443話 アズリア、白薔薇姫の執着心
一体、何を言っているのかが理解出来ず、きっと呆気に取られた顔をしていただろうアタシに。
ぽつり、ぽつりと自分の頬を撫でながら説明を始めるお嬢。
「決して自慢するわけではありませんが、私──」
妙な前置きを口にするが。こういう場合、大概が否定してみせた筈の自慢話だったりするのだ。
続くお嬢の喋る内容も、大概の例に漏れず。
「持って生まれた五柱の神の加護に加え、さらにはこの美しさ。そして公爵家という家柄まで備わっていることもあって……人に叱られた、という経験がなかったのですわ」
自分の頬に手を置きながら。ほう、と息を軽く吐く様子は。まるで今、自分が語る優れた点に酔っているかのようだ。
無理もない。帝国でも有数の権力を持つ白薔薇公爵家に生まれたお嬢だが。
一柱の神の加護を得られれば歓喜する話にもかかわらず、お嬢は生まれながらに大陸で広く信仰される五大神全ての加護を持っていたのだ。
さらには、他に並ぶものもない美貌までも。その透き通るような白い肌に黄金の髪は、神に愛されし令嬢として。
敬意と畏怖を込め、周囲からは「白薔薇姫」と呼ばれていたのはアタシでも知っていたからだ。
だが……まさか。
叱られるのが初めて、とは。
「なるほど、ねぇ……つまりは、アタシの拳が初めて叱られた経験だった、ッてワケかい」
「ええ、初めてでしたわ。確かにあんな形でしたが、他人の感情をまっすぐに私にぶつけてきた人間はアズリア、お前が」
だが、今のお嬢の話を聞いてアタシは色々と納得が入った。
主に、お嬢の傲慢な性格について。
幼少期は誰でも、世の中の理屈や決まり事を何も知らない真っ白な頭なのだ。その段階で、既に長く生きている大人に必要な知識を学んでいく。「叱られる」という行為は、学ぶ過程で自分が間違った選択や行動をした、と大人が教える重要な反応でもある。
確かにお嬢は、手から溢れんばかりの才能と幸運を持って生まれたのかもしれないが。
「そりゃ、自分の選択は何も間違ってはない……ッてなっちまうよねぇ……」
自分が間違えた選択をしても、お嬢の立場を畏れ、誰にも叱られず成長してしまった事だけは。
自分と比較しても、決して幸運だとは思えなかった。
「アタシも……あの頃のままだったら」
同時に、自分の過去を思い返していたアタシ。
お嬢とは真逆に、周囲だけでなく母親からも忌避され続けていたのがアタシの幼少期だったが。
一六の頃に、自分の腕っぷしを活かして兵士養成所に入り。同じように様々な事情を抱えた連中と出会わずに。
もし、自分を虐げた母親や大人らを恨み、犯罪者に身を堕としていたら。間違いなく今のアタシはなかっただろう。
アタシが少しばかり過去の回想をしていると。
「──聞いてますの、アズリア?」
自慢話が終わったのか、お嬢がまだ掴んでいたこちらの手をギュッと強く握る感触と、名前を呼ばれた事で。
過去の思い出に浸っていたアタシは我に返る。
「あ? あ、ああ……聞いてたよッ。ただ、ちょっと懐かしい話だったから、あの頃を思い出してただけさ」
途中から回想に浸っていたためか、お嬢の自慢話を最後まで聞いてはいなかったが。正直に言えば、これまで癇癪を起こさずに進んでいた対話が。不機嫌を起こし止まる可能性が高い。
「まあ、無理もありませんわ。お前が勝手に私の前から姿を消してから……もう八年になるんですのね」
「ああ……一〇、え?」
どうにか誤魔化す事に成功したが、一難去ってまた一難。
今度は、お嬢の前から姿を消した年数を、数え間違えていたのだから。
先にアタシが回想した通り。お嬢から離れ、兵士養成所に入ったのはアタシが一六歳の時。つまり一〇年も前の話だ。
養成所で数字や読み書きなどの簡単な勉学を叩き込まれたアタシと違い、貴族としてさらに高度な勉学を教え込まれたお嬢が。八年と一〇年を数え間違えるだろうか。
「八年、だって……ッ?」
咄嗟の事もあったからか、アタシの口からお嬢の示した数を訂正する言葉が出てしまった。
お嬢の癇癪を避けるため、つい直前にアタシは自慢話を聞いていなかった事を誤魔化したばかりだというのに。
思わずアタシは、訂正の言葉が飛び出た口を手で覆ってしまうも。時は既に遅し、一度喉から出てしまった言葉は口には戻らない。
恐る恐る、目線を動かして。アタシは目の前にいるお嬢の表情を観察するが。
「間違えてはいませんわ、一〇年ではなく八年です」
機嫌を損ねたような反応は見られず、寧ろアタシの一〇年だという訂正を「何を言っているのか?」という表情を浮かべていた。
どうやら単純な数え間違いなどではなく、お嬢は本当に「八年」だと認識しているようだ。
「い、いや……待てよお嬢。だってアタシは一六の時、もう領地にあった兵士養成所に入って──」
「知っていますわ。何度か視察に赴いた際に、お前の姿を見ていましたから」
「は?」
兵士養成所に所属していたのは二年。娘であるアタシを忌み嫌っていた母親と別れ、執拗にアタシを目の敵にしていたお嬢から逃げるための決断だった。
だから当然、その間にお嬢の姿を見た記憶はない。あるわけがないのだ。
なのに、アタシが兵士養成所に入った事を知っている──まあ、領地内の事を知っていても不思議ではないが。
「ど、どういうコトだよッ! お、お嬢……アンタがアタシを見てたって……」
問題は、何故に公爵令嬢という立場のお嬢が。領地内に幾つも存在する兵士養成所に視察に来ていたのか。
少なくとも、アタシの知るお嬢は、公爵令嬢としての多忙さもあったが。わざわざ領地内の兵士養成所に顔を出すような、謙虚な性格ではなかった筈だ。
「言ったでしょう。私は、お前を気に掛けていたのだ、と。だからお爺様に無理を言って時間を作り、様子を見ていたのです……お前に見つからないように」
しかし、お嬢が語り出した事実はアタシの想定に反して。しかも、アタシの所属する養成所のみを視察していたと言うのだ。
全ては、アタシを気に掛けていたという理由で。
すると、つい直前まで驚くべき事実を淡々とした口調と、澄ました表情で説明していたお嬢の態度が。
「なのに……なのに、ですわっ」
突如、急変して。先程まで強く握っていたアタシの手を突然、振り払うようにして離し。
一見、癇癪を起こしたかのような大きな声を上げ始める。
「アズリア……お前はっ! 私の許可を得ずに勝手にっ……どこへ行くのかすら誰にも告げず、国を出て行ってしまいましたわねっ!」
「い、いや、お嬢が見てたなんて初耳なんだし、アンタに行先告げる必要なんてないだろ」
しかし、その後の行動はもうアタシが知っているお嬢ではない。何と、両手で拳を握り込んだと思った途端、力無くアタシの胸を叩き始めたのだから。
見れば、一度は引っ込めた涙が再び目に溜まり、ぼろぼろと涙が頬を伝っていたからだ。
そして。
「──ッて……お、おい、ッ⁉︎」
泣きながらアタシの胸を何度も力無く叩いていたお嬢が、そのまま胸に顔を埋めてきたのだ。
「たった一言、その一言が……あの頃の私はどうしても言えなかったんですの……」




