437話 アズリア、精霊の気紛れを憂う
何故、契約の証でもあった精霊樹の若木をお嬢が持っていたのか。アタシはその理由を問うためにもう一度師匠を見る。
「も、もしかして……さっきマツリとお嬢が話してた内容を実現させるために……ッ」
……そう言えば。
精霊樹でこの国と遠く離れた大陸の王都とを繋ぐより少し前に。マツリとお嬢とで交わしていた、互いの領地で交流を再開しようという内容の話。
しかし、海を渡る船とその船を受け入れる港の問題が双方にあり。交渉の話は途中で頓挫していたのだが。
まさか、マツリやこの国だけでなく。お嬢と帝国にまで、精霊樹を授けてしまうとは。
「な、なあ師匠ッ……まさか、お嬢の領地とまで契約したってのかよ?」
アタシはどうしても払拭出来ない疑問があったからか、質問を口にしながら、大股で師匠との距離を詰めていく。
確かに、二つの場所を繋ぐ精霊樹の力を使えば。海を渡るための頑強な船がないこの国側と、その船を受け入れる港のない帝国側の。二つの問題を一気に解決出来るに違いない。
だが先程、王都側に移動したフブキに、師匠はこうも言ったのをアタシは憶えている。
『もし──あなた達が本当に国を、自分を慕う人間たちを救いたいと願うなら。この門を利用して、自力で海を渡る知識と技術を身につけなさいな』
と。
なのに、お嬢にまで精霊樹を手渡してしまっては。先程フブキにかけた言葉が台無しになってしまうではないか。
「さ、さっきフブキには自分で解決しろ、ッて立派な言葉をかけてたじゃねえかッ……なのに?」
その気持ちが苛立ちとなり、師匠の肩に伸ばした手にも無意識に力が入り過ぎてしまったようで。
肩に手を置くつもりが、少女の姿をした師匠を軽く突き飛ばしてしまう。
「は、うっ⁉︎」
すると、最初こそアタシに不意に突き飛ばされた事に驚いてはいたが。
その後は何とも演技じみたわざとらしい動作で、足元を不自然にふらふらとさせながら。転倒しそうで中々倒れない師匠。
「あ、危ねぇッ!」
アタシは咄嗟にふらふらと動く師匠の背中に手を回すと。途端に倒れる小さな身体をしっかりと抱き留める。
「はい、よく出来たわねアズリア」
身体を支えるこちらの腕に身を預けながら、満面の笑みを浮かべている師匠に対し。
アタシは溜め息とも舌打ちとも言えない、辟易とした顔をしていたに違いない。
「……ッたく、わざとらしいんだよ師匠」
動いた後に冷静になって考えれば。右眼の魔術文字を発動させ全身の力を増強させた状態のアタシとも、対等以上に張り合える師匠だ。つい先程も、師匠の手を引いたがビクとも動かなかったばかりではないか。
そんな師匠が、アタシに少し肩を押された程度で簡単に倒れるわけはないのだが。
つまり、肩を押された途端に。師匠は瞬時にこの展開にアタシを誘導しようとした、というわけだ。
師匠が見せた笑顔は、まさに思い通りの結果になった何よりの証明だろう。
「で、アズリア。さっきの質問だけど、私が新たに契約を交わしたのはあなたも知ってる通りマツリとだけ……別に契約なんて結んでないわよ」
「え? だ、だって……じゃああの若木の苗はッ」
笑顔のまま師匠は、アタシが抱いていた疑問。つまりはお嬢の持っている精霊樹の若木の苗の意味を、アタシに身を預ける体勢のまま説明を始める。
お嬢との契約は結ばれてなかったのだ。
アタシは一瞬、安堵こそしたが。それならば一層、お嬢の手の内に精霊樹がある事に納得がいかなかったが。
「精霊樹は、私なりの感謝の気持ちよ。アズリア……あなたを追いかけて来たばかりか、生命を張ってまで共闘してくれた行いの、ね」
「い、いやッ、理屈は通ってるけど、けどさ、それでもッ──」
お嬢に精霊樹を授けた理由を聞き、その内容がアタシに起因するものだと知ってもなお。アタシは「なるほど」と首を縦に振る事が出来ずにいた。
その理由は、フブキには否定した助力をお嬢に授けてしまった事と、もう一つ。
お嬢が属する帝国の立ち位置だった。
魔導帝国による統一後、大陸の最北部に建国されたドライゼル帝国は。現在、隣接する周辺諸国へ宣戦布告し、領土を拡大するための侵略戦争を繰り広げている。
帝国の周辺諸国に侵攻に次々と勝利を収め、周囲にあった一〇程の中小国家は既に制圧・併呑されてしまっていた。
そのため、半年ほど前に手痛い敗戦をしたホルハイム戦役。その時に明確に敵対した砂漠の国に海の王国、東部七国連合の他にも。隣接していない大陸諸国ほぼ全てが、ホルハイム戦役より以前から帝国の動向には警戒を大にしているのが現状だ。
だからこそアタシは、マツリとお嬢との交渉が様々な問題から保留となった時。お嬢との確執抜きで、安堵していたのだ。
マツリが渇望する大陸との交流や交易に、最初に結んだ帝国との関係が悪い方向に働くのはほぼ確実だっただけに。
アタシの懸念はそれだけではない。
もし、お嬢の領地である白薔薇公爵領とこの国が精霊樹で繋がるとなれば。
もう一つ、シルバニア王都にある精霊樹とも道が繋がる可能性だってある。そうなれば、本来ならば国境を隣接していないシルバニアへ、精霊樹を通じて軍隊を送り込めてしまう事を危惧していた。
「ちょっと落ち着きなさいな、アズリア。まだ話には続きがあるんだから」
「いやいやいやッ! 落ち着いていられるような状況じゃねえだろ師匠ッ──」
説明を続けようとする師匠だったが。次々に頭に浮かんでくる懸念事項が不安を掻き立て、さらには平静を装う師匠の態度に苛立ちを覚え。口調が徐々に荒く、早口に変わっていく。
すると。
身体を支えられていた師匠が、笑顔のまま手を伸ばし。すっかり高揚していたアタシの顔に近付けてくる。
「ん、ぐッ⁉︎ むぅぅ……?」
「だから。まずは私の話を最後まで聞きなさいな」
師匠の指が二本、アタシの口唇を塞いだため。言葉を遮られてしまう。
喋るのを制止されるにしても、ただ口を塞がれるのではなく。師匠の所作に途端に気恥ずかしさを感じたアタシは、思わず先程までの高揚が冷めて押し黙ってしまう。
「確かに私は精霊樹を手渡したわ、アズリアを助けた感謝の意味でね。でも、それで私の感謝は終わり」
「──あ」
頭が冷えたお陰で、説明がしっかりと聞けたアタシは。
先程、マツリが契約を結んだ後に何が起きていたのか、その一部始終を思い返して。
「そ、そういうコト……かい、ッ」
「そう、そういう事よ。さすがはアズリアね、早い理解で嬉しいわ」
師匠が一体何を言いたいのか、その意図を理解していく。
この場にいる、たった二人だけで。




