435話 大樹の精霊、ちょっとした報復
相手が高位の存在とはいえ、貴族である自分を嘲る態度を取られては。無視をする事は出来なかったのだろう。
「それは……どういう意味ですの?」
「どういう意味も何も、言葉の通りよ」
まだ感情の昂りを抑えていたのだろう、側頭部をヒクヒクと震わせながらも。何とか冷静を装った声のお嬢だったが。
師匠は、浮かべた厭らしい笑みを戻す事なく。平然とした態度で即座に言葉を返す。
「あなたが執着しているアズリアなら、そろそろ理解している筈よ。私たちが先程、姿を消した理由が」
「しゅ……執着ですって? わ、私がな、なな、何故にあの女ごときを気に掛ける必要が──」
師匠の「執着」という言葉を聞いた途端に、明らかに動揺を見せたお嬢は。
動揺を隠す目的なのか、先程まで抑えていた感情を前面へ押し出し。師匠の指摘を否定しようとしたが。
その時。
師匠の表情が一変、鋭い視線がお嬢を真っ向から射抜く。
「ゔ、っ……⁉︎」
「──あのね。嘘を吐いても無駄なのよ」
まるで魔法の効果を受けたようにビクン!と身を震わせ、思わず一歩後退りをしてしまい。台詞を自ら、途中で遮ってしまったお嬢。
「な、何ですの……この迫力は……っ?」
どうやら、お嬢の動きが阻害されたのは魔法の効果などではなく。ただ、師匠の眼に込められた圧力の類いによる効果だったらしいが。
眼力をまともに受けた影響か、身震いして動けなかったお嬢の胸を。一本立てた指で突き立てていく師匠は。
「一応言っておくけど、私は精霊であの娘の保護者よ。だから過去に何があったのか……そしてあなたの気持ちも何もかも、知っているわ」
「な、何もかも、ですって? 私の事を知りもしない癖に、一体何を知っていると言いますのっ!」
身動きはできないが、声は発することは出来たお嬢は。
こんな状態になっても尚、師匠へと高圧的な態度を崩さずにいるのは。ある意味さすがだと言わざるを得ない。
だが、そんなお嬢に溜め息を一つ吐いた師匠は。つい先程、自分が吐いた言葉の説明を始めた。
「だから、何もかもって言ってるじゃない。あなたが過去にあの娘を酷い目に遭わせた事も含めて、ね」
「そっ⁉︎ それ、はっ……」
そう言いながら、師匠の表情がより凄みと厳しさを増し、眼に宿る迫力が一層強まると。
さらに身体を震わせたお嬢は、まるで獰猛な四足獣に対峙した小動物のように、膝を震わせている。
「本当なら、私が直接仕返しをしてやりたいのだけれどね──」
幼少期のお嬢との確執について、アタシは師匠に語って聞かせた記憶など一度もなかったが。
吸血鬼らとの戦闘に、先の魔竜との戦闘と。アタシはこれまで二度、大樹の精霊である師匠と「精霊憑依」を成功させた事がある。
どうもその時に、アタシの記憶に触れ。師匠には話していない事、その詳細を知ってしまったようだ。
「そして。その行為が、どうしようもない誤解から生まれたのかもね。私は全部知ってるの」
「ぐ……っ……」
師匠が言葉を並べる程に、先程まで合間に反論を続けていたお嬢の口数が徐々に減っていき。
ついには一切の反論を口にせず、口唇を噛みながら押し黙ってしまう。
反論を端から端まで潰され、言葉を失っていたお嬢は。既に眼力の影響から解放されていたのに、愕然として動けずにいたが。
そんなお嬢の態度に、加虐嗜好のある師匠は満足したようで。
「あら、少しやり過ぎたみたいね」
そう口にした師匠は、表情を緩めて両眼に込めた「動くな」という圧力を解除していく。
だが一度、眼力による圧力をまともに受けた影響は、即座に抜けるわけではなかった。
いまだ身動きのままならないお嬢相手へと、今度は屈託のない笑顔を浮かべながら。
「さて──と、そろそろ時間ね」
「は? な、何を……」
師匠の言葉の意味を、最初は理解する事が出来なかったお嬢だったが。
「……はあぁぁぁっ」
「あ、アズリアっ?」
師匠の言葉が合図となり。先程まで放心状態だったアタシが、大きく息を吐いて我に返る。
お嬢のお付きの女中・セプティナから告げられ、思わず放心する程の衝撃の事実。
この国まで追いかけてきたのが「アタシに過去の出来事を謝罪したい」という理由からだ、と知ってしまったからだが。
「お、お嬢ッ?」
まさに今、アタシの視界に話題に挙がったお嬢が映った途端。
過去にアタシを酷く虐げたのも。額を地に着け謝罪するアタシの後頭部を踏んだのも。
魔竜と共闘し仲間を救ったのも。そして、アタシにこれまでの事を謝罪するのが本心だというのも。
全部、全部が目の前のお嬢であるという事に。アタシの感情は複雑に入り混じり、どう反応したら良いか。
即座に答えを出すことが出来なかったからか。
反応に困ったアタシは、再び顔をお嬢から逸らしていく。
精霊樹を潜った先、シルバニア王都から戻った時に同じ態度を取り。強引に顔を真っ正面に向き直されたのも忘れ。
──だが。
「その、お、お前はっ……い、いえっ、な、何でもありませんわっ!」
先程は頭に手を回し、無理やりに自分を見るように仕向けてきたお嬢は。
何かを言い掛けるも言葉を詰まらせ、今のアタシと同じように、こちらから顔を背けてしまう。
アタシとお嬢との間に、一瞬だけ沈黙が流れた後。
「あ、アズリアっ……そ、その……お前が馬鹿みたいに呆ける前の、わ、私の質問を、お前は覚えていますか?」
その沈黙を最初に破ったのは、お嬢だった。
聞いているのはおそらく、精霊樹を潜ってこの場から姿を消したアタシが、一体何処へ行っていたのかという事だ。
「あ、ああ……アタシが何処へ行ってたか、ッて話だろ」
しかし、お嬢に正直に話して良いものなのか……アタシは葛藤する。
というのも。
お嬢が属するのは、大陸全土を支配する事を目的に、周辺諸国に侵略戦争を仕掛けているドライゼル帝国なのだ。
ホルハイムでの手痛い敗戦で暫くは大人しくしているだろうが。基本、好戦的な態度の帝国の、しかも地位のある人間に。シルバニア王国まで転移出来る事を知られてしまえば。
今後、もしかしたら王国にどんな悪影響が及ぼされるか。
「ちょ、ちょっと待ってくれよッ──」
問われているのはアタシだ、という事は理解しているが。事情が事情だけに、さすがに一人で決定出来る事ではない。
アタシは、二本の精霊樹を繋いで道を作った当人である師匠に視線で助けを求めた。




