439話 アズリア、過去の精算を決意する
大樹の精霊の決断に、心を打ちのめされたかのような表情を浮かべたお嬢は。
「そ、そんな……っ──」
何かを小声で呟きながら、力が抜けたように両膝が地面に崩れ落ちていく。
下を向き、お嬢の手の中にあった精霊樹の苗木をジッと見つめたまま。
稀少な精霊樹を入手出来たにもかかわらず、愕然としていたお嬢の気持ちを。アタシは自分なりに推察していた。
「そりゃ……そうだよねぇ。精霊樹が大きく育つまで、一体どれだけの時間がかかるコトやら」
確かに、お嬢が統治する白薔薇公爵領に三本目の精霊樹が立つ事態ともなれば。
マツリとの交渉で浮上した問題を、お嬢の側も解決し。晴れて二つの領間で人材や技術、知識の交流を行う事が出来たのだろう。
しかし今、お嬢の手にある精霊樹はまだ苗木の状態であり。通常の成長方法ではなく、魔力を養分として成長するとされているが。
通常の樹木ですら、葉を茂らせ大きく成長するのに数年……もしくは一〇年以上を要する。
マツリが契約の際には、師匠による魔力の援助で成長を促進させ、一瞬にして巨大な精霊樹へと変え。
謎の理由から徐々に衰退していくカガリ領の大地へ、大樹の精霊の加護を与えてくれたが。
先程、師匠が告げた言葉から。お嬢がマツリの時のように恩恵を授かる可能性は断たれたわけだ。
「……しかも、だよ」
お嬢が衝撃を受けているのは、おそらくもう一つ理由がある。
それは……師匠が「アタシを助けた感謝」として手渡した、まさにその精霊樹の苗木だった。
「精霊である師匠から受け取った以上、無碍にゃ出来ないもんねぇ……」
下手をすれば、通常の樹木以上に年数を要するかもしれない精霊樹だが。
契約などではない単純な善意から、とはいえ。人間より遥かに高位の存在である精霊からの施しを。
これまたただの一般人ではない、帝国の公爵という立場のお嬢──エーデワルト公爵が黙殺する事は許されない。
大陸の半数以上の国と敵対関係にある帝国が。もし精霊まで敵に回せば、国の存続の危機となる事態にまで陥るのは間違いなかったからだ。
つまりは。
どれだけ膨大な魔力と時間を要するのかを理解していても尚、地道に成長させるしか。お嬢の選択肢はない、という事だ。
地面に膝を突いて座り込んでいたお嬢へ、憐憫の視線を向けていると。
「──と、まあ。こんなものかしら、ね」
アタシに代わって、お嬢に対して過去の精算を果たしてくれた師匠が振り向いたのだったが。
師匠が浮かべていたのは、満面の笑みではなく。僅かに笑顔に陰りが見えたのだ。
「本当なら、私が手を下す事じゃなかったのかもしれないけれど」
「い、いや……そんなコトないよ。あ、ありがと、師匠ッ」
師匠の表情が曇っていた理由、それは。アタシに何の相談もなしに、お嬢への意趣返しをしてみせた事だった。
勿論、アタシだって過去を完全に忘れられた訳ではない。お嬢や帝国へ「確執がないか」と問われれば、首を横に振り、否定するしかないが。
魔竜との死闘が終結したこの時点で、お嬢に突きつけられた選択は。一見、同じ様で全く違ったマツリへの恩恵と比較し、あまりにも残酷な気がしてならず。
師匠と言葉を交わしている今もアタシは。地面に膝を突くお嬢の姿へと、無意識の内に視線を向けてしまっていた。
「……お嬢」
すると、視線を外した一瞬で。屈んだ姿勢のままだったアタシの背後へと回り込んでいた師匠に。
平手で、胸甲鎧に覆われていなかった背中を叩かれてしまう。力加減を間違えたか、と思うくらいの盛大な音を鳴らして。
「い、ッッ⁉︎ 痛てえええッ!」
まさか背中を叩かれるなどとは微塵も考えていなかったアタシは、不意に背中に奔った痛みに声を殺す事が出来ず。
痛い、と大きな声で叫んでしまうと同時に。背中の痛みの原因であった師匠へと振り返り、恨みがましく睨んでいく。
「な、何でアタシの背中を叩いたんだよッ、しかも……こんな強く叩く必要なんて──」
「さっきのはあくまで私が怒っただけの話よ。まだあなたの過去は精算出来てないでしょ、アズリア」
だが、アタシが睨んでたにも構わず。平然とした態度の師匠は、今度は背中を叩いた時とは真逆に、優しく肩に手を置くと。
女中から、周囲に漏れないよう魔法を用いて聞かされた会話の内容を。まるで知っているかのような発言。
「だったら自分の目と耳、そして言葉で確かめてきなさい。今なら、出来るでしょ?」
師匠の言葉を聞いて、アタシは再びお嬢に視線を移した。
砂漠の国で一〇年以上ぶりの再会した時ですら。一言二言、言葉を交わした程度で剣を抜かれ、まるで会話が成立しなかったこれまでの態度とは違い。
確かに今回、魔竜と共闘するため合流を果たしたお嬢は。アタシの知る傲慢さやアタシへの敵意は鳴りを潜め、会話が成立する程度に態度が軟化していたものの。
やはりそこはお嬢だ。これまでも言葉の端々から、お嬢の高圧的な性格が覗く瞬間が度々あり。それがアタシの警戒心を強める要因にもなっていた。
それこそ女中に聞かされたような。
謝罪の気持ちがある、とは思えないほどには。
少々、卑劣な発想かもしれないが。師匠に残酷な選択を突き付けられ、心が弱っている様子の今であれば。
普段であれば、憤慨しそうな内容の会話も出来るのではないか。
「まさか、師匠……そのために?」
まさか、先程のお嬢への仕打ちは。過去の因縁と向き合うため、そこまで織り込んだ上での行動だった事に。アタシは驚きを隠せず。
唖然としながらも、目の前にいる師匠に恐る恐る確認を取るのだが。
そんなアタシに対し、片目を一瞬だけ瞑り。一本立てた指を口唇に置いた、何とも可愛らしい表情と仕草を見せた師匠は。
「ふふ、さて──どうかしらね。言ったでしょ、私はただ怒っただけだと、ね」
一言、アタシへ告げ。こちらの疑問に対し、明確な返答をせずに誤魔化していくが。
アタシは確信している。
幼少期にお嬢に虐げられていたのを知っている師匠が、アタシにお嬢の本心を知る絶好の機会を授けてくれたのだ、と。
「それでもだ。アタシは師匠に感謝してるよ」
「ふふ、ありがと。それじゃ、いってらっしゃいな」
「ああ、行ってくる」
そんな師匠に、アタシはもう一度感謝の気持ちを伝えた後。
お嬢に向かって歩き出す。
果たして謝罪の気持ちは本当なのか、幼少期にアタシを執拗に虐げた理由とは。
過去の出来事、その真実をお嬢の口から聞くために。




