441話 アズリア、白薔薇姫の謝罪
許す、という行為は。元来、立場が格上の人物にしか有していない資格でもある。
だから、帝国公爵であるお嬢と、一介の旅の傭兵であるアタシ。どちらが本来なら許すべき立場なのか、それを敢えてアタシ無視したのだ。
当然、通常時にお嬢にこんな発言をすれば。烈火の如く怒り出すのは想像に難くなかったが。
アタシの「過去を許す」という発言を聞いた、目の前のお嬢はというと。
先程見せた涙目と同様に、これまたアタシが一度も見た事のない情けない顔をアタシに向け。
「ほ、本当に? わ、私がお前にした、たくさんの事を、全て……許すとでも言うのですか」
「ああ、そうさ」
動揺を隠さずに口唇を震わせながら、聞いたばかりの言葉が本当かどうかを口にしてきたのだ。
だが、アタシも。生半可な覚悟で、お嬢を許すという決断を下したわけではない。
「アタシがそう言ってるんだ、今さら言葉を違えるつもりはないよ」
許す、という意味とは。決して無条件で相手の行為を肯定するわけでも。過去の行為をなかった事にするわけでもない。
今さらどう足掻こうが。過去にお嬢が起因となり、アタシが受けた出来事は、もう変える事は出来ない。だから、アタシは過去を受け入れる事にしたのだ。
諦める、とは少し違う。
アタシは過去を諦めていたからこそ、故郷から逃げるように飛び出し。
この八年間、一度たりとも帝国に帰る選択肢すらなかったし。傭兵時代においては、寧ろ積極的に帝国を敵とした依頼を選んでいた。
全ては、過去への諦めと怒りからの行動だったわけだが。
「それに……アタシはこの八年、旅をしたコトで色んな出来事を経験出来たんだ」
半年前のホルハイム戦役で、古巣の雷の魔剣傭兵団と共闘し。紅薔薇軍を退けた事で、ホルハイム側の勝利へ貢献した事と。
魔竜との決戦で、わざわざアタシを追ってきたお嬢と再会した事こそが。
今回、アタシが過去の確執からの諦めや怒りという感情から解き放たれ。本当の意味で自由になれた……というわけだ。
「アタシが得たのは経験だけじゃない」
この八年でアタシは様々な出来事を経験し、その中で様々な人間と出会ってきた。
つい先程訪れたシルバニア王都では行き倒れたアタシを拾ってくれたランドルに。黄金の国で再会した雷の魔剣傭兵団の連中、そして国王イオニウス。
ユーノと出会った魔王領では、まさに魔族と獣人族を統べる魔王リュカオーンとその仲間と。
ヘイゼルと同行する羽目になった海の王国でもそれは同様だった。お嬢の護衛として着いて来たカサンドラ・ファニー・エルザの獣人族三人組にも出会う事となった。
「ユーノやヘイゼル、その他にも色んな人間と旅先で出会った。その出会いが、アタシを過去から解き放ってくれたワケさ」
「そう……お前にそう言われては、私は何も言えませんわ」
これまでの八年の旅の記憶を思い返しながら、アタシが口にした言葉に。
ようやく納得をしてくれたように大きく息を吐き、口元に僅かに笑みを浮かべ頷いてみせたお嬢。
「それに……お嬢。アンタもあの時の事を悪い、と。そう思ってたから、わざわざこの国まで追っかけてきてくれたんだろ?」
既に女中からの告白から、アタシは「過去を謝罪したい」というお嬢の本心と。遠く海を越えてまでこの国に来た理由を知っていた。
だからアタシは、目の前でこちらの顔を凝視したまま動かなかったお嬢へ。まだこちらへ明かしていない本心を、あたかも知っているような発言を口にすると。
「ど、どうしてその事をっ⁉︎」
当然、女中から本心が漏れている事など微塵も知らないお嬢は。アタシに心を見透かされたと勘違いしたのか、大きく目を開いて驚きの表情を見せ。
「そう……そういう事、ですのね……」
アタシの言葉や態度から、何かに気付いたようにボソリ、と呟いたお嬢の言葉に。
アタシは思わず、情報を事前に教えてくれた人物・セプティナに焦点を合わせてしまう。さすがにお嬢に悟られまいと、顔を動かさずに目のみを僅かに向けただけだが。
「な、何が『そういうコト』なんだい……ッ?」
まさか……女中が魔法まで使って情報を漏らしたのを、耳聡く聞いていたのか。
もしくは、アタシとの言葉のやり取りで勘付かれたのか。
女中側もまた、アタシとは決して目線は合わせなかったものの。こちらが抱いた危惧と同じく、明らかに彼女の顔にも緊張の色が浮かんでいた。
次にお嬢が何を言い出すかを、アタシと女中が息を飲んで待っていたが。
動揺を何とか声に出さずに、アタシが問い返した言葉に。お嬢がどこか確信めいた表情を浮かべながら──アタシに一言。
「そこまで、私の本心を見事に言い当てる程に……アズリア、お前は私をよく見て、理解していたわけですね」
「──へ?」
まさかの発言に、警戒や緊張感が一瞬で削がれて変な声が喉から出る。
次いでアタシの視線は、まるで的外れな言葉を吐いたお嬢から。護衛である女中のセプティナに移っていたが。
「く……くく、っ」
その女中は、片手で口を覆い。護衛対象であるお嬢からあからさまに顔を逸らし、何故か小刻みに身体を震わせている。
どうやらアタシのように、お嬢の発言に呆気に取られたのでははく。何とかして笑いを堪えている様子だ。
だが、まあ。最初に危惧したように、予めお嬢の本心を聞いていた事が露見せずに済んだ。
ならば、この場はお嬢の言葉を敢えて否定しないほうが話が円滑に進む、と踏んだアタシは。
「あ! そ、そうだよッ。まあ……昔からの因縁だしねぇ、お嬢のコトは嫌でもわかっちまうというか……」
「あ、あ……アズリア、っ──」
古い関係、故に本心を透かしてみせたというお嬢の的外れの推察に合わせ。会話を進めたつもりだったのだが。
今度はアタシの発言の最中に、何故か一度は引っ込んでいた涙をボロボロと零し始めたお嬢。
今の会話の中に、何一つ泣かせる要素は含まれていなかっただけに。突然のお嬢の涙にアタシは困惑する。
「お……おいッ? な、何でいきなり涙流してんだよお嬢ッ、アタシ何か変なコト言ったか?」
「違うっ……違うのです……これは、この涙は悲しくて泣いてるのではなく、嬉しさのあまり流した涙っ……ぅっ」
しかし、泣いているのに。目から流した涙を拭うわけでもなく、顔には何故か笑みを浮かべながら。泣き顔を隠さずに、真っ直ぐな目線でアタシを見るお嬢は。
泣きながら笑顔の理由を説明し始める。
「そうです、お前が見抜いた通り……わ、私はっ、小さな頃にお前へ行った数々の仕打ちを、ただ謝りたくて……ここまで来たのですわっ……」
「まさか……本当だったなんてねぇ」
予め聞いていたからこそ。そして、先にアタシはお嬢の過去を許す決断をしたからこそ。
お嬢の口から語られた謝罪を、何とか受け入れる事が出来ているのだろうが。
もし、唐突にお嬢の口から謝罪をされたとしたら。きっとアタシは過去の因縁を思い出し、反発したに違いない。
何しろ、ここまで事前に万全の準備をしてすら。アタシの心はまだ少なからず困惑しているのだから。
「幼少期の私は、心が未熟でしたわ。気になる人間がいたのに、身分の違いを必要以上に気に病み、あのようなカタチでしか接する事が出来なかった……」
幼少期のアタシへの忌避は、お嬢と出会うより以前から、周囲の大人らによって行われていたが。
帝国でも五指で数えられる権力者・白薔薇公爵家の令嬢たるお嬢がアタシに目を付けたせいで。大人らの反応が過激になり、実の母親には家から追い出されるという仕打ちを受けただけでなく。
「それが、あの仕打ち……ッてワケかい」
「それも含めて、お前には取り返しのつかない事をしましたわ。ええ……それはもう」
お嬢からも、まるで屋敷にいる使用人同然に様々な雑用を強要されたり。同年齢の子供らの前で四つん這いにされ背に座られたりと、屈辱的な扱いを受けたりしたが。
「それは素直に認め、謝罪させて下さいませ……アズリア」




