはしましたが。さすがに魔竜との死闘を終えた直後に、いくら傷が塞がっていたとはいえ、さらに追い討ちをかけるのは気が引けたので。
そちらの展開が良かった、という人は是非、感想にその旨書いて下さい(笑)




