442話 アズリア、白薔薇姫の告白
本心からの謝罪の言葉とともに、アタシに対し深々と頭を下げていくお嬢。
これまでアタシは、お嬢が謝罪をした事も、頭を下げた場面すら目にした事がなかったため。
「──あ」
目の前の信じ難い光景に、少しばかり面食らってしまったアタシは一瞬反応する事が出来なかったが。
すぐに我に返り、お嬢の行動の真意を確かめようとする。
アタシら平民と違い、貴族は互いに交渉の卓に座り、腹の探り合いをするのを生業とした立場の人間らだ。
当然、帝国貴族の中でも上から五指に数えられる白薔薇公爵のお嬢ならば。見た目こそ謝罪の意を示しても、胸の内の本心は真逆の事を考えている……なんて態度を見せるのも慣れているだろう。いや、多分。
それでも。
目の前で頭を下げるお嬢の態度と、口から出た謝罪の言葉に。嘘偽りがある、とはアタシは思えなかった。
「そ……それはまあ、アタシは『許す』ッて言っちまったからねぇ……」
「もちろん、いきなり私への態度を改めろ、などと狭量なことをお前に命じるつもりはありません」
すると、まだアタシが嘘か真実かを見極めている最中に。お嬢は下げていた頭を起こしたかと思うと。
無造作にアタシとの二歩ほどの間を一気に詰め、懐へと入り込み。突然の行動にすっかり反応出来ずにいたアタシの手を握ってきたのだ。
「へ、ッ?」
「ですが」
さらにお嬢は、もう一方の手も既に手を握られていたアタシの手に重ねてくると。
「──アズリア」
するとお嬢は、先程まで涙を流し泣いていたからか。潤んだ瞳をこちらへと向け、思い詰めた表情を見せ。
アタシの名前を呼んでから一度、間を置いてみせるが。そこから一気に言葉を並べていく。
「思えばお前は、子供の頃から私とは何から何まで真逆の存在でしたわ。だから……気になるのは。いえ、正直に言いましょう──惹かれたのは当然ですわ」
「ああ、確かにアタシとお嬢は真逆だよねぇ、肌の色からさ……」
その言葉からアタシは、幼少期に出会ったお嬢の姿を思い返していた。
かたやお嬢は、当時から丹精に製作された人形のような麗しい容姿だった。中でも、手入れが完璧に行き届いた艶のある黄金の髪に、透き通るような白い肌から「白薔薇姫」と呼ばれ。公爵令嬢という地位も合わせて、周囲から常に賞賛の声が絶えなかった程だ。
それに比べてアタシの肌は。理由こそ不明だが、生まれながらに帝国では滅多に見る事のない濃い褐色をしていた。
肌の色や手入れの全くないボサボサだった赤髪に加えて。右眼に宿した魔術文字の影響からか、大の男を超える腕力が備わっていた事で。アタシは周囲から「忌み子」と避けられてきた。
幼少期のアタシとお嬢は、まさに真逆とも言える立場だった、と。
過去を振り返り、すっかり納得して話を先へと進めそうになってはいたが。
「──じゃ、ねえよッ⁉︎」
ふと、アタシは今のお嬢の言葉の一部分を、頭の中で反芻してみせていた。
「え? お、お嬢が。アタシに……惹かれ、ッ?」
だが、それよりも。
今のお嬢の言葉の中には「はい、そうですか」と、看過出来なかった内容が含まれていた。
「ちょ……待て待て待てッ? お嬢が、アタシを? て、てっきりアタシを嫌がって、いや憎んでいたのかとッ──」
当初、いやこの瞬間までアタシは。幼少期にお嬢が執拗に追い回し、大勢の前で罵倒したり酷い仕打ちをしたのは。領地内で「忌み子」として名が知れていたアタシを嫌悪、いや憎悪していたのだとばかり考えていたし。
その仮想は間違いないと思っていた。
だが、お嬢が謝罪と一緒に吐き出した本心では。確かにアタシを「気にしていた」と口にしていた。
それだけではなく「惹かれていた」とも。
惹かれる、という言葉の意味をアタシが勘違いしていないなら。単に好意を持つ、友人以上の好きという感情……異性ならば恋愛関係を、同性でも親友を意識させるものだと認識しているが。そんな意味の言葉を、お嬢はアタシへ向けたのだが。
この状況で、お嬢が嘘を吐くとは考え難い。
過去の記憶と、今のお嬢の言葉が頭の中で整理することが出来ていなかったアタシに。お嬢はさらに言葉を続けた。
「……最初から、ではなかったんですのよ」
アタシの手を両手で握ったまま、つい直前まではこちらを射抜くような目線で凝視していた顔をぷい、と逸らし。
「最初、お前を見た時は。ただ珍しい肌の色の子供だな、程度にしか思っていなかったのに。あの時、アズリアが私に向かってきた時──」
「ああ。懐かしい話だねぇ。ありゃ、確か……アンタが取り巻きの連中に、アタシの着ていた服を剥くよう命令した時だっけ」
お嬢が話題に挙げたのは、何度目かは最早覚えてはいない、幼少期の頃の嫌がらせだった。
あの時──お嬢は、親しくしていた子供らに。周囲に忌避される理由だったアタシの褐色の肌を晒すため、アタシが身に付けていたボロボロの衣服を脱がすよう命じたのだ。
だが、度重なる理不尽な仕打ちに、最初こそ立場の違いもあり。時には黙殺し、時には嫌々ながらもお嬢の言いなりとなっていたアタシだったが。
さすがにいい加減、我慢の限界だったアタシは。命じられるままに向かってきた子供らに、大の男を超える腕力で拳を振るい。一対複数ながら、ものの僅かで子供ら全員を制圧し。
あろうことか、身分の違うお嬢の顔面にも一撃を浴びせてやったのだ。
アタシと同様に、お嬢もまた当時の記憶を回想していたのだろう。
お嬢は、あの時アタシが殴ったであろう自分の頬を。アタシの手を握るのを一度外し、触ってみせたからだ。
「今でも思い出しますわ。この私に暴言を浴びせながら、頬にめり込んだお前の拳の感触を」
「……はッ、いくら言われてもあの時のコトを謝る気はアタシにゃないぜ」
お嬢が今さらながら、初めて顔を殴った時の話題を持ち出したのか。アタシはその意図が掴めずにいた。
先程アタシは、お嬢の過去の仕打ちや、砂漠の国での一連のやり取りを「許す」と発言したが。
少なくとも、公爵令嬢であるお嬢と平民としての身分の違いが明確に理解出来ている今でも。あの時にお嬢を殴ったことを、アタシは悪いとは思っていない。
思えば、あの一件が契機となり。アタシは明確にお嬢を拒絶し始め。
お嬢のアタシに対する仕打ちもまた、より理不尽な内容へと変わっていった。
「だからこそ。お嬢はアタシのコトを憎んでる、とばかり思ってたんだけどねぇ……」
「それは……逆ですわよ。私がアズリア、お前を強く意識したのは、あの一件からなのですから」
対応が厳しさを増したのは、てっきり顔と立場を傷付けられた憎しみからかと。アタシは今の今まで思っていたが。
どうもお嬢の説明からは。あの時のアタシの行動に憎しみを抱いたようには聞こえなかった。
「……は、あッ?」
思わず驚きの声が出たのも当然だろう。
──寧ろその逆。今の言葉は、殴られた側のお嬢がアタシに「好意を覚えた」という意図にも取れる説明だったからだ。




